青年期までの子どもを「精神科・心療内科に受診させる前に」

1) 精神科の早期介入とは

 多くの体の病気について、「早期発見早期治療」が言われています。心の病気についても、最近、精神科医が心の病について、体の病気と同じように「早期発見早期治療」を主張するようになってきました。ところが体は実体があるものです。心は実体がありません。心の病とは精神領域の障害であり、実体がある体の病への治療と同じように扱うことはできません。実体がある体の病気に「早期発見早期治療」が好ましいからと言って、実体のない心の病気である精神科領域の病気に「早期発見早期治療」が好ましいことになりません。

 現実に精神科領域の病気の治療が投薬でなされています。薬は実体のない心(精神世界、精神身体二元論)に作用をしているのではなくて、実体がある脳という臓器(脳の機能、精神身体一元論)に作用をして心に影響を及ぼしています。ですから薬を使った精神科領域の病気の治療は、必ず脳の機能(精神身体一元論)を念頭に置いて考える必要があります。子どもの心は脳の成長とともに成長して行きます。子どもの脳と大人の脳と異なります。大人の脳で成り立つことが子どもの脳で成り立つとは限らないのです。

 思春期以前の脳はまだ発達段階にあります。大人の心の病気に投薬するのと、脳の反応は異なります。大人で薬の機能がわかっていても、子どもに当てはまるとは限りませんし、子どもには大人にない機能があります。その大人にない機能を無視して、大人と同じように子どもに投薬治療を行うと、子どもの脳にどのような問題を生じるのか現在のところ全くわかっていません。投薬治療により子どもの脳に問題を生じるなら、それは子どもの人格形成に問題を生じることになります。子どもの人権を傷害することになります。

 医者は人格形成も大切だが、心の病気があることの方がもっと問題だと主張しています。隠れた病気を早く見つけて治療をしてあげる方が大切だと言います。ただし治してあげると医者は言っていません。それは心の病気を治す薬が未だに発明されていないからです。心の病気の症状を軽減する薬しかまだないからです。だから医者は心の病気の症状を軽減しておいたら、心の病気が治ると主張をしています。その医者の主張に客観的な根拠はなくても、医者は自分たちの思いつきを、子どものためと言って子どもに行っています。

 多くの心の病気で治療を受けている子どもたちを観察していますと、投薬されたことで症状が軽くなる子どもがいますが、治癒した子どもは殆どいません。多くの子どもは大人になっても心の病気で苦しみ続けて、投薬を受け続けています。気づかないところで子どもの人格を阻害していることすら無視されてきています。医者は薬を投与しても症状が改善しなければ、薬の作用が強いものを使います。量も増やします。それにより心の病気の症状を軽減できても、その薬の副作用で子どもはとても辛い生活を強いられてしまいます。医者は治療の成果を主張しますが、子どもが薬の副作用で苦しんでいることを無視しています。

 医者は認めませんが、かかなり多くの子どもが投薬を受けてかえって症状を悪化させています。薬をやめることで症状が軽くなり、完治する子どもすら出てきます。この事実を医者は自然治癒だと説明します。しかし医者はこの自然治癒を求めようとしません。医者は心の病気の症状がある子どもに病名をつけて、すぐに投薬治療を始めてしまいます。

 子どもの場合、心の病気の症状を薬を用いてなくそうとするのはかえって心の病の治癒を阻害しているようです。今まで子どもの心の病気から完治した子どもを観察する限り、可能な限り子どもを苦しめている要因を取り除き、子どもの心が安定化する対応をとることが一番最初になされなければなりませんし、それが子どもの心の病気の治療法のようです。別の見方をすると、子どもの心の病気の症状がなくなるような対応を親や子どもの周囲の大人がする必要があるという意味です。子どもの心の病気の症状があるなしを指標にして、親や子どもの周囲の大人は子どもへの対応を選択し行うべきだという意味です。

 薬を投与して子どもの心の病気の症状が無くなったら、子どもも薬を飲めば心の病気が治ると考えて、薬を飲み続けようとします。薬を飲むことに一生懸命になって、心の病気を解決しようとする努力をしなくなります。薬を飲むことで心の病気の症状がわからなくなったら、親や周囲の大人は子どもの心の病気への対応法がわからなくなります。わからないまま子どもが苦しむ対応を続けることになり、子どもの心の病を治せないことになります。大人になっても心の病気の症状で苦しみ続けることになります。


(2) 予め知っておいて欲しいこと

$1 障害と言う言葉が意味するものは

 障害とは、日常生活をする上で支障を来しやすいという意味です。生活に不便だという意味です。生活に不便だからといって病気では無いです。また、文化が変わると障害であった物が障害で無くなる場合もあります。

 障害者とは日常生活に障害(日常生活の質の度合いをQLOと表現します)を来す人を言います。日常生活に障害を来す程度(QLO)はその人と周囲の人との関係で大きく異なります。現代のように管理された社会の中で生活するとき、その管理から逸脱する人は障害者として見なされる傾向にあります。管理された社会の中では障害者でも、管理の弱い社会の中では、障害者として扱う必要がないことも多いようです。ですから、基本的に障害と病気とは異なる概念です。しかし多くの人は混同して用いているようです。

 障害を持っている人である障害者には身体障害者の他に精神障害者と発達障害者があります。身体障害者は何かの原因で生じた、身体にはっきりと分かる障害を持っていますから、わかりやすいです。精神障害者は精神活動に関して生活に障害を生じる場合であり、その判断は人によって大きく異なります。またその原因も分かっていません。発達障害は子どもに期待される能力や精神活動の発達が不十分で、日常生活に障害を来す場合です。生まれつき脳の機能(脳本体ではない)に異常があると言われていますが、未だにそれを証明できていません。

$2 発達障害とは

 発達障害とは、子どもの性格に分類で、病気ではありません。発達障害を判断された性格が、学校を含めた子どもの社会生活に不便なだけです。子どもの社会生活を管理する人にとって不都合なだけです。

$3 精神障害とは

 子どもが出す精神症状は、大人の精神症状とほぼ同じです。けれど子どもが精神症状を出していて、それが家庭生活や社会生活に障害をもたらしても、その子どもは精神病ではありません。子どもの場合、何かに反応をして条件反射(トラウマ)から病的な症状を出しています。この子どもが反応する何かが見つからないから、病気と解釈してしまう医者や大人が多いです。

$4 その他の子ども障害

 話題になりやすい子どもの障害として、(普段よく使われている言葉で)知的障害、言語障害、自閉症、高機能自閉症、ADHD、摂食障害、チック障害、夜尿症、分離不安障害、場面緘黙、こだわり、などがあります。これらは病的ですが、病気ではないです。子どもが何かに反応して、ストレス状態にあると言う意味です

