トラウマ その成因と回復法
(脳科学からトラウマを考える)
第0章 はじめに
心は脳の機能です。大人の心は意識そのものですから、子どもの心に比べて科学的な扱いが難しいです。そこでまず子どもの心でトラウマを考えてみます。ただしトラウマで苦しんでいる大人、精神疾患として苦しんでいる大人の心は、子どもの心にとても近いですから、子どもの心で考えたトラウマがほぼそのまま当てはまります。
トラウマに関して大人と子どもと区別して考える必要がある理由を脳科学から触れておきます。大人の心の機能は大脳新皮質の前頭前野にあります。情動を司る大脳辺縁系は前頭前野の意識に調節されています。前頭前野の調節が不十分なとき、情動を感情として意識をします。大人の日常生活は殆ど全て、前頭前野の機能の意識や知識と皮質反射(経験の積み重ね)からなされています。前頭前野の機能の意識や知識と皮質反射は大人の性格の大きな部分を占めます。
子どもでも大脳の前頭前野の機能の意識や知識と皮質反射はありますが、大脳辺縁系の情動を調節することはできません。心としての役割は小さいです。情動を司る大脳辺縁系は前頭前野から独立して機能をしています。情動は子どもの心、子どもの性格の大きな部分を占めます。情動は感情や性格として、子どもの行動や体中の臓器を支配する形で機能をしています。情動は命を意味する内蔵の機能と直結をしていますから、子どもの本心と言うことができます。情動は命を守る形で機能をしますから、命を守られない状態の情動は、内蔵の機能が異常となり、いろいろな辛い症状を出すようになります。情動が命を守られない形になっているときには、子どもの情動が命を守る形で機能をするように、大人は子どもの心を守る対応をする必要があります。
トラウマが反応を示す神経回路は大脳辺縁系にあります。トラウマの症状は情動です。本能も情動にありますが、本能は遺伝情報なのに対して、トラウマは学習情報です。大人ではどちらも前頭前野の意識で調節できますが、調節できなくなったときに、本能は本能行動として、トラウマは情動行動として表れてきます。子どもでは本能も、トラウマも、前頭前野の意識で調節できませんから、受けた刺激に対して素直にそれぞれの反応行動や症状を表現します。
トラウマで苦しんでいる大人、精神疾患として苦しんでいる大人の心は、前頭前野の大脳辺縁系を調節する能力が低下をしています。逆に大脳辺縁系の機能が前頭前野に大きな影響を与えています。意識が情動を調節する能力が低下した状態、情動が意識に大きな影響を与えている状態ですから、子どもの心と同じか、とても近い状態です。子どもの心で考えたことがトラウマで苦しんでいる大人、精神疾患として苦しんでいる大人に当てはまる理由です。人によっては大人の中に潜む小児性(アダルトチルドレン)として理解する人もいます。
ある現象を考えるとき、私たちは何か原因があるから、その結果としてある現象を生じると考えます。心についてもその考え方自体は、脳科学的に間違っていません。脳科学が成り立つ範囲では脳科学的に原因と結果とを結びつけられます。子どもの心について、殆ど全ての心の機能は、脳科学的に原因と結果とを結びつけられます。大人の心について、多くの人は心理学的な統計結果として、原因と結果とを結びつけて考えています。その大人の心についての心理学的な統計結果は子どもの心に必ずしも当てはまりませんから、大人の心についての心理学的な統計結果を子どもに当てはめたときには、多くの場合間違いを生じます。
トラウマについては、子どもでも大人でも、脳科学的に原因と結果とを結びつけられます。しかし多くの人はトラウマを脳科学的に考えないで、大人のトラウマを心理学的な統計結果から導き出して理解しようとしています。その結果を大人の心にも、子どもの心にも当てはめようとしています。ただし、その統計処理の仕方が基本的に科学的でないために、その結果も客観的な科学性がありません。その結果は大人にも当てはまらない場合が多いですし、子どもではほぼ完全に当てはまりません。それでも専門家と称する人たちは、心理学的な統計にすがりついて、トラウマの議論をしています。
第一章 ある養護教諭の経験から
(1) 今までの養護教諭としての経験
私は養護教諭として、今まで幾人かの登校を拒否する子どもに出会ってきました。その子ども達が、ある場面では明るく楽しく過ごせるのに、学校へ行くことを渋ったり教室に入ろうとすると、体調が悪くなったりする場面によく出会いました。子どもの性格や親の育て方に何か問題があって周りとのコミニュケーション力がないのではないかと個人や家庭に原因を求めていました。
今までいた学校ではマニュアルに沿って職員のチームで対応するため、役割分担をし、教室に行き渋る子どもを家まで迎えに行ったり保健室で対応したりして子どもの重い足取りを感じながらも気持ちに寄り添うように努めて居場所を作り、背中を押して教室につなぐ事を行ってきました。支援を行い学力を保障することが、子どもや親のためだと思い向かいあってきました。
しかし、関わってきた子どもの不登校は、状況がほとんど変わることなく卒業や自分の異動という形で関わりを終えて、中学校入学後もきちんと登校できない状況を後で耳にすることがほとんどでした。そして2年前、自分と子どもとの関わりを根底から考えさせられる出来事が起こりました。
(2)我が子が突然
小学6年生の秋、子どもの性格が急に変わったと感じました。それまで明るく素直で元気に学校生活や少年野球に取り組んでいた子が、急に母親である私へ反抗することが増えました。最初は、反抗期だと思いました。しかし、そうではなかったのです。次第に登校しぶりが始まります。職場へ電話がかかり本人が登校していないことが何度もありました。今までに見られなかった事です。慌てて休みを取り、家に様子を見に戻ると、ゲームをして、ごろごろして過ごす様子でした。本人は体がきついと訴えます。
その頃、土日のたびに早朝から少年野球の試合や練習、遠征などが続き確かに休養が取れず、その登校しぶりも、少年野球の疲れではないかと考えました。そのため、幾日かは休ませたものの、学校に登校してしまえば普通に過ごせることから、遅れてでも背中を押して学校に行かせることが続きました。学校で友達とは楽しく遊んでいると言い、友だちとの外出も頻繁に見られたため、まさかその後不登校になるとは思いもしなかったのです。しかし、とうとう胃を痛めた後、学校に行けなくなりました。その時期の精神状態はあきらかに異常で、些細なことで家族へ怒ったりぶつかってきたり、かと思うと落ち込んで涙し、雨の中、夜家を飛び出しうろついて、鬱や精神不安の症状が見られました。家族もなぜこんなことになってしまったのか精神的に追い詰められ辛い状態でした。あまりの落ち込みかたに自殺をしてしまうのではないか、あまりの激昂のしかたに家族を巻き込んでの事件になるのではないかと子どもの荒れに怯える苦しい日々でした。
