小児脳科学心理学2

{はじめに1}
現在の日本の子供達の間で、長期間学校に行かれない子供の問題、不登校があります。不登校の子供達への対応の相談を、私は30年以上受け続けています。その経験から「大人の心と子供の心は異なる」という事実に気づきました。これは一般常識とは異なった、子供特有の心の事実です。特に、「心が辛い子供は非常識の世界に住んでいて、大人が持っている常識が当てはまらない」という事実です。「大人の常識から考え出した対応法はかえって心が辛い子供を苦しめる」という事実です。それらは思春期以前の子供達の心に必ず当てはまります。しかし大人年齢の人の心には当てはまりません。それでも心が辛い状態の大人の心には当てはまることが多いです。

{初めに2}
子供の心の成長の仕方を理解して、子供の心を理解する必要があります。子供は生まれると直ぐにその本能から周囲と関わりを持ち始めます。ほ乳を受けながら、ほ乳をしてくれる、自分を育ててくれる大人の持つ文化を自分の情動として真似をして自分の情動を確立していきます。それが子供の自我の基本となります。この自我は基本的に一生続きます。乳幼児を過ぎると確立した自分の情動で周囲と関わりを持ち、その繰り返しから習慣と知識を身につけて、習慣行動と言葉を発するようになります。それが子供の心の間続きます。大人の心になって、習慣と情動を知識と知識からの判断で調節して、知識を基本とする意識行動が可能になります。

{初めに3}ここでは脳科学を踏まえた言葉の使いをしますので、あらかじめ記載しておきます。
*心とは脳の機能です。意識の心、習慣の心、情動の心と三つに分けられます。
*情動とは大脳の内でも大脳辺縁系(旧大脳)の機能です。
*回避系とは情動の内で、刺激から逃げる反応。恐怖と置き換えられます。ストレス(恐怖)刺激を受けている状態=ストレス(恐怖)状態と表現できます。
*回避行動とは、嫌悪刺激=恐怖刺激から、逃げる、良い子を演じる、暴れる問題行動をする、心の病の症状を出す、のどれかの症状を出すことです。
*感情とは情動を知識から認識したものです。
*心のエネルギーとは情動の接近系の強さです。意欲と置き換えて良いです。物理的なエネルギーとは、現実に体を動かすためのエネルギーです。直接心と関係していません。
*認知とは受けた刺激を脳内で処理して、脳内の反応のための神経ネットワークを起動させる大本です。その結果は習慣の心に残ります。認知した物が意識に上ると認識になり記憶に残ります。
*無条件刺激とは、恐怖の条件刺激を学習する際の恐怖刺激です。
*fecos (fear conditional stimulus)恐怖の条件刺激をここではfecosと表現します。
*fecor(fear conditional reflex)恐怖を生じる条件反射をここではfecorと表現します。
*トラウマとはfecorの一種です。
*登校拒否とは、学校をfecosとして生じるfecorの反応です。学校に行きづらくなります。
*不登校とは長期間登校しないことですが、多くの場合登校拒否から不登校になっています。
*登校刺激とは不登校の子供が学校を意識させるような刺激です。
*心が辛い子供とは現在登校拒否を起こしていて、絶えず登校刺激に晒されている子供です。心が元気な子供とは、fecosがないかあってもfecorの反応を起こさない子供です。
*いじめにはいじめる子供といじめられる子供と分けて考える必要があります。

$A{大人とは異なる、子供についての重要な事実}

{A1}{人の心という意味での脳の構造}
心とは脳の機能です。心という意味でのおおざっぱな脳の構造とは、

(1)ほ乳類とほぼ共通の大脳辺縁系(情動の心。感情とは生じた情動を内臓感覚から生じた情動を認識した場合です。認識対象が生じる情動、すなわち認識した物の持つ質感をクオリアと表現する場合もあります)

(2)大脳新皮質運動野と運動連合野(習慣の心)

(3)記憶領域と前頭前野(意識の心)から成り立っています。

{A2}{三つの心の反応の仕方}

(4)人が体内外界から刺激を受けると反射的に習慣の心が機能をし出して、習慣からの行動を開始します。それとほぼ同時と言って良いほどの遅れで情動の心が必ず機能をし出して、情動行動を始めます。それから0.5秒ぐらい遅れて意識の心が機能をし出し、意識行動を開始します。この三つの心は基本的に独立して機能をしています。

