竜の住む湖

 昔、昔、ある国の山奥に、小さな村がありました。人々はとても貧しくて、僅かばかりの田んぼや畑を耕して、暮らしていました。一日中田んぼや畑を耕しても、家族全員を養う程の十分な食べ物は得られませんでした。そこで少しでも食い扶持を減らすために、仕事ができなくなった老人は、山の中に入って、二度と帰ってこない習慣が、この村にはありました。
 その村に一人の老婆が息子家族と一緒に住んでいました。老婆は若いときから一生懸命働いて、息子や娘を育て上げました。ですから、老婆の子ども達は老婆をとても尊敬していました。老婆も自分の子ども達や村人達をとても愛していました。
 ある年のことでした。その年は初夏に入ってから、毎日、毎日、暑い太陽が照り続けて、川は枯れて、大地はからからに乾いて、植物がどんどん枯れていってしまいました。このままでは農作物が育たなくて、その年に食べる食べ物が無くなることは明らかでした。そこで村の人々は広場に集まって、氏神様に雨乞いの儀式を行いました。
 老婆もこの日照りを何とかしたいと思っていました。先頭に立って、雨乞いの儀式を行いましたが、その後も一向に雨が降りませんでした。そこで老人達は相談して、若い人たちや子ども達を飢えから守るために、山にはいることになりました。老婆も、ある朝家族が気づかないうちに家を出て、山に入っていきました。
 山の中には道がありません。老婆は草や蔓をかき分けて、山の奥深く入っていきました。日が昇ってきたのでしょうか、うっそうとした木々の間から明るい光が差してきました。老婆は普段からろくに食べ物を食べていませんでしたから、とてもお腹が空いていました。草臥れてこのまま横になり、死にたいぐらいでしたが、それでも老婆はあるだけの力を振り絞って、よたよたと歩き続けました。村を見下ろす一番高い山の神様に直接会って、雨を降らして貰おうと思っていたからでした。
老婆が歩いていると、どこからともなく悲しそうな動物のうめき声が聞こえてきました。そのうめき声が気になった老婆は、その声のする方へ行って見ました。その声の主は足に大けがをしたカモシカでした。足に大きなとげが刺さっていて、痛みで動けなくなって横たわっていました。老婆はこの怪我をしたカモシカを放っておけませんでした。
「これは可哀想に。大けがをしている。カモシカや、もう少し待っておくれ。今そのとげを抜いてあげるからね。」
と言って、カモシカの所に行き、その大きなとげを引き抜くと、自分の着物を裂いて、怪我の部分の足に包帯をしました。
「さあ、これで良し。カモシカや、今に楽になるから、そうしたらみんなの所にお帰り。」
と言って、そこを立ち去ろうとしました。
 老婆が再びよたよたと歩き始めると、背後から声が聞こえたので老婆はびっくりしました。あたりに人がいるはずがなかったからです。
「おばあさん、待って。これからどこへ行くの?」
老婆が振り返ってみると、先ほどのカモシカがスッキリと立ち上がって居ました。
「あれまあ、もう立ち上がれるの?それは良かった。それにしてもおまえは人間の言葉が話せるのね。」
「私が人間の言葉を話せるのではなくて、おばあさんがカモシカの言葉を理解できるのです。」
「そうかい、そうかい、良くわからないけれど、びっくりしたよ。私はね、この山の神様に会って、村に雨を降らして貰おうと思っているのよ。」
「それなら、山の神様よりも、この山の向こうにある湖に住んでいる竜に頼むと良いですよ。竜ならきっと雨を降らしてくれると思います。 」
「そうかい。そんな湖がこの山の向こうにあるとは知らなかったよ。でも、この山の頂ですら行けるかどうか分からないのに、この山を越えていくのはとても無理、無理。無理な話よ。それに竜は人を食べたりする、悪い動物じゃあないの。」
「そうかも知れないけれど、村の人たちを救うには、竜に頼むしかないと思います。私がおばあさんを連れて行きますから、頼んでみたらどうでしょう。」
 老婆は少し躊躇していましたが、カモシカの言葉を信じることにしました。
「それじゃあ、竜が住む湖に連れて行ってくれるかい?」
「私の足の怪我を治して下さったお礼に、連れて行きましょう。私の背中に乗って下さい。」カモシカは腹這いになりました。老婆はその背中に乗るとしっかりとしがみつきました。カモシカは立ち上がるとどんどん山深く入っていき、山を登っていきました。
 森を抜けると山はどんどん険しくなっていきました。振り返ると村が小さく見えました。カモシカは道が無くても平気で、どんどん山を登っていきました。真っ青な空、きらきらと輝く熱い太陽。尾根から強い風が吹き抜け、太陽の強い光を、暑さを癒してくれました。尾根はとても狭いです。落ちたらそのまま何百メートルも転がり落ちてひとたまりもないでしょう。それでもカモシカはなれた道を歩くように、ひょいひょいと歩いて山を越えていきました。山を越えると広い広い森の中に大きな湖が見えました。その湖に向かってカモシカはどんどん山を下りていきました。
 湖に着くとカモシカは老婆に言いました。
「ここで待っていて下さい。きっと竜が現れると思います。私は危険ですから、これでお別れします。」
「そうだね。有り難う。竜が現れるのを待つとしよう。」
「今日は本当に有り難うございました。このご恩は一生忘れません。」
と言って、カモシカは森の中に消えていきました。老婆は水打ち際の草の上に横になっていました。老婆は子ども達のこと、孫達のこと、村人達のことを思い出しながら、うとうとしていました。
 どれほど時間が経ったでしょうか。今まで鏡のように穏やかだった水面に突然大波が立って、湖の真ん中に大きなお城が現れました。老婆はびっくりして目を覚ました。そのお城を見ていると、お城から大きな竜が現れて、老婆をめがけて、水面を滑るようにして、やってきました。
「ここに何をしに来た?」
竜の声は雷のように、山々にこだましました。老婆は覚悟をしていましたから、竜の目を見据えて言いました。
「竜様、お願いでございます。どうか村に雨を降らして下さい。このところ全く雨が降らないので、作物ができなくて、多くの村人が死んでしまいます。どうか、どうか、村人を助けて下さい。お願いを致します。」
「その様なことに、俺は関係ない。さっさと帰れ。帰らないとおまえを食べてしまうぞ。」
「私を食べられても構いません。どうか村に雨を降らして下さい。竜様にしか助けて下さる方はいらっしゃいません。竜様はとてもこころ優しい方だと聞いています。竜様を信じて、ここまでやって参りました。」
 竜は、にやっと笑いました。老婆のお世辞が快かったのでしょう。でもすぐに恐ろしい顔に戻って、老婆を睨みつけました。
「お前が村人を思う優しい気持ちが良くわかった。もしお前が一生、俺の身の回りの世話をしてくれるなら、お前の希望を叶えてやろう。」
「私でよろしければ、喜んでお仕え致します。どうか、どうか、村に雨をお願いします。」
老婆はひれ伏せて言いました。
「良しわかった。暫くそこで待っていろ。」
言い終わると、竜は口を湖につけて、湖の水が減ってしまう程たくさん、水を飲み込みました。水でお腹をぱんぱんにふくらした竜は、すごい勢いで空に上っていきました。