$5 潜在性の精神疾患

 発達障害や子どもが出す問題行動、心の病の症状の中には、精神疾患の診断基準の一部に該当すると医者が診断する場合があります。その時医者は、現在は精神疾患では無いが、精神疾患が潜在的に存在していて、将来精神疾患が発病すると主張して、精神疾患の治療を子どもに介する医者がいます。精神疾患が潜在するという証拠はどこにもありません。医者が医者の思いつきでそう判断しただけです。

 発達障害や問題行動、心の病の症状を出す子どもの中に、成長をして精神疾患の診断基準を満たす子どもが出てきます。それは決してこれの子どもに潜在的な精神疾患が存在していたのでは無くて、発達障害や問題行動、心の病の症状を出す子どもへの親や大人、医者の対応が悪くて、子どもがますます辛くなり、心の病の症状を強めていって、精神疾患の診断基準を満たすような症状を出すようになった(二次症状)だけです。

$6 子どもの精神疾患

 精神疾患の診断基準は元々大人について定められていました。子どもの中にはこの精神疾患の診断基準を満たす子どもと医者が判断する子どもが出てきます。そこで医者はその子どもが精神疾患だと診断して、大人と同じように投薬を含めた治療を開始します。

 ところが子どもの脳の機能と大人の脳の機能と大きく異なります。大人の心に当てはまることでも子どもの心に当てはまらないことが多いです。大人の精神疾患の診断基準を子どもに当てはめたら大きな間違いになります。

$7 障害の診断

障害の診断は、その障害毎に予め定められた診断基準に基づいて、医者の主観からなされます。客観的な尺度がないので、医者により診断が異なることがあります。医者により診断が異なることを避けるために、トレーニングを受けた医者により診断されるのが原則です。心理テストなども検査する人の主観からなされる物が多いです。検査を受けた結果からの診断だと言っても、その診断はやはり主観からの診断であり、客観的な診断では有りません。医者により診断が大きく異なることになります。

$8 薬の効果

向精神薬(心に対して使う薬)は脳の神経回路に作用をして、症状を出す神経回路を働かなくします。症状を出す神経回路だけを働かなくするのなら良いのですが、それ以外の神経回路にも働いています。薬が神経回路にどのように働くのか部分的に分かっている薬もありますが、脳全体の神経回路にどのように働いているのか全く分かっていません。見かけ上副作用が無いように見えても、気付かない副作用があってもおかしくないです。子どもの心の成長をゆがめている可能性があります。

$9 サインとは

類人猿に痛みのような辛い刺激を与えると、類人猿はその痛みが与えられる場所から逃げようとします。その痛みを与えられる場所から逃げられないときには暴れます。暴れても痛みを与え続けると、人間の精神病のような姿をするようになります。
人間の子どもは、辛いことをされるとその場所から逃げだそうとします。その場所から逃げられないときには良い子を演じます。良い子を演じきれなくなると暴れたり大人が嫌がる問題行動をします。その暴れたり大人が嫌がる問題行動を大人の力で押さえつけたり、子どもの性格として暴れたり大人の嫌がる問題行動ができない子どもは、病的な心の症状(精神病)を出します。

これらの子どもが良い子を演じたり、暴れたり大人が嫌がる問題行動をしたり、病的な心の症状を出している姿をサインと言います。但し子どもが良い子を演じているときには、その子どもが本当に良い子なのか、良い子を演じているのか区別がつかない場合が多いです。

子どもが暴れたり大人が嫌がる問題行動をしたり、病的な心の症状を出していると、多くの大人は子どもが発している辛いよというサインを誤解して、子どもの性格が悪い、子どもが病気だと誤解して、子どもが出すサインをなくそうとします。それはますます子どもを辛くして、子どもはより強いサインを出すようになります。

$10 子どもの症状と大人のする対応の悪循環

何か症状を出している子どもへの対応の際に気をつけなければならないことです。常識では子どもが何か症状を出しているとき、その症状をなくそうとするのが大人の対応です。子どもが症状で苦しんでいるのだから、その症状を無くしてあげると子どもが楽になる、子どもを守られると考えるのが常識です。

子どもは何か辛いことがあるから、辛いと言う意味のサインである症状を出しています。大人が考えるように症状があるから辛いのでは無いです。子こどもから症状を取り除くことができても、子どもの何か辛いことがあるから辛いことには変わりありません。子どもは症状を出していることを認められるとそれだけ辛さが減って症状が軽くなります。ところが症状をなくそうとする大人の対応は、子どもが症状を出している姿を否定することになりますから、子どもはその症状を出している辛さ以上に辛くなります。子どもの症状をなくそうとする対応はますます子どもの症状を強めてしまいます。または大人の前では良い子を演じて症状を隠しますが、大人がいなくなったときにもっと強い症状を出してしまいます。

$11 良い子を演じる

 人間の子どもやほ乳類は、したいことを阻害されると、それをしようと暴れます。したくないことを子どもや動物にさせるには、代償として子どもや動物に報償を与える必要があります。

 人間の子どもでは、子どもがしたいことを阻害されと、それをしようと暴れますが、暴れるのを大人の力で押さえられますと、その子どもなりに大人の嫌がることをするようになります。その大人の嫌がることを大人のすぐ前でする場合と、大人の前ではおとなしくなったり、大人の指示通りにするけれど、大人がいなくなると大人の嫌がることをする場合があります。大人の前でおとなしくなったり、大人の指示通りにするけれど、大人がいなくなったときに大人の嫌がることをする場合を“良い子を演じる”と言います。


(3)具体例について

$1 ここ何日か、子どもがお腹が痛い、気持ちが悪いと言って、起きてこない、学校に行こうとしないとき

 小児科に行かせて体に病気が無いことを確かめられて良いです。これらの症状は学校という概念に反応して、自律神経の反応症状です。学校という概念を取り除いてあげると、つまり学校に行かなくてよいとしてあげると、子どものこれらの症状は無くなります。

$2 子どもが家でごろごろしています。ゲームばかりして体調が悪そうです。

 子どもが体の病気で元気が無くごろごろしていることはあります。親が病気を考えるのは仕方が無いです。こどものからだにびょうきがあるときには、体の辛さからゲームすらできません。この子どもはゲームをしなくては自分を維持できない状態だと考えられます。
子どもは元来生き生きしていて、元気に動き回ります。その子どもから元気がなくなったからにはその元気さを失う何か辛いことがあるからです。その辛さから子ども自身を守るために、その子どもなりの楽しさに耽ろうとします。それがゲームです。子どもに加わる登校刺激を取り除くことで解決しますし、それ以外に方法が無いです。