些細な事で怒りだし食事をテーブルから落としたり、刃物を持ち出したり、本当に憎いという目で敵対して家庭が平穏に機能しなくなり、仕事へ出られる状態ではなくなりました。何とかしなければという思いで本人の治療と小学校を帰宅した妹への身の危険を考え介護休暇という形で母親である私が仕事の休みをいただくことになりました。次第に、家に引きこもるようになり。ゲーム三昧、夜眠らず夜中に起きてぶつかってくることも度々、明るかった息子そして家族から笑顔が消えました。私は休暇1日目から子どもを元の元気な子どもにしてやりたいと腰の重い息子をいろんな所に連れて救いを求めました。(
心療内科医 大学の心理相談室 カウンセラー 薬剤師 鍼灸師 学者 祈とう師 占い 宗教 )私は救いを求めて奔走しました。しかし、子どもの様子は荒れるばかり。
私は誰か助けてという思いで毎日ネットで情報を集めました。
ある日多くの不登校の子どもを見てこられた心療内科医 赤沼侃史医師のブログに行き当たります。中身を見て、驚きました。そこには息子と全く同じ状況(突然の子どもの荒れ、昼夜逆転、ゲーム没頭、引きこもり)の子どもの様子が書かれていました。そして、不登校は、心の病気ではない、トラウマによるものと書かれていました。トラウマ?学校で何らかの嫌悪感や辛い体験により恐怖を感じて条件反射的に脳が学校を拒否しているのだと。もしかしてあのことがトラウマに?自分の手帳を見て思い当たることがありました。それは、激しい反抗と登校しぶりが始まる前のことです。修学旅行の前日友だちによる落書きから学校を逃げ出して家に帰ってきた事を思い出しました。仲のよい友だちと言い合いになりその後から本人に対する暴言が始まり3日間、暴言が続いた事です。その事件がトラウマに?確かに登校しぶりはその後でした。しかし、そのトラブルは、担任の先生の指導のもと相手の子どもが泣いて謝り、翌日からの修学旅行には何とか参加しました。参加し楽しかったと帰ってきました。担任からも旅行先でも問題なく共に行動できていたし大丈夫との報告を受けました。その後友だちと互いの家を行き来したり外に遊びに出かける姿もあり、もう解決し仲直りをした。と思っていました。まさかその事がトラウマになり登校しぶりにつながっているとは思いもしなかったのです。
その後、私は赤沼医師にメールで相談をし始めました。赤沼医師の言われる事を信じて、登校刺激をやめました。家で好きなように過ごさせ本人の思いを受けとめたところ、徐々に私への激しい攻撃が減り、次第に以前の明るい優しい子どもに戻ってきました。
そんな中、子どもの不登校は、恐怖の条件反射である事を確信する出来事がありました。恐怖刺激ならば与えてはいけない。そう思いつつ、子どもが野球を本当はしたいという思いに触れた時に、明るさを取り戻してきた、今の精神状態ならば友だちに誘われたら、戻れるのではないかと考えました。
子どもが何よりも好きな野球へ戻ることで、いろんな意欲をそして自信を取り戻せるのではないかと思いました。仲の良かった友だちに遊びに来てもらいました。久しぶりの友だちとキャッチボールやゲームをして3時間ほど3人で過ごしました。しかし友だちが帰宅した直後胃の痛みを訴えました。一緒におかしを食べていたので単なる食べ過ぎかもしれないし、久しぶりのキャッチボールで胸の筋肉を使い過ぎたのかもしれないとも考えました。翌週また友だちが遊びに来ました。すると「久しぶり運動もして楽しかったー」と言っていたのにも関わらず、その夜は再びひどい時期と同じような精神不安定状態が見られ、妹にテレビのリモコンを激しく投げつけるという事態となり、朝方まで眠れない程の興奮状態となりました。私はこの時、子どもの体の反応が恐怖の条件反射によるものだと実感しました。脳による拒否反応、まだトラウマが癒されていないことを思い知らされました。
赤沼医師によると、子どもは思考して行動するのではなく情動(本能)で行動する。言葉通りに行動できないので子どもが発する言葉からではなく潜在意識にある子どもの本心を理解する必要があるということでした。登校拒否は、心が辛い状況になってトラウマとなり、そのことが起こった場所や人、物に恐怖の条件刺激を感じてしまう。恐怖の条件反射だと。恐怖の条件反射が消えるには、恐怖刺激を与えないこと。そして母親による傷の癒しと時間しかない。引きこもることはトラウマを癒すのに必要なことである。昼夜逆転することは登校刺激から身を守ろうとしているのだと。ゲームも辛さを忘れるために没頭する。昼夜逆転を正そうとしたり、ゲームが悪いからと子どもから取り上げると辛さを癒やしようがないのでますます辛くなり荒れるというのです。
人と関わろうとし始めることは傷が癒されているかどうかの目安として考えられる。傷が癒えると特に子どもは自ら社会の中に戻ろうとする存在である。よい子を演じたり、苦しむ親に気を使い無理して恐怖の場所へ戻れば恐怖の条件反射の汎化が起こり、傷が深くなり子どもの辛い状況が長引く。元来子どもには心の病気など存在しない。心に傷がついた心が辛い状態の子どもに恐怖の刺激を与えることで子どもは鬱などのあらゆる精神不安症状を出すがそれは病気によるものではなく恐怖の刺激を与え続けることにより表出しているものだ。病気と同じような症状を出すから、医師は病名をつけ病気だと診断する。そして投薬をする。それは誤診だと。医師に診断されれば親は病気と信じて薬を飲ませて必死で治そうとする。しかしそのことで悪循環に落ちてしまう。
しかも、辛いと感じた恐怖の場所学校へ、信頼していた好きな母親が、押し出すことで、母親への信頼を全くなくしていたために私への反抗や攻撃が見られたというのです。学校を拒否する子どもは、脳が恐怖の条件反射を学習してしまい本能で拒否しているのです。学校が、教室が恐怖の場所になっているのです。実際、息子も、なぜだかわからないけれど、学校、教室に行こうとすると体がすくみ動悸やすごい汗が出たのでした。子ども自身が意識できないけれど潜在意識で拒否をしているのです。これは哺乳類の動物に見られるのだそうです。体に受けた傷とは違いトラウマの難しさを感じました。今まで教室に入れない子どもの行動が理解できる気がしました。
