鬼が住む森

 以前満夫は、裏山の奥深い所にある森に鬼が住んでいると言う話を、父親から聞いたことがありました。けれど最近では、そんな話をする人は誰もいません。もし誰かそんな話をする人がいたとしても、聞く人にとってば、みなかばかしいと思うに違いありません。きっとそんな話を本気で聞く人は無いと思います。当然満夫も、森に鬼が住むと言う話を信じてはいませんでした。それに満夫は蝉や鳥を捕まえに、その裏山の奥深くにある森の中まで、何度も何度も行ったことがありました。

 ある晩秋の日曜日に、満夫は妹の明代を連れて、山へ山栗を拾いに出かけました。ゴム長靴をはいて、竹で編んだ篭を背負って、細くて長い棒をもって、山の奥深く、入って行きました。その年は例年になく山栗は不作でした。おれでも二人は一生懸命栗拾いをしていました。山栗を求めて、山の奥深くの森の中まで入って行っていました。

 二人が山栗を拾っている間に、冷たい北風が、だんだん強くなってきました。空も低い雲に被われてきて、肌寒くなってきました。どこかで甲高い鳥の声がキキインとしました。

「兄ちゃん、兄ちゃん、気味が悪いよ。ぼつぼつ帰ろう。」

明代が我慢できなくなって、心配になってきて、言いました。満夫も少し不安になっていました。

「そうだね。あき、帰ろうか。」

 その時でした。二人を吹き飛ばしそうな程の強い風が吹き付けると同時に、空が真っ暗になるほどのおびただしい数の黒い鳥が、気持ち悪い鳴き声を上げて、飛び交いだしました。二人はびっくりしました。二人は手を繋いで、小走りに来た道を引き換えしはじめました。

 満夫は一生懸命歩いているのに、先ほどいたば所と、少しも周りの景色が変わらないのに気づきました。明代もそれに気づいたらしく、息を切らしながら言いました。

「兄ちゃん、ちょっと変よ。ここ、さっきいた場所よ。私達ちっとも進まないみたい。」

「ううん。どうしたんだろう。狐にでも騙されてんだろうか。」

と、満夫が言ったとき、近くの茂みがごそごそと大きな音を立てて、そこから天をつくような大きな鬼が出てきました。髪はぼさぼさ、髭はぼうぼう、毛深い体を、獣の皮でできた着物をまとっていました。

 満夫はびっくりして声も出ませんでした。体や足ががたがた震えました。明代は満夫の後ろに隠れて、泣きそうになっていました。鬼はその大きな目で、満夫を見ていました。

「ごめんのう。脅かして。ごめんごめん。」鬼は申し訳なさそうに言いました。その目はとても優しそうでした。

「悪いがのお。その栗、少し分けてもらえんかのう。」

「い、いいです、よ。」

満夫は一生懸命平せいを装って、やっとの思いで答えました。背中にしょっている篭を、鬼の所へもって行きました。

「これ。これ、全部あげる。」

と言って、篭を鬼の前におくと、すぐに明代の所へ戻りました。

「すまんのう。ありがとのう。うまそうな栗だわいて。本当にこれ、全部、貰ってもええんかい?」

あの恐そうな鬼が、本当に嬉しそうな顔をして言うものですから、改めて満夫はびっくりしました。満夫や明代から、恐いという気持ちがなくなりました。

「明代の篭の中にもたくさん栗があるから、その篭の栗を皆あげてもかまわない」

と満夫は言おうと思いましたが、それも取られると嫌だと思った満夫は、ただ

「そんなに栗が好きなら、その篭の栗、みんなあげます。」

と言いました。満夫はそう言いながら、頭の中ではここから逃げ出す方策を考えていました。

 鬼はそんな満夫の事にはお構い無しに、篭の中の栗を一つ取り出して、ぽいと口の中にいれて、ぼりぼりぼりと噛みつぶすと、ぺっぺっと、栗の皮を吐き出しました。

「これはうめえ、うめえ。ありがとのう。悪いのう。」

鬼はそう言うと、懐から袋を出して、篭の中の栗を袋の中に入れはじめしまいました。栗をみな袋の中に移し終わると、次に鬼は、自分が捕まえて、腰にぶら下げていた大きな野兎を、篭のなかにほおりこみました。

「この兎、あげるでのう。」

と言って、鬼は篭を満夫の所へもって行きました。

 満夫はもう、この鬼を恐いとは思いませんでした。どちらかと言うと、可愛いと思うようになっていました。

「ありがとう。それじゃあ、この兎、貰います。」

満夫は兎の入った篭を、よいしょと背中にしょいました。鬼は栗の入った袋を、嬉しそうな顔をして肩にしょうと、

「それじゃあ、気をつけて、かえるでよう。」と言い残して、茂みの中に消えて行きました。「鬼さん、さようなら。」

満夫も明代も、手を振って鬼を見送りました。 鬼が見えなくなると、

「あの鬼さん、とっても優しいのね。」

明代が言いました。満夫は

「ううん。鬼って、人間を食べるのかと思ったけど、違うんだなあ。それにしても、この森に本当に鬼がいるとは思わなかったなあ。」と言った後、満夫はしばらく考えていました。

「あき、今日のことは誰にもしゃべらんことにしよう。しゃべっても、誰も信じちゃあくれないだろうし、馬鹿にされるのが落ちだと思うから。」

「うん、そうするよ。兄ちゃん。」

二人は手を繋いで山道を降りて、家へ帰って行きました。

 

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