$3 子どもが昼頃起きてきて、夜は明け方まで起きています。健康や成長に親が心配になるとき

 生活を正すようにする、そのために医療を受けると常識では考えます。子どもはこのようにするのが楽だから、元気が出るから、昼と夜を逆転した生活の仕方をしようとします。子どもを朝起こしてしまうと、子どもはとても辛くなり、荒れることが多いです。子どもは昼夜を逆転した生活をしていると、そのうちに昼間の楽しみを求められるようになります。昼と夜を逆転した生活をした方が、子どもは早く元気になり、引きこもりを止めて、その子どもなりの社会活動を始めます。昼と夜を逆転した生活をしていても身体の成長と健康には悪影響はありません。辛い心を元気にできるという点で、心の健康を取り戻すのに大切な生活の仕方です。

$4 子どもがイライラしていて、直ぐに物を壊したり、暴力をふるったりする場合

 親としては子どもが落ち着いて欲しいし、暴れないで欲しいです。止めさせようとすると、ますます子どもは荒れて、余計物を壊します。表情も険しく心の病気ではと考えてしまいます。そこで医者に連れて行く(多くは親だけ行って診察を受ける)と統合失調症又は登校失調症の恐れがあるから薬を処方されます。薬を飲ませても改善が見られないので、薬の種類や量が多くなる傾向になります。薬の副作用で苦しむようになります。医者に相談しても統合失調症にならないようにするために、今は我慢をする必要があると説明されます。

 子どもの周囲に子どもを辛くする物があるから、子どもは辛くなり、耐えきれなくなって、暴れます。多くは子どもに学校を連想させる物です。親が子どもに登校刺激を与えると、子どもは親に向かって暴力をふるいます。どちらも学校を思い出して辛いから学校を思い出させないようにしてくれという子どもからのサインですが、親にはサインと気付かなくて、子どもの心が壊れてしまっていると理解してしまうのです。

 学校を意識しなくて良いようにして、引きこもらせてあげると、子どもは荒れなくなります。親にも暴力をふるわなくなります。その子どもなりの楽しみをさせてあげると、子どもは自然に元気になり、引きこもりを止めて、社会へ出て行くようになります。

$5 パニック

 今まで穏やかだった子どもが突然暴れたり、動悸や息苦しさ、めまい、気持ち悪さを訴えたりするときがあります。時には意識を消失することもあります。てんかんに間違われやすいし、大人ではヒステリーと表現されます。子どもが意識していないある原因に反応して、この症状を出します。医者を受診させると投薬されます。精神安定剤で症状の改善が見られる場合がありますが、本質的な解決にはなりません。

 子どもの場合、反応する物は学校や学校関連の物、その子どもなりに自己否定に関連する物が多いです。それらの物にトラウマが反応して、これらの症状を出します。これらの原因を見つけて、それらに子どもが出くわさないような対応が親に必要です。これらのトラウマに反応する物はその子ども特有ですから、他の人の理解を得るのは大変に難しいです。親が率先して子どもを守る必要があります。

$6 子どもが小学校になってもおねしょをする。お漏らしをする

 親としても、子どもがかわいそうと思い病院に連れて行きます。病院からは安定剤や抗うつ剤が処方されます。それを機会におねしょやお漏らしをしなくなる子どももいます。きっと薬を飲むことで夜尿やお漏らしが直ると安心感を持ったのでは無いかと思われます。多くの子どもではこれらの薬では治りません。

 親が子どもの夜尿やお漏らしを責めないで、夜尿をして良い対応、お漏らしをして良いような工夫をしてあげると、子どもはそのうちに夜尿やお漏らしをしなくなります。夜尿やお漏らしをして良いと親が思っていると子どもが理解すると、その安心感から夜尿やお漏らしをしなくなってしまうのです。子どもが親から肯定されていると感じる必要があります。

$7 子どもの言葉が出てこない。どもる

 親は常識的には言葉の教室に通って、矯正を受けると考えます。もちろん言葉の教室にいる教師により異なりますが、これらの症状を解消しようとすると子どもはますます症状を強めてしまいます。これらの症状を問題視しないで、楽しい時間を過ごしていると、子どもの方で変わってきます。言葉の問題を自分で解決していきます。

 親が子どもに楽しく話しかけないから、子どもが辛くても子どもを責めてしまうから、子どもは言葉が出なくなったり、どもったりするようになっています。親が変わって子どもの言葉の問題を責めないようになり、子どもと一緒に会話を楽しむようにならない限り子どもは言葉の問題を解決できません。

$8 子どもに落ち着きが無い。授業に参加しようとしない。家では落ち着いていてとても信じられない

 学校に相談すると、スクールカウンセラーは子どもに心の病があるからと言って、親に小児精神科受診を勧めます。医者も発達障害の診断をつけて、投薬しようとします。家では落ち着いている子どもの親は、子どもに薬を飲ますことを好まないことが多いです。多くの子どもは服薬を拒否します。それでも親に優しい子どもは親が強く勧めると飲むこともあります。

 子どもが学校で辛いから、子どもは学校で辛いよというサインを出します。そのサインが学校で落ち着きが無くなり、授業を妨害するようになります。しかし家では辛くならないどころが、母親によって学校の辛さを癒やされると、子どもは家では落ち着くことができます。母親によって学校の辛さを癒やされないと、子どもは家で元気が無く、だらだらした姿を見せます。

$9 子どもがじっとしていない。ふらふらと動き回る

 スクールカウンセラーからADHDの可能性を指摘されて、小児精神科受診を勧められます。親も困っていることが多いので、子どもを医者に連れて行きます。医者から投薬を開始されます。薬の効果があった子どもはおとなしくなりますが、薬の効果が無い子どもも多いです。どちらの子どももやがて学校に行かなくなり、親は子どもの不登校で対応に苦しむようになります。医者から精神疾患の可能性を疑われて、多種で多量の薬を服用するようになります。

 子どもが成長の過程でADHDの診断基準に該当する性格を持ち合わせるようになることはあります。そのような子どもは現在の学校制度に適応が難しいです。それよりも家庭内でその子どもなりの成長をさせてあげると、子どもはやがてADHDの診断基準に該当する性格が消えて、活力がある子どもに成長をしていきます。必要に応じて学校制度に戻り、学校制度を利用して成長をする子どももいます。

$10 目をぱちぱちする

 いわゆるチックと表現される症状を出しています。心が緊張するようなときにチックを出します。チックを止めようとするとますますチックを強めてしまいますから、親も困り果てて、子どものためと考えて、子どもを医者に連れて行きます。医者からは薬を処方されますが、効果がみられないことが多いです。直ると信じて薬の飲み続けると、チックが習慣化して、絶えずチックを出し続けるようになってしまいます。

