子供の心の構造(最新神経生理学からの観点)
「はじめに」
人間の心が脳の機能そのものであることを疑う人はいません。その脳に関しても、最近では測定技術の向上により、その構造、部位と機能の内容がかなりわかってきています。これから述べる事柄は、動物実験の蓄積、MRI、PET等の最新医療診断技術の発達等から分かってきたことです。不思議に思われる方、信用しないと思われる方も多いと思います。特に動物実験の内容がどうして人間に当てはまるのだと言われる方も多いと思います。ところが動物の脳の進化は次々と新しい能力を付け足す形で進化しています。それ故に、人間にも動物にも共通する脳の部分は、その構造、機能が全く同じでないまでも、非常に似ていると考えられますし、特に猿から獲られた結果は、ほぼ人間に当てはまるように考えられます。
「解剖学的な観点から」
人間が外から刺激を受けてその反応を起こすとき、その反応を規定する所は、判断する所は、三か所あります。額のところにある前頭葉の大脳皮質(眼か前頭回)と、大脳の底近くにある左右一対の扁桃核と、脳の一番後ろにあり脊髄につながる脳幹です。前頭葉はその時までに学習した、記憶した知識に基づいて判断する、人間の考える脳、理性の部分です。以後これを「理性の脳」と表現することにします。
扁桃核は情動の反応の場所です。外からの刺激に対して感情を生じたり、反射的な行動を起こすところです。その反応の仕方は生まれ落ちたときからその時までに情動に関して学んでできあがった反応パターンできまります。それは性格に相当します。以後これを「情動の脳」と呼ぶことにします。
脳幹は体内の生理学的な維持の判断を行います。これを呼ぶなら「生命の脳」とでも言えます。心に関しては、脳幹は心の表現だけと考えられます。
このように理性の脳と情動の脳とは、同じ大脳の中でも別なところにあり、互いに好ましい関係を持って働くことが希望されます。ところがこの理性の脳と情動の脳とが独立して機能した時には、理性と情動がまったく異なった動きをする事があります。いわゆる二重人格と呼ばれるものです。また、理性の脳だけが強く働く場合も、情動だけが強く働く場合もあります。
「脳神経生理的な観点から」
人間の明瞭な、意識的な思考、判断は前頭葉眼か前頭回(理性の脳)で行われます。目や耳の感覚器からの情報は大脳内の視床を経て、大脳皮質の一次感覚野に投影され、感覚連合野で処理され、前頭葉に送られて認識されるようです。前頭葉では、感覚連合野からの情報を陳述記憶(思い出すことが可能な、具体的な内容の記憶。大脳皮質内にある。たとえばいついつに何をしたと言うような事実や空の色は青とか、自分の名前など)と照らし合わして、扁桃核(情動の脳)からの影響下に判断して(必ず情動が関係していると言う意味です)、行動を起こすための情報を脳の各部分に送りだします。またこの際の情報を一時蓄えて、情動の脳からの影響を受けて(何を記憶するかは、情動が大きく影響します)、その内の一部を陳述記憶として新たに大脳皮質に蓄えます。この判断の際に、簡単な演算のようなものは理性の脳だけで判断できますが、それ以外の判断は情動の脳からの指示がない限り判断できないことが分かっています。これらの事実を別な見方から見れば、記憶は情動が決める、気持ちが落ちついて、勉強したいと思わない限り、勉強した内容を覚えることはできないことが分かります。また冷静な判断も、情動が落ちついていない限り、不可能なことが分かると思います。
理性の脳ではでは扁桃核の中で進行している情動の状態を知ることはできないようです。すなわち理性の脳は情動の脳の動きを直に知ることができないようです。理性の脳は、情動の脳が体に表現したものを感じ取って情動の内容を判断しています。成熟した理性の脳は情動の脳内に生じた情動の継続時間を短くできますが、情動の発生自体を抑えることはできないのに対して、情動脳は理性の脳の判断や記憶に大きな影響を与えます。場合によっては情動の脳が理性の脳を完全に支配してしまうことすらあります。其の状態が理性を失って人間の感情が暴走する状態です。いわゆる”きれた”状態です。
情動は扁桃核(情動の脳)で判断されます。その判断の材料になる情動の記憶は扁桃核の中に蓄えられているようです。その情動の記憶をもたらした背景は海馬核に記憶されます。情動の脳が反応を起こすとき、簡単な記憶を参照するときは、自分自身内にある記憶を用います。複雑な内容の事柄を参照しなくてはならないときには、大脳皮質内に蓄えられた陳述記憶を用いることが分かっています。一般的には、感覚刺激は大脳皮質で処理された後に扁桃核に入ってきて情動を生じます。しかし緊急時には感覚路の途中にある視床から直接情報が扁桃核に入ってきます。この経路から入る情報は大ざっぱな情報のため、情動の脳が間違って反応する原因となり易いです。但し、反応を起こすための時間が短くなるという、個体が危険にさらされたときに、いち早く反応するための経路であろうと考えられています。いち早く情動の脳が反応を起こしても、その後大脳皮質からの情報を得て、情動の脳は情動の脳内に起きている反応を止めることができます。
