キャンディー・ボックス

 七月に入ったばかりなのに、毎日暑い天気が続いていました。もう梅雨が明けてしまったようでした。そんなある日、お母さんは美紀ちゃんを連れて近くのデパートへ、御中元の買物に行きました。みきちゃんはお母さんと手を繋いで、食品売り場を歩いていました。 お菓子売り場を通り過ぎようとした時に、真っ赤な箱の蓋に、真っ白なバラの絵が印刷されている箱が、美紀ちゃんの目に止まりました。それは普通の金属でできた、八角形の小さな箱で、中にはキャンディーが入っていました。その箱は売れ残っていたようで、陳列棚の端っこに、一つぽつんと置いてありました。美紀ちゃんはその箱を何気なくちらりと見ただけでしたが、ちょうどその時、美紀ちゃんには、美紀ちゃんを呼ぶ声が聞こえました。

「美紀ちゃん、私を買ってください。」

その声は小さな声でした。美紀ちゃんは立ち止まってあたりを見回しました。しかし誰も美紀ちゃんを呼び止めた様子は有りませんでした。美紀ちゃんはそら耳だったと思い、お母さんの後を追いました。美紀ちゃんには、その箱の事がとても気になりました。その箱の事を忘れることができなくなりました。お母さんと一緒の買物の間中、その箱の事ばかりを考えていました。

 全ての買物が終わったとき、美紀ちゃんはドキドキしながら、思い切ってお母さんに言いました。

「お母さん、キャンディー、買ってもいい?」「キャンディー?どうして?」

「おいしそうなキャンディーがあったの。食べてみたいの。いいでしょ?」

「キャンディー?いいわね。それ、何処?」美紀ちゃんはお母さんがあまりにも簡単に同意してくれたので、拍子抜けでした。

 美紀ちゃんはお母さんの手をぐいぐい引っ張って、キャンディー売り場に戻り、赤いキャンディーの箱を示しました。

「このキャンディー、欲しいの、お母さん。」「え?これ?中にどんなキャンディーが入っているの?」

「きっとおいしいキャンディーが入っているはずよ。お母さん、食べてみたい。」

「箱がきれいだから、美紀ちゃんはこの箱が欲しいのね。ええ、いいわ。二百円だし、御買物手伝ってくれたのし、御褒美に買ってあげるわ。」

 店員さんがデパートの包装紙できれいに包んでくれた箱を持って、美紀ちゃんは嬉しくて、胸をわくわくさせて家に帰りました。だけど美紀ちゃんにも、どうしてこんなに嬉しいのか全く解りませんでした。家に帰ると、美紀ちゃんはおやつとしてキャンディーを一つ食べました。口の中に広がったキャンディーの味が甘かったこと、おいしかったこと、ほっぺが落ちそうなぐらいでした。お母さんは、美紀ちゃんが余りにもおいしそうにキャンディーを嘗めていたので、

「お母さんにも一つちょうだい。」

と言いました。そこで美紀ちゃんは箱からキャンディーを一つ取り出して、お母さんにもあげました。そのキャンディーを嘗めていたお母さんも

「本当においしいわね。美紀ちゃん、箱を見ただけで、どうしてこんなにおいしいとわかったの?」

と言いました。

「わかんない。」

美紀ちゃんはキャンディーを口の中で転がしながら答えました。食べ終わると、美紀ちゃんはキャンディーの箱を自分の机の引出しにしまって置きました。美紀ちゃんはとても幸せな気持ちになっていました。美紀ちゃんは毎日おやつの時間にキャンディーを一個づつ食べました。

 何日か後の事でした。おやつの時間になったので、美紀ちゃんは机の引出しを引いて、キャンディーの箱を取り出し、その蓋を開けました。箱の中には最後の一個のキャンディーが有りました。美紀ちゃんは

「あーあ、これが最後だわ。もったいないけれど、食べてしまおうっと。」

と言って、最後のキャンディーを口に入れました。

「もうこれで、すべておしまいね。」

美紀ちゃんは箱の蓋をして、机の引出しに戻しました。

 その翌日の事でした。おやつの時間になったので、いつものように机の引出しを開けました。箱の中はもう空っぽのはずでした。美紀ちゃんはしばらくの間じっと箱の蓋のバラの花の絵をながめていました。美紀ちゃんにはバラの花から

「箱の蓋を開けてごらんなさい。」

と言う声が聞こえてくるような気がしていました。もちろん美紀ちゃんはその様な声が聞こえることを信じませんでした。けれどそんなことはないと思ってみても、やはり美紀ちゃんにはその声がどことなく聞こえてきたのでした。

 美紀ちゃんは思い切って箱の蓋を開けてみました。箱の中にはキャンディーが一つ残っていました。美紀ちゃんはびっくりしました。不思議に思いました。

「きのう食べたキャンディーが最後のはずだったのに。どうしたのかしら。きっと、私の思い間違いなのよね。」

美紀ちゃんは首を傾げながら、その最後のキャンディーを口にいれて嘗め始めました。いつものように、甘くておいしい味が口いっぱい広がりました。美紀ちゃんは箱の蓋をすると、その箱を机の引出しに戻しました。

