若剣士と殿様

 昔々、ある国に、何につけても自分が一番でなければ気に食わない、わがままな殿様がいました。殿様はとりわけ自分の武道の腕をを自慢していました。それと言うのも、武道の修行の際には、国中で一番優れた武道家を相手にして、いつもその武道家に勝っていたからでした。もちろんお殿様も優れた武道家で有ったことは間違いなかったのですが、本当の所は、武道家がいかにも実力で負けたようなふりをして、実際には殿様にわざと負けて上げていた。そしてその事に、殿様が全く気付かなかっただけのことでした。

 ある日の武道の稽古の時の事でした。その日は指南役が病気のため、その指南役の子供が代わりに殿様の相手をしました。殿様はこの成人前の若剣士を簡単に打ち負かしました。そこで殿様は調子に乗ってしまいました。剣術の先生に成ったような気持ちになり、この若者に稽古をつけてやろうと考えました。

「遠慮はいらん。何処からでもかかってまいれ。」

お殿様は大見えをきりました。もちろんこの若剣士は指南役の父親より

「決して殿様を打ち負かしてはならなぬ。必ず殿様に負けるように。」

と言い聞かされていましたから、やはり殿様に負け続けました。しかし、何度も殿様の木刀で叩かれてしまったので、若剣士はついに我慢が出来なくなり、かんしゃくを起こして、殿様の木刀を払うやいなや、殿様の胴を思い切り打ってしました。殿様は大けがをしました。若剣士は捕らえられて、牢に入れられました。この若剣士の父親もも役を解かれて、国の外へ追い出されました。

 自得心を傷つけられた殿様はかんかんに怒り続けました。けがをした胸の傷みが余計に怒りを強めました。

「自分の主君に怪我をさせるとは何事だ!絶対にゆるせん!」

と言って、殿様は手当り次第に当り散らしましたから、お城の中は大騒動になりました。

 殿様が周囲に当り散らしながらお城の廊下を歩いている時の事でした。殿様はいらいらしていましたから、どおんと廊下の床板を思いきり力いっぱい踏み鳴らしました。すると床板は破れて大きな穴があき、殿様はどおんと床下に落ちてしました。また、その勢いで殿様は地面をも打ち破って、地下の牢屋まで落ちて行ってしまいました。その牢屋の中にはあの若剣士が捕らえられていました。

 殿様は喫驚し、慌てました。大声で牢の番人を呼びましたが、誰も現われませんでした。殿様は若剣士にじいっとにらまれましたから、生きた心地がませんでした。けれども若剣士はにらみつけるだけで、いっこうに殿様に何か復讐をしようとはしませんでした。殿様は不思議に思って若剣士に尋ねました。

「どうして世に復讐をしないのだ?」

「私が復讐をしなくても、殿様は充分に私の復讐をうけています。それよりも、私は自分の未熟さを感じて、自分がいやになっていた所でした。」

と言って、目を逸しました。殿様には返す言葉がありませんでした。殿様はこの若剣士の心に驚き、感心して、この若剣士を見つめていました。

 暫くして、捜しにきた家臣達により殿様は牢屋から出されました。殿様は家臣達に若剣士も牢屋から出すように命じました。その後、殿様はこの若剣士を呼んで、殿様の家臣として自分に仕えるようにと勧めましたが、この若剣士は未熟な自分をもっと鍛え、修行を積みたいと言って、殿様の申し出を断わり、旅に出てしまいました。

 それ以後この殿様は、心の暖かい、思いやりのある、人々に優しい殿様になったと言うことでした。

 

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