 チックは子どもが出す問題行動の一つです。子どもが辛さを感じていないときには出ないことが多いです。ですから、チックは子どもの心の辛さを判定する尺度にもなります。

$11 同じことを何回も繰り返しする

 子どもが意味がある行動や意味が無い行動を何回も繰り返すとき、それを見ていた大人はこの子はおかしいと感じます。風呂に長く入る、長くシャワーをする、何時間も手を洗うなど、ガス代、水道代に悩む親も出てきます。親の力で止めようとすると、余計繰り返しが増えてしまいます。時間が長くなってしまいます。医者を受診させれば脅迫症状として精神安定剤や抗うつ剤が処方されますが、殆どの場合改善することは無いです。

 子どもは理由が分からない不安から、これらの行動に出ています。行動を繰り返すことで安心感を得て、不安を軽減しています。この行動を押さえつけるとますます不安が強くなり、暴れたり、繰り返す回数や時間が長くなります。子どもの不安の大本は自己否定と言って大丈夫です。これらの繰り返す行動を親が許して、協力をするとこれらの行動は少なくなり、時間も短くなります。子どもの辛さの大本は「自己否定」です。子どもに肯定感を持たせる対応でのみ解決できます。

$12 自分一人で遊んでいる

 子どもの性格として一人で遊ぶのが好きな子どもと、他の子どもと遊ぶのが辛くて一人の世界に逃げてきている子どもがいます。家庭生活の中では、親は助かるぐらいです。学校生活ではクラスの活動に参加しないので、教師が困ります。教師の理由から子どもがクラスの活動に参加するように求めます。参加しない子どもは病気として、その教師の責任から外そうとします。

 子どもの性格として一人で遊ぶのか好きな子どもはその子どもなりの成長をして、大人になり社会へ出て行きます。他の子どもと遊ぶのが辛くて一人の世界に逃げてきた子どもも、一人の世界で元気をつけて、その子どもなりに子ども社会へ、大人社会へ出て行きます。

 病名をつけられて、一人の世界から引き出された子どもは、引き出された世界がその子どもなりの成長を認める社会なら、そのまま引き出された社会で元気に成長をして行かれます。病気を治すとして投薬をされた子どもは社会へ出て行こうとする意欲が強くなりません。薬がうまく効いている間は社会へ出て行けますが、投薬を止めるとまた一人の世界に逃避してしまいます。薬がうまく効かなかった子ども、投薬を止めて一人の世界に戻ろうとしても、戻れなかった子どもは荒れたり問題行動をしたり、病そ的な心の症状を強めてしまいます。

$13 スクールカウンセラーから精神科受診を勧められました

 学校内での問題行動から、教師の対応に限界が来て、教師やスクールカウンセラーから精神科受診を求められることがあります。教師が子どもの問題行動を力で押さえつけようとすればするほど、子どもの問題行動が酷くなったためです。親は精神科受診を拒否しても良いですが、多くの親は子どもが学校に行って欲しいから、求められると医者にかかって問題を解決して、子どもを学校に行かせようとする場合が多いです。それでは親子の間の信頼関係を壊してしまい。子どもの問題行動の解決になりません。

 学校内での子どもの問題行動は、学校内で辛い思いをしているからです。その辛い思いをしてしまう学校に親が積極的に行かさないと、子どもの問題行動は解決しますし、家で子どもは元気に成長ができます。学校が学校のあり方を変えようとしない限り、子どもを不登校にして、子どもの心を守ることが最優先されます。

 この事実を理解している医者は皆無です。病院を受診しても解決にならないばかりか、医者の言うとおりにしたらかえって子どもを辛くして、問題行動を強めてしまいます。家庭内でも問題行動をしたり、病気の症状を出すようになります。このとき医者は二次症状が出たと言いますが、子どもをますます辛くしたことによる病的な症状の悪化です。

$14 自傷行為

 子どもが自傷行為をすると、子どもが自殺をするのではないかと思います。自殺を予防するために、親は藁をもつかむ気持ちで子どもを病院に連れて行きます。病院も自殺をされたら困るので、大量の投薬をしてしまいます。薬漬けにして、自傷行為を押さえつけようとします。大量投薬をするために直ぐに入院になることもあります。

 子ども(大人には当てはまりません)が自傷行為をするのは自殺したいからでは無いです。逆に生きたいけれど辛くて辛くて、その辛さから自分を守るために自傷行為をします。自傷行為をして、痛みを感じることで、辛さから一時的に解放をされようとするのです。

 辛さの原因は自己否定です。親が子どもの自己否定に気付き、自己肯定感を持てるように対応をする必要があります。いわゆるありのままの子どもの姿をそれで良いと認めるのです。

$15 OD

 子どもがODをすると親は死んでしまうのではないかと思って、救急車で病院に連れて行きます。病院では胃洗浄が行われます。その後の様子を見るために入院させられることが多いです。ODに使われる薬は、その時に病院から処方されている薬や、家庭薬のことが多いです。

 子ども(大人には当てはまりません)が0Dをするのは、死にたいからではないです。死にたいほど辛いという意味です。その行動とは逆に、親に助けてと訴えています。胃洗浄で辛い経験をしても、子どもの辛さが続いていると、子どもはまた0Dをしてしまいます。子どもの辛さから親が守ってあげる必要があります。辛さの原因として子どもの自己否定です。自己肯定感に持って行ってあげる必要があります。

$16 毎日「頭が痛い」「周りの景色が速く動くように見える」言っています。精神科を受診したら統合失調症だからと言われて薬が処方されました。

 いわゆる幻聴、幻覚は普通の人でもよく見られます。普通の人では意識に上らなかったり直ぐに忘れてしまうので、幻聴や幻覚は無いと理解しています。夢は幻聴、幻覚の典型例です。夢の多くは意識に上らないから夢を見ていないと理解しています。夢の中には意識に上がる夢があります。それでも寝ている間の経験ですから、幻聴幻覚と区別して、夢と表現します。

 昼間経験する幻聴幻覚でも、多くは意識に上らなかったり、意識に上っても「あれ?」という感じて感じた後直ぐに忘れてしまうので、幻聴幻覚は無いと判断しています。しかし心が辛い人は、経験した幻聴幻覚にこだわる傾向にあります。それが病的な幻聴や厳格になります。

 幻聴や幻覚を訴える子どもは、子どもの心が辛いと言う訴え、サインであり、病気があると言う意味ではありません。薬で幻聴や幻覚の経験を減らせるかもしれませんが、薬を止めると元の幻聴や幻覚の状態に戻ります。薬で解決にはなりません。親が子どもの辛さから子どもを守ることでのみ解決が可能です。

$17 「死にたい」という

 子どもが死にたいという(大人には当てはまりません)場合、子どもが辛さに耐えきれないほど辛いから助けてという意味であり、決して自殺をするという意味ではありません。

 医者にかかると自殺をしないため、統合失調症や鬱病の診断名をつけられて、薬が投与されます。薬で辛さが軽くなると「死にたい」と言わなくなります。しかし薬を止めると以前の辛さがぶり返して、また「死にたい」と言うようになります。そこでまた薬が投与されるようになり、薬を飲み続けることになります。長く飲み続けると薬を止めることだけでも辛くなり、薬を止められなくなります。

