大判焼きとお巡りさん   須藤 透留
 
 これは戦争が終わってから数年経った頃のお話です。光君は今年から小学校に行くようになりました。光君の家から小学校までけっこう距離がありまたが、光君は一人で毎日元気に、バスの停留場のある広場を通り、踏切を越えて、駅前を通り、小学校まで歩いて通っていました。
 そのバスの停留場のある広場には、しばしば小さな屋台が出て、大判焼きを作りながら売っていました。小学校からの帰り道、この屋台の前を通る時、とてもおいしそうな臭いがしたものですから、光君はしばしば屋台の前に立ち止まって、中を覗いて、屋台のおさんの鮮やかな大判焼き作りの手さばきを見て、あんな風にして大判焼きを焼いてみたいと思ったりしたものでした。
 光君はまたこの焼き立ての大判焼きを食べたくて仕方ありませんでした。しかし、当時はまだ三度の食事も満足に食べれない人が多かった時代です。光君の家でもお父さんがこの戦争で戦死したために、お母さんが働きに出たり、おじいさんとおばあさんが少しばかりの畑を耕して、光君を養っていましたから、とても貧しくて、大判焼きを買って食べる余裕などありませんでした。
 その日はまだ残暑が続いていました。光君は友達の家に遊びに行くために、この屋台の前を通りかかりました。屋台からはいつものようにおいしそうな臭いが漂ってきました。しかし屋台には誰もいません。周囲を見回しても、焼き付くような日の光を浴びた街角には誰もいません。光君は引き寄せられるように屋台に近付いていきました。
 屋台の上には大判焼きがいつものように並べてありました。光君は屋台のすぐ側に立って中を覗きこみました。いつもなら、光君が来てもそれを無視して大判焼きを焼き続ける屋台のおじさんが、今日にかっぎて居なかったのです。光君は躊躇せずに大判焼きの一つをポケットに入れると、友達の家に急ぎました。
 友達の家にいく途中に小さな神社がありました。光君はその神社の境内に立ち寄ると、ポケットからまだ暖かい大判焼きを取り出して食べ始めました。それは甘くてとてもおいしくて、光君は夢でも見ている様な心地でした。光君は以前、村祭りの際にコンペイトウを買ってもらって食べた事がありましたが、それとは比較にならないほどおいしかったのです。
 友達の家から帰ってみると、家の中が異様な雰囲気なのに光君はとまどいました。まず第一におじいさんとおばあさんが沈痛な面もちで座っていました。お母さんが目を真っ赤にしていました。お母さんがちゃぶ台の前に座るように言いました。ちゃぶ台の上には大判焼きが五つ、お皿に乗せてありました。お母さんはそれを食べるように言いました。光君は不思議に思いました。今まで大判焼きなど食べさせてもらったことがないのに、今日は食べきれないほどに食べさせてもらえるなんて変だなあと。それに大判焼きを食べている光君を見てお母さんが泣いているのです。
 食べ終わると光君はお母さんの前に正座をさせられました。次に光君がふっ飛ぶ程の強いびんたを数発両頬にくらいました。すぐにおじいちゃんとおばあちゃんがおかあさんを止めてるれたのですが、その痛かったことは例えようがありません。その傷みの為にお母さんがその時なんと言ったのか光君は全く記憶に残りませんでした。光君は何故このような羽目に会わなければならないのかよく解らずに、わいわいと泣いていました。
 後になって、おじいさんに諭されて光君はやっとお母さんに叱られた理由がわかりました。それは光君のした事が盗みという大変悪いことであり、お巡りさんに見つかると手錠を掛けられて、牢屋に入れられるということでした。
 光君は以前、偶然に、何かを盗んだ犯人が手錠を掛けられ、二、三人のお巡りさんに連行されて行くのを見たことがありました。何十人かの野次馬の中を肩をすぼめて歩く惨めな犯人の姿に、自分は決してあの様な人間にはなりたないと光君は思っていました。しかし今、自分が泥棒をしてしまったと言われ、光君はお巡りさんに連行されている自分のを想像していました。そして、自分のした事がお巡りさんに伝わらなければいいがなと思い続けていました。
 光君はお巡りさんを大変恐がるようになりました。村の中でお巡りさんに出会うことは滅多にありませんでしたが、学校に行くときには駅前の交番の前を通らなければなりまん。交番の前を通るときは、今にもお巡りさん呼び止められて、手錠を掛けられてしまうような気がして、ハラハラしながら走るようにその前を通り過ぎたり、ぐるっと遠回りをして、山道を通って学校に通ったりしました。
 その後、一年ぐらい経って、お母さんが再婚したために、光君は遠くの町に引越ししました。そこでは光君は安心して、もうお巡りさんを恐がることはありませんでした。
 
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