学校が家庭とつながることは大切だと思います。でも本人が本能で嫌がっている登校を、親の気持ちを組み取って気を使って無理して保健室登校をしたり、行きたがらない教室へ無理に背中を押すことは子どもにとっては苦痛であり、子どもにしてみればハンマーで頭を殴られているような辛さがあるのだそうです。そして体調不良の症状は脳が学校を拒否しているからなのです。子どものトラウマが癒え、自分で動き出すまで待つこと。トラウマが疼かないように安全な場所で守ってやる事が何よりも必要だと感じます。本当は家庭に、特に動物学的に母親に(父親へは恐怖を感じてしまう)癒やしを委ねる事態なのです。
しかし親が不登校を受け入れる事はかなり勇気がいります。社会の常識の中で生きてきた親にとって学校を休ませること大変苦しいことでもあります。その後、赤沼医師の本に記してあるのと同じように子どもが私を信頼するに値するか否かのテストをし始めます。イライラしていた息子は度々物を要求してくるようになりました。ネットショップで自分のほしい高価な海外サッカー選手のTシャツや服、靴、プラモデル等、家計が許す限り笑顔で100%の気持ちで受け入れてくださいという言葉通りに受け入れる努力をしました。何も言わず受け入れることが信頼を取り戻す近道だと知りました。受け入れるうちに親が困るような高額な物の要求が減ってきました。欲しがる物は傷を癒したり、子どもが自ら動きだす時に必要な物であるそうです。
子どもが自転車を欲しがりました。受け入れました。そして家から出ようとしなかった息子が1人で、喜んで自転車で外出するようになりました。赤沼医師にそのことを報告すると、「よかったです。病院にかかるよりお金はかからなかったのではないですか」と返答をいただきました。その通りです。まだ自ら社会に戻ろうとしない息子です。先生からは母親は子どもの心に添う対応をすること。決して否定しないこと、家の中では他人でいるようにしてあれこれ指示や要求をしない、子どもが話しかけてきたら明るく対応をするアドバイスをいただきました。そうすると不思議な程。子どもは調子が良くなります。親が子どもの気持ちに添えない対応をした時100%の気持ちで受け入れない時、子どもはそれを感じて調子が悪くなります。
また、私が下の子へ対応する際に登校刺激を感じるらしく、私が下の子へ宿題をしなさいという声かけをすると妹への攻撃をしはじめます。今は妹への躾的な指示もしないように努めています。子どもを信頼して待つ。そのことが大切だと言われました。修学旅行のことは後になってわかったことですが。大人がよかれと思ってしていたことも子どもの心を苦しめていたことを知りました。子どもを恐怖(嫌悪)刺激の場所へ追い出していた事はトラウマを深くしてしまうそうです。子どもの口から、半年後になり「あのとき誰か一人でもいい、旅行に行かなくていいよと言って欲しかった。苦しかった」と話しました。旅行中はもめごとを起こさないように相手に気を使っていたのでしょう。落書きをした子どものお母さんと話した時の事です。「Mはなぜか不思議なくらい最近うちの子が言うことに従うんだよね。嫌と言わない。嫌なときは嫌だと言っていいとよ。とMに話した。」と言われました。落書きがあって心を痛めた後、友だちの家でよく遊んでいた時の様子を見られた事を話されました。
その友だちを含め大人数で一緒に遊んでいる事から心配していなかった私でしたが、赤沼医師によると恐怖の場所から逃げられない子どもは良い子を演じるようになるというのです。つまり一度もめたその友達から、もう辛いめにあいたくないために相手に逆らわない相手にとっての良い子を演じていたのでしょう。そして演じられなくなり体に反応が出てしまったのだと感じました。2年近くたった今、自ら動き始めました。外出も以前よりも随分できるようになりました。赤沼医師の言われるようにいつか自分の力で社会へ戻っていけることを信じたいと思います。子どもを信頼して待ちたいと思います。
子どもが本能で学校を拒否する場合は安全な場所、学校を休ませることが子どもを救う道だと思います。ある始業式の日、学生数人の自殺者の報道がありました。私は息子の背中を押さなくて良かったと考えています。昨年末、除霊と称し宗教的な救いを求めた不登校の中学生の女の子の水死事件がありました。不登校が病気ではなくトラウマによるもので、条件反射的に学校に行けないという捉え方をすれば、親が子どもを守ることで、亡くならなくてよかった事例だと思います。大津市のいじめで亡くなった子も子どもが学校を拒否していたのかどうかはニュースでは伝わってきませんが何らかの身体症状などサインを出していたのではないかと思います。
(3) 終わりに
私は自分の子どもが不登校そして引きこもりになった事で養護教諭としてのあり方を考えさせられました。登校を拒否する子どもそして保護者や担任への支援や関わり方も変わりました。学校で心が辛い子に心の元気を取り戻してもらえるように動くことがが私の仕事かなと思います。それがたとえ今は学力を保障することにつながらないとしても。我が子が教えてくれたことを忘れないように。
登校拒否(不登校や登校しぶり)という形で心がとても辛い状況にあることを現す子どもや盗み、喫煙、悪戯、いじめといった問題行動で同じく心がとても辛い状況にあることを現している子どもは、学校社会という中で弱い立場に立たされていると思います。 そのような子どもたちは自分の心を辛くさせているも(トラウマを反応させる物)のから守られる必要があると思います。
第二章 トラウマ
(1) トラウマの定義
トラウマ(psychictrauma)の定義は研究者によって異なります。共通したトラウマの要点は、「ある人が突然強い恐怖、無力感などの心の症状を出し、それまで行っていた社会生活が阻害されてしまう心の状態」です。日本語に翻訳しますと心の傷に相当しますが、心の傷という言葉が日本では少し違った意味に使われています。
現在の心理学、精神医学では、強いストレスが脳に小さな傷を作って、その傷がトラウマの症状を出すと考えています。その脳内にできた傷があるから、その傷からトラウマの症状を出すと考えています。てんかんのフォーカスのように考えています。しかし現在まで、あらゆる科学的な手段を用いても、トラウマがある人の脳内に傷は見つかっていません。脳には外傷を代償する能力がありますから、外傷で失った脳神経細胞の能力を他の脳神経細胞で代償して、全く傷がない状態に戻ることができます。ストレスが脳内に傷を作る仕組みは、科学的に全く考えられていません。脳内にストレスで傷ができるはずはないであろうし、科学的に見つからない脳の傷がトラウマの原因として考えにくいです。