 その日も村は朝から暑い太陽がギラギラと輝いていました。村の中に人気はありませんでした。もう日照りに対して村人達には打つ手がありませんでした。野菜や穀物が枯れてしまったので、村には食べ物が無くなっていました。村人達はお腹が空きすぎて動けなかったので、ため息ばかりをついて、木陰や家の陰でごろごろと寝そべっていました。
 ところが昼過ぎ、突然山の方から真っ黒な雲が空を覆い始めました。稲光が光り、雷鳴が轟きだしたかと思うと、滝のような激しい雨が村に降り始めました。子ども達は怖がって家の中に逃げ隠れました。大人達は大喜び。雨でびしょぬれになっても、村の広場に集まって、抱き合って喜び合いました。広場に祭ってある氏神様に、何度も何度もひれ伏して、お礼を言いました。
 雨は翌日には上がりました。川には水が流れ出し、畑はいっぱい水を吸って、枯れかけた野菜が元気に育ち始めました。村人達はまた、畑を耕し始めました。村は活気を取り戻しました。もう、干ばつを心配する必要が無くなったからです。

 老婆は山の向こうの空に、真っ黒な雲が覆っているのを見ました。そちらから、激しく雷が鳴り続けているのを聞いていました。老婆はとても嬉しかったのです。夜も寝ないで竜を待ち続けていました。翌朝になって竜が帰ってきました。
「ああ、くたびれた。大仕事だった。おい、おい、老婆。村に雨を降らしてきたぞ。」
「有り難うございました。本当に、本当に、有り難うございました。村人に代わってお礼を申し上げます。」
老婆は何回も何回もふれ伏して、竜にお礼を言いました。
「では、約束通り、俺の面倒を見て貰うぞ。」
そう言って、竜は老婆を背中に乗せると湖の中程にあるお城の中に入っていきました。その後、老婆は竜の食事を作ったり、お城の中を掃除して過ごしました。


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