龍の髭   須藤 透留
 
 昔々、或村に時造という若者が住んでいました。その村の生活はとてものどかで、村人達は勤勉に働き、その年の収穫を喜んで、幾年も平和に暮らしていました。
 しかし或夏のことでした。何日も何日も真っ黒な雲が空を被いつくし、四六時中雷鳴が轟いて、朝から晩まで激しい雨が降り続けました。あちらこちで川は溢れ、田畑は水を被り、崖が崩れて死ぬ人もでる有様でした。このままでは今年の収穫は望めません。村人達は集まっていろいろと相談しましたが、なかなか良い考えは出てきませんでした。
 何回か相談を重ねている内に、人々の間に龍の噂が立つようになりました。
「俺は見たんだ。東の空で大きな龍が暴れて、大雨を降らせているのを。」
「私も見ました。きっとあの龍が悪さをしているのだわ。」
そこで人々は東の空の龍を退治する方法はないものかと相談しました。そして村の氏神様にお願いするしかないということになりました。
 氏神様の社で、沢山のお供え物をして、村人達がお願いをしていると、社の戸がギーっと開いて、氏神様が現れました。
「そんなことを言っても、わしには龍退治などできんわ。ありゃあとても獰猛でな、わしにも手が付けられんのじゃ。誰か行ってやっつけてきてくれないかのう。」
 村人達はあっけにとられて、ぽかんと口を開けていると、時造が
「俺が行ってやっつけてくる。」
と名乗りを上げたので、村人達は再びびっくりしました。なにしろ今まで人と争い事を起こしたことの無い時造なのですから。そこで氏神様が言いました。
「よし、お前ならできるかも知れない。この剣を持って行きなさい。」
氏神様は腰に付けていた剣を時造に渡しました。
 時造は一人、東の方角に向かって歩き続けました。激しい雨風の中、草木をかき分けて、山を超え谷を渡って、歯を食いしばって山の奥深く進んで行きました。
 突然目の前に山のように大きな黒い龍が現れました。目をギラギラと輝かせ、炎の様な舌をヒラヒラさせて、それはそれはとても恐ろしい姿でした。それでも時造は気後れせずに龍の前に進んで行きました。龍は小馬鹿にした様子で時造に咬み付いてきました。
 時造は自分でも信じられないぐらいにすばやく身をかわすと、持っていた剣を一振りして龍に切りかかりました。その剣が龍の髭を切り落としたものですから、龍はびっくりしてガタガタと震えだしました。龍より強いのは神様以外にはいないのですから、龍は時造のことを神様だと思ったからです。大きな龍が震えると辺りはまるで地震のようでしたが、時造は剣を構えて言いました。
「お前が暴れるからお前を退治にきた。今度はどこを切り落としてやろうか。しかしお前が大人しくして、村人達と仲良くするなら今日のところは大目にみてやろう。」
 龍は体を小さくして時造に詫びると、空高く舞い上がって行きました。それと同時に雨風はピタっと止んで黒い雲も飛び去り、強い夏の太陽が照りだしました。時造は切り落とした龍の髭を持って村へと帰って行きました。
 村では既に水も引け、青々とした水田が広がっていました。この様子だと今年も豊作が期待できそうでした。
 氏神様の社では感謝のお祭りが奉納され大騒ぎでした。時造が剣と龍の髭をお供えすると氏神様が現れて言いました。
「時造、よくやったぞ。ところで時造。わしから願いがあるんじゃが。この龍の髭を村中の崖に蒔いてきてくれないか。」
 氏神様は大根か人参をみじんぎりにするかの様に、剣で龍の髭を小さく切り刻むと時造に手渡しました。
 時造が村中の崖にこの龍の髭を蒔くと、崖は間もなくして細い葉の草で覆われてしまいました。この草は根がしっかりと張るために崖の土を固定してしまいます。それ以後、この村ではどんなに強い雨が降っても、崖崩れを起こすことはなくなりました。
 
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