日本語で心を傷つけられるとは、嫌な思いをさせられるという意味に使っています。その結果嫌な思いをするようになることを、心に傷があると表現しています。そこでここでは、心の傷とトラウマとを区別して用いています。
ここでのトラウマとは神経生理学的に、「多くの人ではとても恐怖や辛さを生じそうもない概念や物が、”辛さを生じる条件刺激”になって生じる”辛さを生じる条件反射”」と定義をします。ここでは短く「辛さを生じる条件反射」と表現しておます。この定義ですと、上記の一般研究者が考えている定義を満たします。”辛さを生じる条件反射”は“辛さを生じる条件刺激”がないと反応をしません。“辛さを生じる条件刺激”がない限り、トラウマがない人(普通の人)と同じような生活をすることができます。トラウマを反応させる物がない限り、トラウマを持っている人でも、普通の人と同じ生活ができます。今の心理学や精神医学で言われている’トラウマがあるからというだけで症状を出す’という考え方は間違いであることが分かります。トラウマを考えるときには、必ずトラウマを反応させる物があり、そのトラウマを反応させる物から逃げられない事実を考慮する必要があります。
例えば他の人では殆ど聞こえないような低い音に反応して、いろいろな神経症状や精神症状を出す心の反応。部屋のかすかな臭いに反応して、いろいろな神経症状や精神症状を出す心の反応(シックハウス症候群)。多くの子どもでは楽しい学校に反応して神経症状や精神症状を出して学校に行けなくなる登校拒否、不登校の子どもの心などです。精神医学のPTSDは因果関係が理解できるトラウマです。但し現在の精神医学はPTSDを”辛さを生じる条件反射”だと認めていません。
それに対して高いところが苦手な人の心(高所恐怖)や蛇やクモが苦手な人などは、多くの人に理解可能ですから、トラウマとは言いません。その辛い場所やものから逃げられますし、逃げても責められることはないです。神経生理学的には、トラウマと全く同じ反応、同じ神経回路から生じています。その神経回路の存在するところは大脳辺縁系です。トラウマが反応した症状とは情動です。
(2) 辛さとは
辛さとは何かを考えておく必要があります。辛さとは人間が辛いと感じ表現する姿です。それは他の哺乳類と共通な姿もありますし、人間特有な姿もあります。ある物や事柄から逃げようとする反応を生じる(神経生理学的に回避系)心の状態です。言葉では嫌だ、痛い、悲しいなどと表現される感覚を総括した感覚です。人間では状況によりその状況に即した言葉で使い分けていますが、脳の中で働く神経回路は同一の物です。
生得的な(本能。生まれたときから持っている)辛さとして、痛み、強過ぎる五感、存在の否定、空腹、渇きがあります。これらを無条件刺激として無条件反射が生じた際に、”辛さを生じる条件刺激”を学習します。この学習した”辛さを生じる条件刺激”で生じる条件反射が”辛さを生じる条件反射”です。体中に大本の無条件反射で生じたような辛さを体中に表現します。この学習した”辛さを生じる条件刺激”の内で、辛さの原因として理解できない”辛さを生じる条件刺激”よって生じる”辛さを生じる条件反射”がトラウマです。
辛さを生じる条件反射の学習の仕方
*痛み(無条件刺激) =無条件反射=> 苦痛を表現
*ベルの音(無関刺激) 反応をしない
*痛みとベルの音 =無条件反射=> 苦痛を表現
(ベルの音を辛さを生じる条件刺激と学習する)
*ベルの音(条件刺激) =条件反射==> 苦痛を表現
(トラウマの症状。痛みで出した症状と同じ症状を出す)
辛さ(嫌悪刺激、恐怖)に出会うと、人を含めて動物は本能から、その辛さを生じさせる物から逃げようとします。その辛さを生じさせる物から逃げられたら、それ以上辛くなりません。それでおしまいです。その辛さから逃げられないと、人間の場合その辛さを解消しようと知識から努力をします。しかし子どもでは意識的な努力ができませんから、子どもを辛くする相手の要求に無意識に自分を合わせて従い、それ以上辛くされないようにします。これを良い子を演じると言います。良い子を演じるには大変な努力と無理を要します。良い子を演じきれないときには、人間も他の動物と同じように自分を辛くする物に無意識に攻撃をします。人間の子どもでは暴れたり、物を壊したり、いじめや万引きなどの問題行動をしてしまいます。自分を辛くする物を攻撃できないときは、動物はすくみという姿になってしまいます。人間では無気力になったり、無力感に襲われて、こだわり、幻聴幻覚などの症状を出して、いわゆる心の病という姿になってしまいます。
辛いと逃げる=>逃げられないと良い子を演じる=>良い子を演じられなくなると問題行動をする=>問題行動ができないと心の病の症状を出す。
人間以外の動物では、逃げるという行動が中心になっています。大脳新皮質の発達が人間ほど発達していないので、良い子を演じるという段階はないか、群れをなして生活する動物でそれらしきものが見られるだけです。人間以外の動物では、問題行動をする段階、心の病の症状を出す段階は、死を意味することが多いです。生命を維持できないか、他の動物の餌食になってしまうからです。
それに対して人間は複雑な社会生活をしている関係上、意識に上らない辛さ(学習した”辛さを生じる条件刺激”)が生活空間の中にあって、その辛さから逃げられなくて”辛さを生じる条件反射”を生じて辛くなり、良い子を演じたり、問題行動や心の病の症状を出す場合が見られます。良い子を演じている場合には、かえって他の人から褒め称えられることもあります。しかしトラウマが何かに反応をして、その人の情動は辛さから逃れられなくて苦しんでいます。問題行動は社会生活を阻害するので、問題行動をする人が責められます。けれど問題行動を起こす人も、心の病の症状を出す人も、トラウマが何かに反応して、その人の情動が苦しさを表現している姿なのです。
(3) 自律神経症状
人を含めて動物は辛さに出会うとその辛くする原因から逃げるのに一番良い体内環境を作るために、自律神経や体を調節するホルモンに変化を生じます。それが受けた辛さの表現になります。辛さが解決すれば自律神経や体を調節するホルモンは元に戻ります。けれど辛さが解決しないなら、自律神経や体を調節するホルモンの影響が強く出て、当人や周囲の人が病的に感じるようになります。自律神経の失調状態と理解します。生理的な反応なのですが、その症状が強いために、異常と感じられるようになります。いわゆる自律神経症状です。自律神経失調状態です。この自律神経や体を調節するホルモンの変化が長期に続くと、それはフィートバックという形で脳に変化を与えて(例えば海馬の萎縮の原因と推測されている)、自律神経症状を出しやすく、続きやすくして、ますます病的に感じさせるようになります。辛さが出す症状からの回復に時間がかかるようになります。
