トラウマ(心の傷、心的外傷)の概念

 私たちは、「心を傷つけた」とか「心を傷つけられた」とか、表現することがあります。その際に、私たちがそれらの言葉で意味したものは、「嫌な思い、辛い思いをさせた、させられた」と言うものだと思います。大地震や事件、災害で死ぬような思いをしたときには、トラウマを受けたと表現する事が多いように思われます。そのトラウマを受けた結果、いろいろな神経症状を出したり、社会生活の上で不都合な行動をするようになったとき、トラウマがある、トラウマを持っている、と表現しているようです。

 日本でトラウマが注目されだしたのは、1995年の阪神大震災の時です。その際にPTSD(Post Traumatic Stress Disorder)と言う概念が、注目され出しました。現在ではPTSDをトラウマと同義語として用いる人も有ります。しかし、PTSDはトラウマの一つであり、トラウマがPTSDではないと考えるべきでしょう。

 トラウマという言葉は英語の Psychic Trauma から来ています。それを直訳しますと精神上の外傷、心(理)的な外傷となります。心の傷も同じ意味になります。ここではトラウマと言う言葉を用いますが、それには論文関係ではトラウマと言う言葉を使う人が多いと言う事実からだけで、特に意味があるわけではありません。

 ではトラウマとは何かと言う問題が有ります。トラウマは目では見えません。単に人間の刺激に対する反応の仕方の問題です。そこでトラウマを概念的に捕らえてみます。体の中には血管が有り、その中に血液が流れています。その体に傷をつけて怪我をさせると、傷から血液が吹き出し、痛みを感じます。この事実から、心と言う目に見えないものを、あたかも見えるかのように、具象化して体に例えてみます。正常に動く情動の動き方を血管に例えます。情動そのものを血管の中の血液に例えます。この具象化した心の中には血管に相当するたくさんの情動の動き、流れがあります。この心に傷をつける事を考えてみます。すると血管が切れるので、血管に相当する情動の動き方が遮られて、情動がいつもの現れ方をするところにたどり着けなくなります。その結果、心がいつもの心の機能をしなくなります。この状態がトラウマです。体の怪我ですと血液が流れだします。トラウマでは不適応な行動がそれに相当します。体の怪我ですと痛みを感じます。トラウマですとそれは自律神経の症状となります。

  トラウマを神経生理学的に言うなら、それは恐怖を生じる条件反射(恐怖の条件反射と表現します)です。条件反射ですから、条件反射を学習する段階と、条件反射が確立した段階に分かれます。恐怖の条件反射を学習する段階を、トラウマを受ける、人の心を傷つけると表現します。恐怖の条件反射が確立した状態をトラウマがある、心の傷があると表現し、その恐怖の条件反射自体をトラウマ、心の傷と表現します。ここで恐怖についてふれておきます。人間ですと恐怖についていろいろと表現が可能であるため、かえって恐怖の概念を統一できません。そこで実験心理学的に恐怖を定義しておきます。恐怖とは、動物が逃げ出すか、攻撃するか、すくみ(freezing)を起こすような状態と定義します。

  恐怖の条件反射の分かりやすい例として、暴力教師と生徒との関係をあげてみます。暴力教師に殴られた生徒は、それ以後その暴力教師を見て逃げだします。これを神経生理学的に解説します。暴力教師(元来は無関刺激)が殴ったと言う痛み(恐怖を生じる無条件刺激)で恐怖を生じ、その際に、恐怖と連合して、暴力教師(元来は無関刺激)を恐怖の条件刺激として学習します。その後、この生徒が暴力教師(恐怖の条件刺激)を見ると恐怖を生じ(恐怖の条件反射)、この暴力教師に見つからないように逃げだします(恐怖の条件反射の反応)。この例もトラウマと言えないこともありません。しかしトラウマと言う場合には、恐怖の条件反射の反応が、一般の人には理解が難しい場合をさしています。つまり、トラウマでは、恐怖の条件刺激が私たちの周囲の普通に存在していて、私たちには恐怖を与える条件刺激にはならないために、恐怖の条件反射がなぜ起こるのか理解できない場合をさしていることが多いようです。

  これらを基に、トラウマを受ける=心を傷つけられる=恐怖の条件刺激を学習する、について、考えてみます。この際の心を傷つけるものは強い、繰り返す嫌悪刺激(恐怖の無条件刺激、痛み、大きな音、強い光、嫌な臭い等)、場合によっては恐怖を起こす物(これは既に恐怖の条件刺激に成っている場合です。例えば刃物を突きつけられる)で恐怖を生じ、その際に周囲にある物を、例えば登校拒否ですと先生や学校を、恐怖の条件刺激として学習します。PTSDですと、阪神大震災の時の激しい搖れが恐怖の無条件刺激で、その際にごーとする音や、人の悲鳴を恐怖の条件刺激として学習します。化学物質過敏症もトラウマの一つの形です。化学物質過敏症で苦しむ人達はどの様な恐怖の無条件刺激を受けたのか、恐怖そのものを受けたのか、人によって異なります。その際に化学物質の臭いを恐怖の条件刺激として学習しています。ここで注意しなくてはならないことは、トラウマと言う場合には、学習した恐怖の条件刺激が、普通の人では恐怖を起こさないために、普通の人では、なぜその人が恐怖を起こしているのか分からない、恐怖を起こしている本人も、なぜ自分が恐怖を起こしているのか分からないことが、大きな意味を持ちます。

  次にトラウマ=心の傷=恐怖の条件反射とは、既に学習した恐怖の条件刺激にであったとき、恐怖を生じるようになっていることを言います。恐怖の条件反射そのものを言います。今までのいろいろな論文を読むと、トラウマがあるから不適応行動を示すと言うような論法が大半です。しかし神経生理学的に見て分かるように、恐怖の条件刺激が加わらない限り、恐怖の条件反射は起こりません。トラウマは痛みだしません。うずきだしません。トラウマがあっても、トラウマを刺激するもの、恐怖の条件刺激がなければ、なんら問題は有りません。トラウマを気にする必要はないのです。ところが実際は、トラウマを刺激するもの、恐怖の条件刺激は、前述のように、普通の人では恐怖を起こさないものであり、かつトラウマをもっている人には恐怖を起こすため、普通の人では恐怖の条件刺激を見つけだすことができません。トラウマを刺激しないように、対応することができません。普通の人では、なぜその人が恐怖を起こすのか理解できません。そこがトラウマとして問題であり、大切なところです。化学物質過敏症では、未だに多くの医者が、化学物質で生じる体内の反応を研究していますが、見つかるはずは無いのです。その臭いをかいだことで、恐怖の条件反射を起こしているだけだからです。

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