 その翌日もおやつの時間になると、美紀ちゃんは机の引出しを開けてみました。すると昨日と同じように、箱の蓋のバラの花から、

「この箱の蓋をあけてごらんなさい。」

と言う声が聞こえて来るように、美紀ちゃんには思えました。美紀ちゃんは箱の蓋を開けてみました。箱の中には、今日もキャンディーが一つ残っていました。

「あらおかしいわね。きのう最後の一個を食べたはずなのに。何か変ね。変だわ。おかしいわ。」

美紀ちゃんはそのキャンディーを口の中に放り込むと、お母さんの所へ走って行きました。 お母さんは台所で夕飯の準備をしていました。

「お母さん、私の机の中のキャンディーの箱の中に、キャンディーを入れたの?」

「キャンディーの箱?」

「うん、この前、デパートで買って貰ったアノキャンディーの箱よ。」

「お母さん、そんなこと、しないわ。」

「そうお。変ねえ。おとといでキャンディーが無くなったはずなのに、きのうも今日も、キャンディーが入っていたの。お母さん。変でしょう?」

「そうねえ、変ねえ。どうしたのでしょう?」 美紀ちゃんは口の中のキャンディーのおいしい甘さを味わいながら、部屋に戻りました。机の引出しを引いて、キャンディーの入っていた箱を眺めていました。何の変哲もない金属の箱でした。箱の蓋に描かれていたバラの花が何処となく萎びた感じがありました。箱の蓋を開けると、箱の中は空っぽでした。金色の箱の内側がとてもきれいでした。美紀ちゃんは箱の内側と蓋の内側を念入りに調べました。しかし何処にも変わったところは有りませんでした。美紀ちゃんは首を左右に傾けてから、キャンディーの箱の蓋をして、机の引出しに戻しました。

 翌日の午後、美紀ちゃんは学校が終わると急いで家へ帰りました。家に帰っても、今か今かと落ちつからないで、おやつの時間待ち続けました。おやつの時間になると美紀ちゃんは大急ぎで机の引出しを開けてみました。そこにはいつものように、赤いキャンディーの箱が有りましたが、その蓋に描かれていたバラの花の絵は、すっかりしおれたバラの花になっていました。美紀ちゃんが箱の蓋を開けようとした時、そのしおれた花の絵の中から、小さな虫のような物が出てきました。それは小指の爪の大きさの女の子でした。美紀ちゃんはびっくりして、目を丸くして、その女の子を見つめていました。

「美紀ちゃん、キャンディーを買って下さってありがとう。私、私の作ったキャンディーを美紀ちゃんに食べて欲しかったの。だから、デパートで美紀ちゃんに、買ってってお願いしたの。」

聞いたことのある、可愛い声でした。

「じゃあ、あんたが、私を呼んだの?あんた、いったいだあれ?だれなの?」

「私、バラの花の精。キャンディーをいっぱい作りたくて、作って美紀ちゃんに食べて欲しくて、この箱の蓋の絵の中に隠れていたの。美紀ちゃんの食べたキャンディーの材料はこのバラの花でした。キャンディー、おいしかった?」

「バラの花の精さん、キャンディー、本当においしかったわ。普通のキャンディーと違うおいしさだったのは、そのせいだったのね。」「うれしい。美紀ちゃんにおいしかったと言われて、とてもうれしいわ。でもね、美紀ちゃん、もうこれでおしまいなの。バラの花がかれちゃうでしょう。だから、キャンディーを作る材料が無くなったの。だから、これでおしまいです。今夜、私、バラの国に帰ります。最後の一個を作ってあります。食べて下さい。美紀ちゃん、ありがとう。」

女の子はバラの花の中に消えて行きました。美紀ちゃんも

「おいしいキャンディーをありがとう。またきっと来てね。」

と言うと、箱の蓋を開けてみました。箱の中にはおいしそうなキャンディーが一つ有りました。美紀ちゃんはそのキャンディーをつまみ上げて、しぱらく眺めていました。その後箱の中に戻して言いました。

「これはバラの花の精さんとの、思い出にとっておこうっと。食べちゃうの、もったいないもん。」

美紀ちゃんは箱の蓋を閉めると、引出しを閉じました。

 翌朝、美紀ちゃんは引出しを開けてみました。いつものキャンディーの箱は有りました。しかしその蓋に描かれていたバラの花は無くなっていました。美紀ちゃんは箱の蓋を開けてみました。中にはきのうのキャンディーが一つ、ぽつんと残っていました。

「バラの精さん、もう、バラの国へ帰ってしまったのね。」

美紀ちゃんは独り言を言いました。

 

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