$18 毎日ネット通販でたくさんの買い物をして、そのために大金を使います。

 多くの場合通販を止めさせようとすると荒れて、もっと高価な物を買うようになります。親も病気でないかと思い、病院を受診させます。病院から投薬が開始されますが、ネット通販での買い物はなかなか減りません。場合によってはもっと買うようになる場合もあります。親は買い物の金額が減って欲しい物です。

 子どもの辛さから子どもを守ることで、買い物の金額は減ってきます。それを信じて子どもの買い物につきあうしか無いです。このネット通販での買い物は、親に対するお金の上での暴力と考えると対応法が見えてきます。


(3) 誤診の問題

 精神科領域の診断は、人が出すいろいろな症状の種類を、既に医者が決めた診断基準と照らし合わせてなされます。ですから診断する人で症状の解釈が異なり、診断が異なります。それを防ぐために、精神科領域の疾患の診断に熟練した人(専門医)によってなされることになっています。しかし現実には症状の解釈が専門医の間でも異なっていますから、診断や重症度が専門医の間でも異なってしまいます。その結果ある医師の診断名が別のある医師からは別の診断名が下されてしまうことがあります。どちらの医者も医者としての診断は間違いではないですが、診断された人は混乱してしまいます。どちらかの医者が誤診をしていると考えます。但し両方の医者が誤診をしている可能性もあります。

 医師により診断名が異なることは避けなければなりません。けれど現実に、精神科領域の病気には、診断のための客観的な尺度となる物がありません。全て医師の主観的な症状の解釈だけしか有りません。医師により診断名の違い、重症度の違いは避けられません。治療を受けている患者が言葉に表せないぐらいの酷い状況になっている原因です。
 この事実は、精神科領域の病気の診断や重症度が全て誤診の可能性を秘めていることを意味しています。絶対的な病名や重症度は神様しか分からないのです。それどころか精神疾患として治療を受けていた人が、治療を止めることで、治療を受けていた人の環境を変えることで、症状がなくなってしまう場合もあります。精神疾患でない人を精神病と診断した可能性もあります。

 精神科領域の診断や治療法は、大人の精神疾患の治療の中でできあがっています。子どもは大人と異なる脳を持っています。大人と異なる心を持っています。そのような子どもに大人の心について考えられている診断や治療法を当てはめると、大きな間違いになります。大人と同じ診断基準や治療法は当てはまらないことになります。ところが実際の医療現場では、大人の診断基準や治療法を一部手直しして当てはめて行っています。子どもには子どもの脳に即した診断基準や治療法が考えられなければなりませんが、現在の所それはなされていません。つまり子どもについての精神科領域の診断や治療法は誤診である可能性を強く秘めています。

 子どもの場合についてです。子どもに嫌悪刺激を与え続けると、精神疾患の症状を出すようになります。その嫌悪刺激を止めると、子どもは精神疾患の症状を出さなくなります。子どもは嫌悪刺激に反応して精神疾患の症状を出しているのであり、その子どもに精神疾患があるのではないです。つまり子どもの場合子どもの出す精神症状から子どもの精神疾患を診断できないという意味になります。

 けれど精神科医は精神疾患が内在しているから、その精神疾患が顕在化する前に、発病する前に治療が必要だと主張しています。この主張の客観的な根拠はありません。前記の医者の誤診やそれに基づいた間違った治療の結果から、ますます子どもの症状を強めてしまったという医者の経験を肯定することから来ています。子どもについて、誤診を容認する発言をしています。子どもについて発病する前の治療法があるとしたら、この子どもを苦しめている嫌悪刺激から子どもを守ることしかないはずです。


(4) 薬について

 向精神薬(心に対して使う薬)は精神疾患の症状を軽減する薬です。決して精神疾患を治す薬ではありません。病気を治す薬でないという点で、体の病気に使う薬と本質的に異なっています。薬理学的に、脳神経細胞間の伝達を行う伝達物質に作用をすることは分かってきていますが、脳のどの部分にどのように作用して、どのような仕組みで精神症状を軽減できるのか全く分かっていません。ですから、向精神薬を投与して症状が軽減しても、本当に薬の作用で症状が軽減したのか、他の環境などの要件で症状が軽減したのか、判断できません。

 薬がうまく合えば、精神疾患の症状を軽減しますから、日常生活が楽になります。大人では薬を飲むことで社会活動に参加できます。その大人に合う薬を使う意味があります。子どもでも薬を飲むことで症状が楽になり、日常生活が楽になります。親は子どもに薬を飲ますことで、子どもの精神疾患が治るのではないかと考えて、一生懸命子どもに薬を飲ませ続けます。子どもも薬を飲むことで自分の精神疾患が治ると考えて薬を飲み続けようとしますし、自分の辛い症状が精神疾患から出ていると信じ込んでしまいます。子どもの場合、辛い精神症状を出しても薬以外の対応の変化、環境の変化で、辛い神経症状がなくすせますが、薬は一時的な精神症状の軽減に過ぎません。子どもが精神疾患だと信じ込んでしまうと、薬以外の対応や治療を受けようとしなくなります。それは子どもが一生精神疾患患者として生きることになります。子どもの将来の可能性を全て奪うことになります。

 経験的に多くの向精神薬を飲んでいる子どもについて、向精神薬を飲んでも症状が改善しないか、日常生活が楽になるほど改善しません。そこで医者はもっと脳に影響を及ぼすような薬を投与しますし、その種類や量が増えていきます。それは子どもの精神症状を軽減することもありますが、薬の副作用で子どもの日常生活に障害を生じるようになります。薬そのものの副作用がまるで精神症状のような症状を出すようになる場合も多いです。これらの薬の副作用をなくするために、新たに薬が投与されるようになり、子どもは多種の薬を多量に飲まされることになります。子どもの心が薬で死んだ状態になってしまいます。

 子どもに長期に薬を飲ませたときの影響は、全く分かっていません。向精神薬は内臓ばかりでなく、子どもの心の成長にどのような影響を与えるのか全く分かっていません。精神症状について薬の作用に注目していますが、その裏で薬が脳の機能に悪影響を与えていることに注目していません。知らないうちに心の成長を阻害しています。場合によっては薬に対する依存を生じています。薬は子どもの成長に必要な物ではないです。長期に飲ますべきではありません。

 経験的な話になりますが、飲んでいる薬を止めると元の精神症状が出てしまいます。そこで薬を飲まし続けると、子どもの年齢が進んでも心の成長が見られません。大人の年齢になっても、家庭生活がかろうじてできるだけになる人もいますが、多くはいわゆるニート、フリーターという生活しかできなくなります。親も気付いていないようですが、薬が子どもの可能性を奪った症例をよく見かけます。


(5) 抗精神薬は本当に病気を治すのか?