(4) ”辛さを生じる条件刺激”の学習および汎化
人や動物は”辛さを生じる無条件刺激”を受けてその辛さを表現します。その際にその人や動物の周囲にあったいくつかの物を”辛さを生じる条件刺激”として学習します。そこで次に人や動物が学習した”辛さを生じる条件刺激”を受けて”辛さを生じる条件反射”を起こしたときの症状は、”辛さを生じる無条件刺激”を受けて出していたときの辛い症状になります。”辛さを生じる無条件刺激”が生じる辛さを、”辛さを生じる条件刺激”はそのまま受け継いでいます。注意しなくてはならないことは、”辛さを生じる無条件刺激”を受けて”辛さを生じる無条件反射”を起こしたときに学習する”辛さを生じる条件刺激”は一つとは限らないです。それだけでも”辛さを生じる条件刺激”を特定するに難しさがあります。
例えば、学校で子どもが先生から体罰を受ける、友達からいじめられると、学校や教室、先生や友達に”辛さを生じる条件刺激”を学習します。その際に体罰が酷かったり、いじめが酷かったら、それ以後直ぐに子どもは学校や教室、先生や友達に対して”辛さを生じる条件反射”を生じて、辛くなります。学校や教室、先生や友達を見たり意識すると辛くなり、拒否をしだします。
ところが体罰やいじめが酷くなかったら、それ以後子どもの学校や友達に対して生じる”辛さを生じる条件反射”は弱くて、親や大人はその子どもの変化に気づかないか、気づいても「どうしたのだろうか」という程度です。しかしその子どもはそれ以後辛いことに敏感になっています。ほかの人から見たら些細な先生の怒りの声、体罰や友達からの意地悪に敏感に反応をして、”辛さを生じる条件反射”を強化してしまいます。それを繰り返すことで、子どもは”辛さを生じる条件反射”で生じる辛さに耐えきれなくなって、学校や教室、先生や友達から逃げ出そうとするようになります。良い子を演じたり、問題行動をしたり、病気の症状を出すようになります。
体罰やいじめと認識されなくても、先生の厳しい生徒指導や他の子どもを叱責する姿や声、他の子どもの意地悪でも、子どもは子どもにより程度の差がありますが、”辛さを生じる条件刺激”を学習してしまいます。多くの子どもは家庭に帰って母親の優しい対応によりこれらの”辛さを生じる条件刺激”は消失してしまいます。家庭で”辛を生じる条件反射”を生じさせない時間経過だけで、消失してしまいます。
家庭で”辛さを生じる条件刺激”が消失しない状態で学校に行くと、学校内での辛いことに敏感に反応して”辛さを生じる条件反射”を強めていってしまいます。その状態で家に帰っても”辛さを生じる条件刺激”はより強く残ってしまいます。子どもによっては、家でどことなく元気がない子どもとして感じられる場合があります。ゲームなどの享楽的なものに耽らなければならない子どもとして感じられる場合があります。学校では気力がない子どもとして感じられる場合があります。いじめられやすくもなります。大人から見たら辛いとはとても思えないもので強く”辛さを生じる条件反射”が生じて辛くなり、学校や教室、先生や友達を拒否するようになってしまいます。
既に学習した”辛さを生じる条件刺激”を受けて、”辛さを生じる条件反射”を生じると、その時周囲にあったいくつかの物を新たに”辛さを生じる条件刺激”として学習してしまいます。”辛さを生じる条件刺激”の汎化を起こします。その汎化した”辛さを生じる条件刺激”を受けて、”辛さを生じる条件反射”を生じたときの辛い症状は、元の”辛さを生じる条件刺激”で生じた”辛さを生じる条件反射”が生じたときの辛い症状と同じです。その時表現されていた辛さが、汎化した”辛さを生じる条件刺激”と結びつきます。つまり次に汎化した”辛さを生じる条件刺激”を経験したとき、”辛さを生じる条件反射”が出す症状は、その汎化した”辛さを生じる条件刺激”を学習したときに出していた症状になります。
トラウマができたばかりでは、トラウマが反応をする物は数が少なく、ある特定の物に限定されています。限定されていますから、それを取り除くことで、トラウマからの回復は難しくありません。しかし繰り返しトラウマが反応をすると、つまり繰り返し”辛い症状を出す条件刺激”を経験すると、トラウマはいろいろな物に反応をして、トラウマの症状は強化されて、変化していき、最終的には心の病という姿になってしまいます。回復が大変に難しくなります。
(5) ストレス
ストレスという言葉があります。ストレスという言葉は物体に大きな力をかける(ストレス刺激、嫌悪刺激)とその形や構造が変化をする(ストレス状態)ときに使われていました。この考え方を心に用いたのが心に関するストレスです。物体を心に例え、大きな力を心や体を苦しめる出来事と例え、形や構造が生じる変化を出来事の際に生じる性格の変化に例えています。ストレス刺激は日常生活の中での出来事ですが、それらを突き詰めていくと、生得的な辛さ(多くの人で理解可能)と学習した辛さ(多くの人で理解可能な辛さと、他の人では理解できない辛さ)になります。ストレス状態とは生得的な辛さを生じる無条件反射、学習した”辛さを生じる条件反射”が生じている状態です。
日常生活の中には数知れないストレス刺激があります。子どもの家庭生活の中では、親に叱られる、事故に遭う、怪我をする、しつけをされる、などがあります。これらがあっても多くの子どもでは親によってその辛さが打ち消されて、トラウマができないか、できても直ぐにトラウマが反応しなくなり、トラウマがないのと同じになります。
(6) トラウマの症状
トラウマが反応することで出す自律神経症状(神経症状)は、他の病気の身体症状とはっきり区別ができません。いつも経験しない、通常とは違った身体症状の内で、原因がはっきりしないときの症状と考えて良いようです。但し殆ど全ての身体および臓器は自律神経を介して調節されていて、その自律神経による調節が普段と違ってきたことに気付いたのが自律神経の症状です。
例えば
起立性低血圧、発汗異常、微熱、涙腺・唾液分泌異常、便秘、下痢、胃腸症状、頻尿、めまい・たちくらみ、頭痛、頭重、しびれ、耳鳴り、低血圧傾向、高血圧傾向、冷え、のぼせ、頻脈、動悸、息切れ、月経不順、性機能障害、不定愁訴、不安、抑うつ傾向、不眠、食欲低下、食欲過剰、無気力、記憶力減退、疲労感、衰弱、震え、
などです。
トラウマが反応することで出す問題行動には
