渋柿の木の実    須藤 透留
 
 庭の駐車場に面した垣根の側に一本の若い渋柿の木があります。この柿の木は今から約八年前、私が面白半分に買ってきて植えた小さな苗が大きくなったものです。今では幹の太さが十センチ、高さも三メートル以上にもなり、去年より実をつけるようになりました。今年は何十個ものオレンジ色の実を枝もたわわに実らせて、秋の暖かい日の光を浴びて、ゆうゆうと自慢げに立っています。私も二階の居間から、大きなガラス戸を通して注がれる暖かい日の光を浴びて、実だけ色付いたこの柿の木をぼんやりと眺めながら、秋の午後の風情を楽しんでいました。ぼつぼつこの実を採って、渋抜きをして、食べてみようかなとも思っていました。
 私は家の前の通りを歩いてくる一人の初老の婦人に注目しました。その婦人はかなり大きなバッグを肩からたすきがけにして歩いて来たごく普通の人でしたが、私は何の理由もなくこの婦人に注目して見ていました。
 婦人は躊躇もせずにわが家の駐車場に入って来ました。
「車に何かする気かな。」
と思い、この婦人を目で追いかけて行きますと、この婦人は垣根越しになっているこの柿の実を目で吟味し始めました。そして、手を延ばして、大きくてよく赤くなったような実を一つずつ採っては、自分のバッグに入れ始めました。私が二階の窓から見ているとは考えも付かなかったのでしょうか?もくもくと採り続けました。もちろん通りを何人かの人が通りかかり、なかにはジロジロとこの婦人の様子を見つめながら歩いていく人もありました。しかしこの婦人は、自分の家の柿の実を採るかの様に、悠然として柿の実を採ってはバッグに入れて行きました。
 私はしばらくの間あっけにとられて、この柿泥棒の様子を眺めていましたが、ふと我にかえって自分は何をすべきなのか考えました。大声を上げて、
「柿泥棒」
と怒鳴るのも大人げないし、
「柿を採らないでください。」
と言うのもまだこの婦人を傷つけることになるでしょう。一番いいのは
「これは渋柿だから採っても食べられませんよ。」
と言うことだろうと思って、窓ガラスを開けようとしました。しかしその時、別の考えが私の行動をさえぎりました。
「この婦人は何か重大な理由があってこの柿の実を採っているのでしょう。いま柿を店で買っても結構お金がかかります。わが家の柿を採ると言っても手が届く範囲ですからたかが知れています。彼女の採った柿は私からのプレゼントとしましょう。この婦人がその採った柿を有効に使ってくれることを信じることにしましょう。」
 私はこの婦人を見つめていました。やがてこの婦人は柿を採るのを止めて、わが家の駐車場を出て、もと来た道を帰りはじめました。その帰り道には、向いの家の冬柿の木が大きな実を付けていました。この婦人はこの冬柿の実も二、三個採って彼女のバッグの中にいれました。
 私の家の柿の実ばかりでなく、向いの家の柿まで採って行く様子を見てしまった私は、どこかこの婦人に裏切られた様な気がしてきました。私は私の選択した考えが正しかったかどうかもう一度考えてみる必要を感じました。
「私には私の財産を侵されない権利がある。だからこの婦人に私の柿を採るなと言う権利がある。それなのにその権利を行使しなかったのはなぜか?本当にこの婦人を信じて、この婦人がこの柿を有意義に使ってくれる事を信じて行使しなかったのだろうか?それとも、たかが柿ぐらいの事で、事を荒立てるのが恐かったのではなかっただろうか?」
 私はこの婦人のあさましさを感じて悲しくなりました。
「でも、これが世の中なんだな」
と自分を説得するにとどめておきました。窓ガラスを通してさんさんとそそぎ込む秋の太陽の光はまだ暖かかったのですが、侘しくもありました。
 
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