 全ての薬について、薬の効果と副作用は薬に添付される効能書に書かれています。その添付書には{効能・効果}の項目があり、そこには投与して良い疾患名が書かれています。投与して良い疾患名であり、”治癒を保証しているのではない”です。医者は患者についている診断名に基づいて、その診断名で許可されている薬を投与しています。薬を投与することで自覚的に、他覚的に症状が軽減するとか、臨床検査で検査データが良くなっていると病気が良くなってきている。病気が直ってはいないけれど、日常生活の中で問題ないようになっていると判断します。

 体の病気に投与される薬の多くは、薬を投与することで症状が軽減すると治癒の方向にあると考えられますし、現実に病気が治癒します。体を生理的な状態に保つことができます。薬自体が病気の原因を解決する場合もありますし、薬が症状を軽減して時間を稼ぐと、体の生命力が病気を治してしまうからです。

 向精神薬(精神科領域の薬)の内でも抗精神薬(統合失調症の治療薬)に限定しての議論です。しかし他の向精神薬にも基本的に当てはまります。統合失調症は脳の機能の病気です。薬を投与することで症状が軽減できる薬を抗精神薬と言います。抗精神薬で症状が軽減しても統合失調症が治りません。抗精神薬で症状が軽減した状態を維持したとしても、統合失調症が治りません。統合失調症と診断された症状が軽減すると、患者の周囲の人が助かります。しかし子どもの場合は、当人に病識がない場合が多いので、必要ないことまたは嫌なことをされると判断して、治療に抵抗をすることが多いです。患者自身から見たら、飲みたくない薬を飲まされるのですから、人権侵害になります。しかし法律的には周囲の人の便宜性が優先して、法律違反になりません。

 抗精神薬の効果は、薬を投与することでどれだけ統合失調症の症状が改善するかで判断されます。その判断も医者の主観でなされます。統合失調症の症状を測定する方法がないです。どうしても医者の主観は、薬が効果的であるような先入観を持って症状を判断してしまいます。例え二重盲検試験で抗精神薬が有効と判断されても、その症状の改善効果は限定できである可能性を十分に含んでいます。薬の効果が無い場合もあります。まして抗精神薬が統合失調症を治癒させるという保証になりません。それなのに医者は、抗精神薬で統合失調症が治せると患者に説明しています。

 抗精神薬の問題点で注目しなければならないことは、抗精神薬の症状軽減効果に比べて、副作用が出す症状が強いという事実です。効能書にはいろいろな副作用が書かれていますが、薬の効果と副作用との関係を比較した文献を見たことがありません。統合失調症に抗精神薬を投与する場合、統合失調症の症状が消失するほど投与したとき、副作用も強く出て(その副作用がまるで新たな精神疾患を生じさせたように思える場合もあります)きます。その副作用を消すために、新たな薬が投与されて、患者は多種多量の薬を飲まされてしまいます。私たちの経験では統合失調症でその治療のために投薬されている薬を減らしたり、止めることで、統合失調症の症状がなくなり、それ以後全く出なくなって、社会へ出られた子どもを数経験しています。

 薬で症状が軽減すると、周囲の人は統合失調症の人が出す症状への対応に苦しまなくてよくなりますが、統合失調症と診断されている当人は、薬の副作用で苦しむことになります。薬で人格が変わったようになる場合(無気力で無表情。自分の身の周りのこともできない)もあります。特に子どもの場合、人格形成に悪い効果が出ることが推測されます。医者は統合失調症の症状が消えさえすれば治療がうまくいっていると判断して、副作用の有無にはそれほど配慮しません。

 子どもは心の発達期にあります。脳の中で基本的な神経回路が確立していく時期にあります。子どもに抗精神薬を投与すると、その薬の持つ副作用から子どもを苦しめて子どもの性格を変化させてしまいます。子どもの大人になったときの人格に悪い影響を与るはずです。また、抗精神薬が脳の機能に直に、又は長期に与える副作用については全く分かっていません。


(6) 発達障害

 ダウン症で書家の金澤翔子さん(書かれた書がhttp://www.pref.iwate.jp/view.rbz?cd=35683 で紹介されています)の活動が報道されました。金澤翔子さんはダウン症に併発する脳障害から知的な障害を生じて、母親との生活をよぎなくされているようですが、書道に関する天才と言われている能力から日本中を飛び回って書道の活動をしています。

 サバンと表現される人たちがいます。脳障害により日常生活に障害を持っていますから発達障害の病名を持っているけれど、ある特殊な分野で天才的な能力を発揮するようになっている人たちです。この人たちは発達障害の病名を持っていても、精神科領域での発達障害ではありません。精神科領域の発達障害とは、脳障害がないという前提条件があります。

 脳障害がない人が出す発達障害の症状と、脳障害がある人が出す発達障害の症状と、区別は大変に難しいです。それ故に精神科医は、脳障害がない人が出す発達障害の症状も、今の科学で知ることができない脳障害から生じていると考えています。多くの人が、発達障害の子どもに関係している人ですら、これらの区別をしていません。脳障害がある発達障害と言われた人への対応を脳障害がない発達障害と言われた人へ行っている場合が多いです。

 脳障害のある人への対応は、残っている能力を伸ばす対応です。脳障害がある人自身も自分の能力が伸びて周囲の人が喜ぶから、その能力を伸ばそうとする場合が多いようです。経験的な話ですが、脳障害がなくて発達障害の症状を出している人に、脳障害がある人の対応を行ったなら、脳障害がなくて発達障害の症状を出している人はますます辛くなってしまいます。発達障害の症状を強めて言ってしまいます。

 脳障害がなくて発達障害の症状を出している人たちは、人によって異なりますが、人間関係に苦しんで発達障害の症状を出しています。というより、子どもの時に誰にでもある心の幼児性から心が発達させられないでいる状態です。幼児性の状態の心から心が発達させられないで、年齢が進んでも幼児性を表現している姿です。それならなぜ幼児性から心が発達させられなかったかという問題があります。

 親や大人に子どもを苦しめたという記憶がなくても、親や大人がごく当たり前として行ってきた対応で、その子どもなりに身につけている感受性から子どもが苦しんで、子どもが自分の幼児性から心を発達させられなかったのです。このように親や大人の対応で苦しんで発達障害の症状を出している子どもには、親や大人の常識的な対応は今までその子どもを辛くしてきた対応の延長線上にありますから、ますます苦しくなって発達障害の症状を強めていきます。年齢が進むに従って固定化していくことになります。