壁やガラス窓戸、ドア、机、椅子を壊す、食卓の食べ物をひっくり返す、親や兄弟、時には他人に暴力をふるう、部屋を片付けない、部屋でトイレをする、入浴をしない、衣類を着替えない、親の財布の金を取る、万引き、自転車を盗む、いじめ(いじめられ)、不良行為、恐喝、傷害事件
などがあります。
トラウマが反応することで出す精神症状として
異常体験、滅裂言動、逸脱行為、幻聴、幻覚、錯覚、幻視、盲目、聾唖、多弁、緘黙、多動、寡働、表情硬し、表情すぐれない、自閉的傾向、場に即さない要求、疎通不良、了解不良、衝動行為、悲観的言動、場に即さない無断外出、拒食・拒薬、気分変動、焦燥感、徘徊、不安感、自殺念慮、自殺企図、せん妄、てんかん様発作、無欲状態、異常行動、パーキンソン症候群様動作、不穏状態、うつ状態、過食、拒食、過飲、無飲
などがあります。
第三章 トラウマの悪化
辛さに出会うと、人や動物はその辛さを表現します。その辛さの後に続いて同じ辛さに出会うと、人や動物はまたその辛さを同じように表現するのではありません。最初の辛さ以上の辛さを表現します。つまり辛さを生じるものの影響には相乗効果があります。それ故に周囲の人から見て些細な辛さでも、その辛さが繰り返すことで、その辛さの影響はだんだん強くなっていき、その際に学習した”辛さを生じる条件刺激”や”辛さを生じる条件反射(トラウマ)”は次第に強化されていきます。気がついたときには、こんな些細な辛さでなぜこんなに酷い反応をするのだろうと、悩むことになります。トラウマが進行して悪化していったことになります。
”辛さを生じる条件反射”が生じているとき、その人の周囲にある物で、その”辛さを生じる条件刺激”とは別に、新たに”辛さを生じる条件刺激”を学習してしまいます。例えば不登校で学校が辛いのに、親から無理矢理に学校に行かされていると、家の周囲の物に、又はその無理矢理に行かす親に辛さを感じるようになります。これを”辛さを生じる条件刺激”の汎化、トラウマが広がったことになります。
辛さを生じる条件刺激の汎化
*赤い光り(無関刺激) 反応をしない
*ベルの音と赤い光 =条件反射=====>苦痛を表現
(トラウマの症状。赤い光が汎化した条件刺激になる)
*赤い光(汎化した条件刺激)=汎化した条件反射=>苦痛を表現
(新たなトラウマの症状。元のトラウマの症状と同じ)
トラウマが反応するだけでも、なぜ人が辛い症状を出しているのか分かりにくいです。トラウマが進行して、他の人では全く問題ないような物に反応してその人が辛い症状を出すなら、その人はおかしいのではないか、病気ではないかと多くの人は考えます。トラウマが広がった場合には、その人が辛くなる原因が多くの人には全く見つかりません。何も原因がないのに辛い症状を出している、心の病の症状を出していると理解されますから、その人は心の病を持っていると理解するようになります。その人自身も、なぜ自分が辛くなるのか分かりません。あるとき突然原因もなく(原因があるのですが、原因と気付かなくて)辛くなり、心の病の症状を出すので、自分は心の病だと感じるようになります。
第四章 トラウマの神経生理
体中にある五感の感覚器から受け入れた情報は、知覚神経を介して大脳新皮質にある各感覚野で処理されて、前頭前野で認知されてその情報に基づいて運動野から反応をするための情報を加太田重に出して、反応を始めます。これを皮質反射と言います。各感覚野で処理された情報は同時に大脳辺縁系の扁桃体に送られて、その情報に基づいた情動反応を、脳幹から自律神経や体を調節するホルモンを介して、体中に表現します。これが自律神経の症状になります。またその情動反応は前頭前野から運動野に送られて情動行動を生じます。情動行動は皮質反射に遅れますが、情動が強いときには皮質反射を押さえて、情動行動が実際上行われます。情動が弱いときには情動行動は押さえられて、そのまま皮質反射が行われます。
”辛さを生じる条件刺激”(トラウマを反応させる物)を受けたとき、その条件刺激の情報は各感覚野で処理されて前頭前野に送られますが、皮質反射に相当するその条件刺激に基づいた運動野で反応を起こしません。各感覚野で処理された条件刺激の情報は大脳辺縁系の扁桃体に送られて、その情報に基づいた情動反応を強く起こします。脳幹から自律神経や体を調節するホルモンを介して、体中に強い緊張状態を表現します。またその情動反応は前頭前野から運動野に送られて強い情動行動を生じます。これらの反応したものがトラウマの症状です。トラウマの症状が強く体の内外に表現されますから、その他の条件反射とは区別して、トラウマという概念が用いられるようになりました。
トラウマが反応する物の概念を思い出したとき、その情報は前頭前野から逆行性(トップダウン)に感覚野に送られて、そこから大脳辺縁系の扁桃体に送られて、その情報に基づいた情動反応を強く起こします。脳幹から自律神経や体を調節するホルモンを介して、体中に強い緊張状態を表現します。またその情動反応は前頭前野から運動野に送られて強い情動行動を生じます。現実にトラウマが反応する物がなくても、トラウマが反応する物の概念だけで、トラウマが反応し出す理由です。
”辛さを生じる条件刺激”の汎化を生じていたとき、トラウマを持っている人は、絶えず”辛さを生じる条件刺激”にさらされ続けています。しかしトラウマを持っている人はトラウマに反応する物に晒され続けている事実に気付いていませんから、トラウマが反応する物から逃げだそうとしません。トラウマが反応し続けて、辛さに苦しみ続けます。脳の中では”辛さを生じる条件反射”の神経回路が働き続けます。その結果周りの人から見たら理由もなく問題行動をしたり、心の病の症状を出すようになります。
神経回路は脳神経細胞同士がシナプスで繋がれてできています。そのシナプスの間隙は伝達物質で情報が伝達されます。トラウマに反応する物の情報は、”辛さを生じる条件反射”の神経回路に関係するシナプスにおいて、どんどん伝達物質をシナプス間隙に放出して情報を伝えています。シナプス間隙に放出される伝達物質の量は、神経細胞で生産される伝達物質の量より遙かに多いです。そこでシナプスに蓄えられていた伝達物質を用いて多量の神経伝達物質をシナプス間隙に放出して情報を伝えます。シナプスで情報伝達に使われた伝達物質は順次シナプス間隙外に放出されて、血液に流れ出て、血液中の伝達物質の濃度を高めます。血液中の伝達物質の量を知ることで、トラウマが反応することでどれだけ緊張状態(主として自律神経の症状が強く出ている段階)にあるのかを知ることができます。