外からの強い刺激が人間に加わったとき、思考が動き始める前に、すでに情動は反応を始めていることが分かってきました。そして情動の反応が余りにも強いとき、情動は思考を完全に支配下においてしまいます。思考は情動の動くままに反応し、思考の認識がなくなります。つまり、いくら優秀な記憶や知識を身につけていても、ひとたび情動が暴走すると、これらの記憶や知識に関係ない所で、情動のおもむくままに人間は行動をしてしまいます。この際、知性の思考は全く停止しています。一見動いているように見えても、それは情動に支配された大脳の反応です。この情動がおもむくままに行動を起こしたとき、其れが怒りや恐怖であったとき、パニック状態であったり、プッツン暴力となります。
「成長の観点から」
扁桃核の機能は三才ぐらいで成熟するのに対して、前頭葉を含めて大脳皮質の機能の成熟には思春期までかかります。つまり情動は早く大人と同じ機能になるのに対して、子供の思考は大人とは違っている、大人と同じ様な考え方は思春期ぐらいにならないとできないと言う意味になります。子供は生まれ落ちたときには、すでに情動の学習を始めています。それは扁桃核の中には情動の記憶として記憶されて行きますが、大脳が未熟なために陳述記憶には全く残りません。それが子供の性格として親が感じるものの大半を占めているように思われます。また子供では未熟な前頭葉は成熟した扁桃核に簡単に支配されてしまいます。
思考(前頭葉の大脳皮質)−−−−>思考による行動
↑ ↑
| |判断、記憶に
(目)−→(視床)→(感覚野) |大きな影響をあたえる。
| | |
↓ ↓ |
情動(扁桃核)−−−−−−−−−>情動による行動
成熟した前頭葉でも扁桃核の情動が動き出すことを止めることはできません。つまり思考は情動の発動を止めることはできません。しかし発動した情動が続くことを抑えることはできます。つまり同一の感情が続く時間を短くすることはできます。それが人格に相当します。子供では前頭葉の発達が未熟なため、動きだした情動を止めることは大変にむずかしい、ほぼ不可能だと考えられます。
ハーロウ猿の実験を見る限り、出生直後から乳児期にかけて、子供の存在を保証する大人との信頼関係が、子供の性格形成に大きな影響を与えます。もって生まれた遺伝的性質、それに対する信頼する大人(ほとんどが母親)の反応を学習すること、信頼する大人との共感による情動の移入、それらにより基本的な性格が形成されて行きます。幼児期になると、子供は社会と関係を持ちはじめ、もっと複雑な刺激や問題に遭遇します。それが子供にとって辛いもの、危険なものの場合、子供は信頼する大人のもとでそれが解決するのを待ちます。それが過ぎ去ると、子供は信頼する大人のもとを離れて、社会と接触し、新たな経験をします。この繰り返しで、子供は情動の学習を重ねて行き、性格を形成し続けます。
猿の実験でも、信頼する大人のいない猿は、社会性の欠けた性格になります。情動が不安定で攻撃的になります。社会に対する不適応を起こします。
「心の表現」
今までの心理学や教育学では、思考も情動も同じレベルで考えられ、心の表現から、心の内容を分析していました。しかし思考も情動も運動神経を介して体外に表現されますが、情動は自律神経を介して体内にも表現されます。それ故に体外への表現だけでは思考の脳の表現なのか情動の脳の表現なのか区別はできません。それに対して、体内への表現は情動の脳の表現ですから、体内への情動の脳の表現に注目することにより、思考の脳の内容、情動の脳の内容を区別して考えることが可能になります。
「終わりに」
脳の構造、機能、その成熟の時期と言うものを考えると、思考と情動とは分けて考える必要があります。特に情動は子供が自分の意志を示し始めたときにはすでに情動の基本的な物(性格)ができあがっています。少年期以後はいかにできあがってしまっている情動を修正し、社会に適応できるか、意識的に情動を調節できるようになれるかの問題が残っているだけです。
心豊かな人間を作るには乳幼児期の心の成長の過程、内容が大切です。しかしできあがった心の内容を、性格を一部分修正することは可能です。それよりも、自分の意志で自分の情動を管理する能力をつけることの方が易しいし、確実で、人間的にも豊かになれると感じます。
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