 現在までの所、発達障害とは子どもの性格の分類です。子どもの性格が大人の期待する性格と異なっていても、それを異常とか、病気と判断したら、一生懸命大人に向かって成長をしようとしている子どもを大変に辛くします。子どもの人権侵害になります。私たちは私たちの人権を主張しています。子ども達も当然人権を主張して良いし、弱い立場にある子ども達の人権を私たち大人は守る必要があります。

 子どもの性格が大人の期待する性格と異なっていても、私たち大人はその事実を尊重して、その事実を肯定して子どもの成長を待つ必要があります。現実に発達障害の診断された子ども達を、その問題行動や症状があるまま、その子どもの素直な成長を待つと、発達障害と診断された子どもは、成長をしてごく普通の大人になっていますし、普通の大人以上の能力を発揮する場合があります。

  発達障害は生まれつき脳の機能障害と言われていますが、乳幼児期に気づくことはないようです。気づくとしたら、良い意味でも悪い意味でも、一風変わった性格の子どもとして理解されます。それでも多くの子どもは成長とともに性格が変化していき、障害者として考えなくて良くなります。発達障害という概念がない時代には、一風変わった子どもと理解されていた子どもを、現在では発達障害と表現しているようです。

 一風変わった子どもでも、子どもが家庭にいるかぎり、大きな問題を起こしません。子どもの性格に親の対応を合わせられるからです。ところが子どもが幼稚園や小学校という子どもの社会生活を始めると、問題を指摘されるようになってきます。子どもの社会を管理している人が、その子どもの社会を管理できなくなるからです。子どもが問題を指摘されても、子どもの社会で受けた辛さを家庭で解消できたなら、子ども自身が自分の問題をその子どもなりに解決して、その子どもなりに成長が可能です。子ども社会に順応するようになります。

 幼稚園や保育園、小学校という幼い子ども社会で問題を起こす子どもの行動を、親や大人の力で押さえつけて解決しようとすると、子どもはますます問題を起こすようになります。その心の仕組みは分かりませんが、その子どもの反応の仕方以前の反応の仕方に戻ってしまいます。より幼児化を生じて、子どもは集団に不適応な反応を強めていきます。子どもの心の成長を止めるだけでなく退行化を生じて、子ども社会での問題児となり、現在では発達障害と理解されるようになっています。つまり発達障害とは、子どもが属する子ども社会に不適応を起こしている子どもの性格のことです。子どもの性格の分類の一つです。

 子どもの性格ですから、子どもが属する子ども社会を変えることで、子どもが社会に不適応を起こさなくなることもあります。発達障害でなくなります。発達障害は発達障害という概念で子どもを見ることで始まります。発達障害という子どもの状態は絶対的なものではなくて、相対的なものです。子どもが属する子ども社会によって変わってきます。親の対応でも変わってきます。

 現在の大人社会は、発達障害と分類された子どもを、子どもが属す子ども社会に適応させようとあらゆる努力をしています。ところが現実には、その努力がますます発達障害と分類された子どもの性格を強めています。現実には、多くの大人の努力とお金を用いて、発達障害と分類された子どもの性格を強めています。その際に気づくことは、いったん発達障害と分類された子どもを、大人は発達障害という大人が作り上げた概念から見て(色眼鏡で見ると表現することがあります)しまうことです。決して子どもの心を素直に見つめようとしません。それは子どもの心の理解を誤りますし、子どもはますます発達障害と分類される性格を強めていきます。そしてこの事実を理解できる大人が殆どいません。

 子どもが属する子ども社会に不適応を起こしている子どもの親は、子どもがなぜ不適応を起こしているのか悩み苦しみます。そのとき子どもが病気という意味で発達障害と診断されると、親は原因が分かったと考えて安心をします。子どもの心を守ろうとする対応から、子どもの心を治療する対応に変えます。子どもを医療にかける努力に変わります。医療の内容によりその影響は異なりますが、それは子どもにとって子どもなりに素直に成長したいという子ども特有の本能を否定することになり、ますます不適応を強めて言ってしまいます。子どもによっては神経症状や精神症状を出すようになります。二次精神症状を出すようになります。


(7) 精神障害と精神病

 精神障害という状態があることは事実です。鬱状態、統合失調状態は存在しています。しかしこれだけ科学が発達しても、精神病(精神疾患)という病気が存在するという証拠は未だに見つかっていません。ですから公式には精神障害と表現されます。精神病はきっと存在しない可能性が高いからです。少なくとも子どもでは精神病は存在していません。子どもには必ず精神症状を出す原因があるからです。この精神症状が固定化した大人では原因がなくても精神症状を出す場合があります。医者はこのような大人の精神疾患を子どもが出す精神症状にも当てはめています。

 医者は症状名を羅列した診断基準を元に、医者の判断で精神障害だと診断しています。それはまるで法律と裁判官のような物です。診断基準が法律で、診断する医者が裁判官に相当します。法律は時代とともに変化をします。診断基準も時代とともに変化をします。裁判官は何人かで判断をしますし、一審の地方裁判所から、三審の最高裁判所まで、三回審議されますが、医者の場合一人の医者で一回で診断が決まります。診断のし直しが基本的にありません。そこでセカンドオピニオンの意味が最近重要視されています。

 子どもの場合、精神障害と言う病気=精神病はないと考えた方が子どもの心の健康に良いです。子どもの場合、子どもが精神症状を出す原因が必ずあるからです。原因があって精神症状を出す場合は精神病ではないです。ところが原因があっても医者が原因と気付かなかったり、原因でないと考えたとき、子どもは精神病と診断されます。または未だ精神病ではないが、将来精神病になるとされて、投薬治療が開始されます。

 子どもの心が辛いとき、子どもはその辛さの原因から逃げ出します。逃げ出せないときには子どもは良い子を演じます。その良い子を演じきれなくなったとき、子どもはその原因に向かって荒れます。その荒れるのを大きな力で押さえつけられたとき、又は荒れるのを嫌がる子どもは、自律神経症状や精神症状を出すようになります。つまり子どもが精神症状を出すのは、子どもの心が辛すぎて、その辛さから自分自身を守りきれなくなったときです。

 子どもは何か辛い原因があって精神症状を出すのに、なぜ親や医者がその原因に気付かないで、子どもを精神病者と考えるかとの問題は、次章の「トラウマと精神症状」で説明されます。つまり子どもが精神症状を出していても、子どものトラウマを疼かす物から子どもを守ると、子どもは精神症状を出さなくなります。今までの経験ですと、このトラウマを疼かす物は、義務教育段階の子どもではほぼ100%学校です。義務教育を終わると学校や仕事に変化していきます。そしてトラウマが疼く頻度が多くなると、自己否定がトラウマを疼かすようになります。子どもが精神症状を出すとき、学校を忘れさせてあげること、自己肯定感を持たせてあげると、子どもの精神症状はなくなっていきます。