トラウマが機能をし出すと、トラウマを表現する神経回路のシナプスでは、大量の伝達物質が消費され始めます。その消費量は神経細胞で生産される伝達物質より遙かに多いです。初めのうちは蓄えられていた伝達物質が動員されて消費されます。トラウマが強く、長く、機能をしていると、シナプスの伝達物質が大量に消費され続けるために、シナプスでの伝達物質が消費されすぎて枯渇してしまいます。神経細胞での伝達物質の生産が消費に間に合わないからです。生産された伝達物質が直ぐに全て消費されてしまいます。シナプスで情報を伝えるにはその時神経細胞で生産される伝達物質よりずっと多くの伝達物質が必要なのです。シナプス間隙で情報を伝える伝達物質が不足する状態になります。情報が十分に伝わらなくなります。シナプス間隙内の伝達物質が普段より少なくなりますから、シナプス間隙から、伝達物質がシナプス外に排出される量が減少します。血液中の伝達物質が普段より少なくなります。血液中の伝達物質の量を知ることで、シナプスがどれだけ機能不全を起こしているのか知ることができます。トラウマが反応を続けたことで、脳の機能不全を生じた程度を知ることができます。この状態が精神症状と呼ばれている症状を出している状態です。いわゆる心の病の状態です。
第五章 トラウマからの回復
条件反射の神経生理学的な性質として、その反応を起こさないと、その条件反射はだんだん弱くなり、消えていきます。トラウマが反応しない状態を長く続けると、そのトラウマはだんだん弱くなっていきます。トラウマからの回復は、トラウマを反応させないこと、”辛さを生じる条件刺激”からその人を守ることが第一です。そのためにトラウマが反応する物を取り除くこと。取り除けないなら、トラウマが反応する場所から逃げること。トラウマが反応しない場所に逃げる必要があります(転地)。
条件反射は条件反射が生じているとき、他の条件刺激で置き換えて反応をするようにできます。前記の”辛さを生じる条件反射”の汎化もその例です。”辛さを生じる条件反射”が生じているとき、同時にとても強い喜びを与え続けると、”辛さを生じる条件刺激”を”喜びを生じる条件刺激”にすることができます。例えば高所恐怖症がある人が高い所に上がると辛くなります。そこでその高い所でおいしい食事を繰り返すことで、元来なら辛い場所である高い所が、おいしい食事をした楽しさに置き換えられて、高い所が楽しい所になってしまいます。
トラウマで苦しみだした初期には、トラウマが反応する物を特定できて、そのトラウマが反応する物を避けることで、トラウマからの回復が期待できます。しかしそれには長い時間がかかります。その長い時間の間中、完全にトラウマが反応する物からトラウマを持っている人を守り続けることは大変に難しいです。この理由から、トラウマがある人は徹底的に何でも良いから嫌なことを避けて、何でも良いから楽しい生活をすると、いつの間にかトラウマが反応しなくなっています。子どもでは享楽的な遊びと思われるような物に没頭しているのが良いです。大人ではいわゆる、凝り性、マニア、おたく、専門家と、表現されるようになると良いようです。
子どもがトラウマで苦しんでいるとき、母親が辛さに共感して優しくスキンシップをすると、トラウマの苦しみが消えてしまいます。トラウマが反応する辛さに耐えられます。しかし絶えず母親がスキンシップをし続けられませんから、大人と同じように、子どもも何でも良いから嫌なことを避けて、何でも良いから楽しい生活をしていると、いつの間にかトラウマが反応しなくなっています。
この際に常識的な大人は、逃げてばかりいては強い大人になれないとか、楽しいことばかりをしていると甘やかしだと、批判をします。ところが子どもは大人と違って、楽しいことだけに没頭をしていると、トラウマから回復して、必ずその楽しいことを卒業して、次の何か楽しいことを探し求めて、自分の心を成長させます。多くの大人はこの事実を知らないだけです。別の見方をすれば、子どもが何時までも同じ楽しいことだけに耽っていたなら、未だトラウマから回復していないという意味になります。
大人では認知療法が可能ですが、子どもでは逆効果になります。子どもの脳は未だ認知療法に適していないからです。ここでは認知療法を省略します。
トラウマを薬で治癒させることはできません。トラウマの症状に対して向精神薬を投与すると症状を軽減できる場合があります。症状が軽減しても”辛さを生じる条件反射”の神経回路が働いていることに変わりがありません。症状が軽減していても、”辛さを生じる条件反射”が強化されていきます。”辛さを生じる条件反射”の汎化を行っています。トラウマの症状は隠されていても、トラウマは強化され、広がっていっています。それはトラウマの症状が強化していっているために、その強化されたトラウマの症状を抑える薬の種類や量が増えることになります。多量に飲む薬の副作用に苦しむようになります。薬の副作用から、二次的に精神疾患の症状を出すようになります。
子どもでは脳が完成するのが思春期以後です。脳の機能(子どもの心)の成長は、その子どもなりにいろいろな経験をすることで、社会に適応する脳内の神経回路が新生され、強化されて完成していきます。社会生活をするのに適した脳の機能(心)になっていきます。薬は脳全体のシナプスに働きますから、どのシナプスでも正常な情報の伝達ができなくなっています。その正常な情報の伝達を阻害することで、薬は目的の辛い症状を軽減します。症状に関与しない他のシナプスでは、薬によって正常な情報の伝達ができないために、薬を飲んでいないときと大きく違う情報伝達を脳内でしています。それは子どもの心の自然な心の成長を阻害して、社会への不適応な心を作ってしまいます。トラウマへの脳科学的な対応をすれば、トラウマは回復できます。特に子どものトラウマに向精神薬を投与するのは、子どもの人格形成を阻害するので、止めなければなりません。
このことから薬を止めるときの問題点を指摘しておきます。既にトラウマが反応する物がなくなっている状態で薬を止める場合です。大人で薬を飲むのを止めたとき、薬を飲む前の心の状態に戻ることが期待されます。大人では既に大人の心ができあがっていますから、薬で心が変化をしても、薬を止めれば心は元の状態になります。短期間薬を飲んでいた場合には、薬を止めたときトラウマを反応させる物がなくなっていると、元の大人の心に戻れます。ただ、長期間薬を飲んでいた場合、薬を飲んでいた間にもトラウマは強化され、広がっています。大本のトラウマを反応させる物がなくなっていても、新たにトラウマを反応させる物がいくつもできていて、トラウマを反応させるがなくなることは期待できなくなっています。
