大人の尺度、子供の尺度

 動物はそれぞれに、その動物の行動の基準、尺度、反応のパッターンを持っています。つまりどの様な刺激がくればどの様に反応するという、反応の仕方である。敵に襲われれば逃げようとしますし、自分の子供をかわいがろうとします。これらの行動は、人間では本能的なもの、情動的なもの、理性的なものなどがあります。いまこれを物差しに例えて、簡単に尺度と表現することにします。

 人間に関してこの尺度は大変に複雑です。それだからこそ人間であり、人間の個性であり、人間の多様性です。いまこの尺度を日本人の大人について考えてみます。大人の尺度は親からもらった本能的なものもありますが、人間の場合はその割合は大変に少ないです。多くの尺度はその人が生まれ落ちてから現在までの生活の中で学習してきて、身につけたものです。その中には日本社会に共通するものもあります。その人個人に特有なものもあります。それが良い悪いは別にして、全ての人が意識的に、無意識的にその人尺度に照らして判断して行動しています。その人に判断の尺度が無いときは他人に相談する、本を読むなどの他人の尺度を取り入れて、判断行動をしています。そしてそれは新たな自分の尺度になって行きます。それは子供についても全く同様です。ただし子供は経験が少ないだけ社会科ら学んだ尺度を持ち合わせていません。それに加えて、とても重大なことですが、他人から与えられた尺度で判断して行動をする能力を十分に持ち合わせていません。その結果、多くの場合、自分の持っている情動的な反応から、それを尺度にして行動をします。

 十年一昔といわれています。今の文明の発達の速度は、一年一昔と言った方が良いと思います。その間に日本人の尺度も猛烈な勢いで変化していっています。

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