(8) トラウマと精神疾患

 子どもは学習した辛さを生じる条件刺激(他の人では何でも無いもの、時には喜びでもあるもの)で、辛さを生じる条件反射(トラウマが反応)を生じて辛くなり、回避行動を取ります。その回避行動は辛さを生じる条件刺激から逃げようとし、辛さを生じる条件刺激から逃げられないときには、暴れたり問題行動をしたり、心の病の症状を出します。しかし辛さを生じる条件刺激が無くなったら(トラウマが疼かなかったら)、子どもの辛さは無くなり、子どもはその子どもなりの生活をすることができます。

 子どもが辛さを生じる条件刺激で辛さを生じる条件反射を生じて辛くなったとき、その時その子どもの周囲にあった物を、新たな辛さを生じる条件刺激として学習します。これを条件刺激の汎化(新たなトラウマを作る)と言います。辛さを生じる条件刺激が一つで無くなり、複数になります。最初に学習した辛さを生じる条件刺激が無くても、その後学習した辛さを生じる条件刺激で辛くなってしまいます。子どもを辛くする条件刺激がどれだか全く分からなくなります。本当は辛さを生じる条件刺激があるのに、その事実が分からないから、辛さを生じる条件刺激が無くても、辛さを生じる条件反射が生じているように理解されやすくなります。引きこもりの子どもが家の周囲の物や近所の人に辛さを感じて、外出を拒否するようになるのも、この辛さを生じる条件刺激の汎化です。部屋の中に引きこもり、親を拒否するのも、この辛さを生じる条件刺激の汎化です。

 子どもが汎化した辛さを生じる条件刺激から守られていないと、親に理解できない原因で、子どもが暴れたり問題行動をしたり、心の病の症状を出してしまいます。不登校の問題を対応している人も、子どもが学校に行こうとしないのは、学校が辛くて学校に行けないことを理解します。そこで学校に行けないなら、適応指導教室、フリースクールなどに行くことを勧めてしまいます。しかしこれらの人は、子どもがこれらの学校以外の場所に行けないことを理解できません。子どもが汎化した辛さを生じる条件刺激で辛くなり、その条件刺激から逃れられなくて、暴れたり問題行動をしたり、病的な心の症状を出しても、その汎化をした辛さを生じる条件刺激の存在に気付きませんから、原因がないのに子どもが暴れたり問題行動をしたり、病的な心の症状を出していると理解します。子どもに問題があるから、子どもの中にある問題を解決する必要があると考えます。子どもが精神疾患だと理解します。

 現在の精神科領域で精神疾患とされている人たちは、医者が気付かない汎化した辛さを生じる条件刺激にさらされ続けている人たちの姿です。辛い心の病的な症状に苦しみ続けている人でも、時にその症状が軽くなるのは、その気付かない汎化した辛さを生じる条件刺激が無くなっているときです。その気付かない汎化した辛さを生じる条件刺激から、精神疾患とされている人たちを守るだけで、その精神疾患とされている人たちを辛い症状から守ることができます。

 辛さを生じる条件刺激に辛さを生じる条件反射(トラウマ)が反応して、辛い症状を体中に表現します。その過程は神経反応で、f−MRIで見ることができます。神経回路は条件反射が反応すればするほど強化されて、消失しにくくなります。f−MRIで見られる像が強く、特徴的になってきます。また、条件反射が反応すればするほど、条件刺激に対する刺激閾値が低くなります。辛さを生じる条件刺激に敏感に強く反応するようになります。これを逆の見方をするなら、辛さを生じる条件刺激に敏感に反応する人ほど、辛さを生じる条件反射(トラウマ)が強く形成されていて、辛さを生じる条件反射(トラウマ)が強く反応する人ほど、脳内に構造的に強く神経回路が作られて、回復に時間がかかります。

大人の精神疾患と言われている人たちは、気付かれない複数の辛さを生じる条件刺激に長さらされ続けているので、多数の辛さを生じる条件刺激にも敏感に反応し、脳内にf−MRIでも観察可能な強固な神経回路ができていています。この神経回路が働くために必要な神経伝達物質が過剰に作られたり、過剰に消費されて、精神疾患と見なされない人の脳内伝達物質と比較して、神経伝達物質についてある物は過剰に存在し、ある物は枯渇しています。この病的な心の症状を出す神経回路を構造的にも強固にするために必要な物質を作るため、脳内の遺伝子情報が異なってきていると言われています。


(9) 15年の月日を返して

 診察室に35歳の女性が入ってきました。入って来るなり
「私にはもう未来がない。死にたい。」
と、泣き出しました。

 女性の説明では、女性が大学時代に大学に通学できなくなって、家で酷く荒れました。困り果てた両親が病気ではないかと思って、女性を病院に連れて行きました。女性は薬を飲みたくなかったのですが、両親から薬を飲むと治って大学に行かれるようになるからと言われて、薬を飲み出しました。薬を飲み出すと、しばらくして女性は荒れなくなりましたから、両親は大喜びでした。薬を飲めば女性の問題は解決すると考えたのです。

 女性も大学に行き就職して結婚したいと希望していました。薬を飲むと大学に行かれると信じて、決められた日にきちんと通院して、医者の面談を受け、薬を飲み続けました。薬を飲んでいても調子が悪くなることがありました。それを医者に訴えると、医者は薬の量や種類を変えてくれました。そして大学に通学できないけれど、近所で買い物ができるようになり、好きなライブなどにも出かけられるようになりました。女性もこれで必ず元気になれて社会に出られると信じていました。

 病院に通院しだして15年がたちました。医者が
「ぼつぼつ障害者手帳を貰って、自分で生活をすることを考えてみたら?」
と言いました。女性は障害者手帳の意味を知らなかったようですが、自分の病気が治らないと言われたと理解して、主治医に不信感を生じて、当院を受診したのです。そこで通院時代の診断名を尋ねると、女性はこの15年間診断名も教えられないで8種類の薬を服用していました。飲んでいた薬の処方箋を見ると、リスパダールが投与されていました。女性はリスパダールを数年飲み続けていたようです。

 「リスパダールは統合失調症の患者に出す薬です。統合失調症の人に出して、その症状を軽減できるけれど、統合失調症を治す薬ではないです。」
と女性に説明すると、女性は絶句してしまいました。
「治ると言われたから一生懸命通院して薬を飲んだけれど、治らない病気だった。」
という女性に、経過から言って誤診の可能性が高いことを伝えて、減薬に挑戦することになりました。

 現在女性は未だ精神安定剤を一種類だけ少量服用しています。普通の女性と同じ生活ができています。未だ就職をしていませんが、職探しを始めています。治療を受けていた15年を返して欲しいと言っています。

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