美代ちゃんのお人形

 美代ちゃんは幼い女の子です。まだ幼稚園には行っていません。天気の良い日には、お母さんと一緒に近くの公園に遊びに行きますが、それ以外の時は、おうちの中でお人形の香奈ちゃんと遊びます。香奈ちゃんは三十センチぐらいの、布と綿とでできたお人形です。赤い帽子も、赤い服も、着せ替えはできません。それでも美代ちゃんが生まれたときからのお友達で、おうちの中では、美代ちゃんは片時も香奈ちゃんを手放しませんでした。だっこしたり、おんぶしたりして、遊んでいました。そのため香奈ちゃんは、だいぶいたんできていました。顔は薄黒くなり、着物も汚れてきていました。しかし、美代ちゃんはそれでも香奈ちゃんを離しませんでした。

 ある日、美代ちゃんが香奈ちゃんとママごとをして遊んでいたとき、香奈ちゃんの足が取れてしました。美代ちゃんは大声で泣きだしました。その声にびっくりしたお母さんが、美代ちゃんの遊んでいるところにやってきて、優しく声をかけました。

「どうしたの、美代ちゃん。」

美代ちゃんはひっく、ひっく、と泣きながら、香奈ちゃんの体と取れた足を持っていました。「あら、あんよ、取れちゃったの。それは可愛そうね。でも、もう、そのお人形、汚くなったから、新しいのに替えましょう。ちょっと待っててね。」

お母さんはそう言って、部屋を出て行きました。

 しばらくするとお母さんは新しい人形を持って美代ちゃんの所に帰ってきました。美代ちゃんは、まだひく、ひくと、引きつけるように泣いていました。

「さあ、新しいお人形よ。これで遊びなさい。香奈ちゃんとそっくりでしょ。」

と言って新しいお人形を、香奈ちゃんに手渡しました。美代ちゃんは新しいお人形を受け取ると、香奈ちゃんをそばにおいて、じっと新しいお人形をながめていました。しかし少しもうれしそうではありませんでした。お母さんは、新しいお人形を美代ちゃんに手渡すと、さっさと自分の仕事に戻りました。

 美代ちゃんには中学生のお姉さんがいました。夕食の時、美代ちゃんは新しいお人形を持って食卓につきましたが、その表情は沈んでいました。その新しいお人形を見たお姉さんが、美代ちゃんに言いました。

「あれ、美代ちゃん。新しいお人形ね。香奈ちゃんはどうしたの?」

「おねえちゃん、香奈ちゃん、かわいそうなの。あんよ、取れちゃったの。」

美代ちゃんはうつむき加減にいいました。

「もう古くなって、汚らしいから、新しいお人形をあげました。」

お母さんは、きっぱりといいました。お姉さんは、

「ふーん、そうなの。」

と言いました。すると美代ちゃんが

「ねえ、おねえちゃん。香奈ちゃんのあんよ、直せない?」

と聞きました。

「もってきてごらん。」

美代ちゃんは席をたって、部屋に行って、香奈ちゃんとその取れた足を持ってきて、お姉さんに渡しました。

「あら、ほんと。香奈ちゃん、可愛そうに。」お姉さんは取れた足と、香奈ちゃんの体の足のついていた部分とを見つめて言いました。

「美代ちゃん、香奈ちゃんを入院させなければだめよ。入院して治療しなければ治らないわ。」

「ねえちゃん、そんなことをしていたら、時間がもったいないでしょう。もうそんな人形なんかにかまわないで、勉強しなさい。」

お母さんがきつい声で言いました。

「だって、香奈ちゃんは私も使ったお人形よ。このままじゃあ、可愛そうだわ。あんよ、治してあげるぐらい、いいじゃあないの。」

お姉さんはお母さんをにらみつけて言いました。するとお父さんが割って入りました。

「かあさん、まあいいじゃあないか。いつも勉強ばかりしているわけにはいかないのだから。人形を大切にすることは、人間を大切にすることに通じるのだから。おねえちゃんに任せなさい。」

お母さんは不満そうでしたが、お父さんにそう言われては、黙るしかありませんでした。

 食事が終わると、お姉さんは

「足が取れたのは大けがだから、二、三日の入院になるわよ。いいわね、美代ちゃん。」

と言いました。美代ちゃんがこっくんとうなずいて、

「おねえちゃん、きっと、きっと、あんよ、治してね。」

と言いました。お姉さんは、

「任しておいて、みよちゃん。」

と言うと、お姉さんは香奈ちゃんを持って、自分の部屋に行きました。それを見た美代ちゃんの表情が、とても穏やかになりました。

「お父さん、お母さん、このお人形、何という名前にする?」

美代ちゃんは新しいお人形を示して言いました。お母さんは無言で食卓のかたずけを続けていました。お父さんは読んでた新聞を膝において、

「ううん、美代ちゃんに香奈ちゃんだから、小夜ちゃんはどうだ?」

と言いました。美代ちゃんは嬉しくなって、

「小夜ちゃん、小夜ちゃんね。小夜ちゃんにしようね。」

と言って、新しいお人形に頬ずりをしていました。

 それからしばらくの間、美代ちゃんは小夜ちゃんと一緒に寝たり、遊んだりしていました。そして三日目の夜、お姉さんは香奈ちゃんを美代ちゃんに返しながら言いました。

「美代ちゃん、香奈ちゃんのあんよ、治ったわよ。あんよ以外にも病気が有ったから、治療しておきました。そしてついでにエステもね。」 

「ほんと、おねえちゃん、ありがとう。香奈ちゃん、元気になれて、よかったね。」

美代ちゃんは香奈ちゃんと小夜ちゃんをだっこして、嬉しそうでした。香奈ちゃんはお姉さんの治療を受けて、足もきちんと治っていたし、他の布の破れかけていた所も、きれいに治してありました。そればかりでなく香奈ちゃん全体も洗ってあって、きれいな顔と服に戻っていました。美代ちゃんは大喜びで、それ以後は香奈ちゃんと、小夜ちゃんのお人形で遊んでいました。しかしどちらかと言うと、主として香奈ちゃんと遊ぶことが多かったでした。

 

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