ところが子どもの場合、薬を止めたときまでに薬で歪められた心が残っているだけです。トラウマを反応させる物がなくなっても、その歪んだ心から反応をし生活をすることになります。社会生活に順応しにくくなります。場合によっては社会生活に順応できなくなります。そのために新たなトラウマを心に持つことになります。
トラウマが反応する物が残っている状態で薬を止める場合です。薬が効果的で、薬で症状が軽減しているときに薬を止めると、薬で抑えられていた症状が再び出現します。長期間薬を飲んでいた場合には、その間にトラウマが強化されて広がっています。そのためにもともとあった症状以上の強いトラウマの症状を出すことになります。患者の判断で患者が急に薬を止めてはいけないと医者が言う根拠です。但し医者が言うような、「薬を止めることで生じる離脱症状」ではないです。薬で隠されていたトラウマの症状や強化され広がったトラウマの症状が再び出るだけです。薬が効果的でなかったなら、薬を止めても症状は変わらないことになります。
トラウマが反応をして心が辛い人は依存を起こしやすいです。変化で不安を生じますから、変化を嫌います。同一の薬を長く飲んでいる人は、薬を飲むことが習慣になっています。心が薬に依存を生じています。薬を止めることだけで不安を生じるようになっています。この薬を止める不安を解消できなくて、薬を止められない場合があります。
第6章 トラウマが関与している子どもの状態
登校拒否、学校恐怖症、学校回避、不登校と表現される子どもは、学校で反応をするトラウマを持っています。学校だけに反応する子どももいますが、多くの子どもは、学校や学校に関する物、先生、友達、勉強、学用品などにも”辛さを生じる条件刺激”を学習しています。
義務教育年齢の引きこもりの子どもは、登校拒否と同じように学校に反応するトラウマを持っています。子どもによっては、学校や学校に関する物ばかりでなく、家の周囲の物や人に、場合によっては両親にも”辛さを生じる条件刺激”を学習しています。
義務教育年齢以上の引きこもりの子どものトラウマは学校や学校に関する物に反応しなくなっている場合が多いですが、家の近所ばかりでなく、特定の人(対人恐怖)や場所(閉所恐怖)にもトラウマが反応するようになっています。多くの子どもは自分を否定(自己否定)することや自分が否定されそうな人に反応するトラウマを持っている場合が多いです。但し自分を否定することは条件反射ではなくて無条件反射ですが、その無条件刺激に多くの人が気付いていないことから、実際上トラウマと見なせます。そして高校生年齢ぐらいの子どもだとその前記の両方に関するトラウマを持っている場合が多いようです。
トラウマが反応する物から子どもが逃れられないとき、子どもはトラウマが反応して、湧き上がってくる辛さに耐え続けなければなりません。耐え続けても未だ心に余裕があるときには、子どもはその子どもなりに活動をします。ところが辛さに耐えるので精一杯な子どもは、その子どもなりの活動ができなくなります。親や大人達から何かを要求(例えば規則正しい生活、ゲームなどを制限する、自分から勉強をする)されても、それを実行できません。
子どもの周囲にあって、普通の子どもでは辛くはならない物や概念で、場合によっては楽しくなるような物や概念で、トラウマが反応して辛くなっている子どもを、心が辛い子ども(弱者)と表現します。その外見は無気力で、積極的な動きがなく、子どもらしくない子どもです。子どもによっては親や社会が嫌がる行動をする子どもです。心の病の症状を出す子どもです。親や大人はその姿を、子どもが怠けているとか、だらしないとか、子どもに原因を求めています。朝、なかなか起きてこられない子ども、夜更かしをする子ども、身の回りを片付けられない子ども、勉強をしようとしない子ども、ゲームやテレビなど、享楽的な遊びに耽る子ども、規則的な生活ができない子ども、注意をすると荒れる子どもなど、その姿はいろいろで、親や大人達からみて好ましくない姿の子ども達です。
これらの子どもは親の要求に応えようとしても既にできない心になっていることを、親や大人が気付いていないのです。トラウマの存在に気付かない親や大人が、辛さから子どもにはできなくなっているのに、しなくてはならないと無理な要求をしているだけです。大人が持つ常識が通じない子ども達の姿です。このような子どもを心が辛い子ども(弱者)、このような子どもへの考え方と対応法を弱者の論理として、他のトラウマがない子ども(心が元気な子ども、強者)と区別した考え方と対応(強者の論理)が必要です。弱者の論理とは、第5章のトラウマから回復させるための対応法です。
心が辛い子ども(弱者)に大人の持つ常識が通じません。大人は自分たちの常識が通じない子どもを問題だと考えています。大人の常識が通じる子どもにする必要があると考えています。大人の常識が通じるように心が辛い子どもに要求すると、子どもによっては良い子を演じて大人の要求通りに行動をします。子どもが良い子を演じている姿を大人が見て、自分たちの指導は正しかったと判断します。ところが大人がいなくなると、心が辛い子どもはもっと大人にとって問題となる行動をしてしまいます。
子どもの心の病の症状(精神疾患)は、トラウマがいろいろな物に敏感に反応し続けていることから生じています。大人から見て、とても反応をしそうもないようなものにトラウマが反応をして症状を出していますから、どれが原因でどれが原因でないかを誰も特定できません。原因を特定できないから、原因がないと誰も考えます。原因がないのに心の病の症状を出していると多くの人は考えます。精神科医療では体の外に原因がなくて病的な症状を出のは心の病と考えているので、トラウマが出す病的な症状を病気と決めつけていて、病気と信じ込んでいます。遺伝子などのトラウマ以外のことに心の病の原因を求めようとしています。
大人の精神疾患について、基本的にトラウマが反応していろいろな神経症状や精神症状を出しています。発病初期にはここでのトラウマの考え方、対応が当てはまります。しかし大人の場合、経済的な理由から、早く社会生活に戻る必要が優先します。どうしても薬でトラウマが機能しなくなるような対応が取られてしまいます。また、大人の精神疾患の場合、子どもに比べて長い時間トラウマが反応し続けていて、脳内のトラウマを表現する神経回路が強化されて、優先して機能するようになっています。多くのトラウマを反応させる物に反応して、強く症状を出すようになっています。多くの例で薬が長期間、多量に使われていますから、薬への依存も生じています。病的な症状からの回復がとても難しいです。
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