(5)大人の心では意識の心の機能が大きな役割を果たします。意識の心が習慣の心と情動の心を調節して、意識行動が前面に出てきます。ところが子供の意識の心は子供の言葉になるだけで、意識行動ができません。子供の反応と行動は、習慣の心と情動の心から成されますから、大人と子供の心に違いがあります。大人の心と子供の心と異なることを絶えず考えて、子供の本心(情動)からの子供への対応を考える必要があります。大人でも、心が辛い大人の心は心が辛い子供と多くの点で共通点があります。

(6)子供の情動の心の機能は大人と同じと考えられます。子供の習慣の心は経験不足という点が大人と異なることの一つです。しかしその習慣を表現する身体的な成長をすると、経験不足という点以外は大人と同じになります。意識の心が大人の心と子供の心と大きく違うところです。子供は社会生活の中で知識を蓄積していく段階であり、その知識からの行動を子供はできないかとても下手です。子供の知識は言葉にできますが、行動にできないと考えた方が間違いありません。子供は受けた刺激に素直に習慣行動と情動行動をします。時に大人の言葉に沿って行動をすることがありますが、そのときは大人(特に母親)から褒賞を受けるという情動行動です。知識からの行動ではありません。つまり子供は大好きな母親から褒められるなどの褒賞を受けられるから母親の言葉に沿った行動が可能か、それとも大人からの怒りなどの辛さを回避するために大人の言葉に従ったのです(参照、逆行動の法則)。それを繰り返すことで子供の新たな性格ができてきます。それが積み重なって子供の個人差になっていきます。
 人は感情を具体的に色々な言葉を使って表現します。言葉が違うとそれが表す感情が異なるように理解されます。ところが、その感情を生じる情動には、接近系(受けた刺激を求めようとする。それを言葉で表現するなら楽しさという意味合いの言葉になります)と回避系(受けた刺激から逃げようとします。それを言葉で表現するなら、嫌だなどの辛さという意味合いの言葉になります)しかありません。

(7)大人の心と子供の心との違いを纏めてみます。
子供の本心は情動です。それは突発的な言葉と、行動に表現されます。言葉にはなりません。知識は言葉になりますが、直接実際の行動になりません。大人の本心は意識です。意識は言葉とその言葉に基づく判断からの行動になります。大人の情動は意識で調節されていますから普段はその存在に気づきません。情動の調節が下手な人もいます。いわゆる感情的な人です。

(8)個人差がありますが、思春期を超えた頃から、子供の心は急速に大人の心に変わっていきますが、それに気づく人は皆無だと言って良いと思います。体の成長や知識の成長が連続的ですから、心の成長も連続的だと考えられやすいからです。

{A3}{性格}
 人が外界から刺激を受けた時の反応の仕方をその人の性格と表現します。その性格とは、新生児や乳児期には、その子供が持つ本能です。その本能で成長をしながら、母親や周囲との関わりでその子供の周囲の文化を自分の中に取り入れます(ミラーシステムが考えられています)。その結果として幼児期ぐらいになるとその子供なりのかなりに確定した性格を表現するようになります。このできあがった子供の性格は一生続きますが、次の条件反射によって変化していきます。

{A4}{条件反射}
 大人では意識的に性格を変えることが可能ですが、子供にはそれができません。子供は同じような刺激には同じように反応をして、その反応の仕方が習慣化していきます。完成した子供の性格は条件反射でだけで変化をさせることができます。
 情動の接近系の条件反射はパブロフの犬の実験で有名です。子供の心を元気にしたり能力を伸ばすのに役立ちます。ここではあまり知られていないけれど、子供の心を理解する上で絶対に必要な情動の回避系の条件反射を説明しておきます。{参照B10}

(1)子供に回避系の無条件刺激(その時点でその子供には恐怖刺激=嫌悪刺激になっている物。本能的に痛み、強すぎる五感、否定、空腹、口渇、新奇刺激やそれまでに学習した嫌悪刺激)を与えると、子供はその無条件刺激から逃げようとします。しかし逃げられないときには、子供は子供の周囲にある接近系の物に、無条件刺激と同じ恐怖を感じるようになります。この心の反応の仕方を恐怖の条件刺激の学習(fecosの学習)と言います。 fecosを学習した後、他の子供では何でもなかったり、嬉しい物が、fecosを学習した子供は恐怖を表現するようになります。これを恐怖の条件反射(fecor)と言います。fecorが反応をすると、体の奥底から何か得体の知れない辛い物がわき上がってきて心と体がとても辛くなります。死ぬような思いをするようになります。子供の日常生活が出来なくなります。

(2)トラウマ(参照C4)という概念があります。このトラウマとは、前記のfecosを学だ際に、その学んだfecosが多くの人にとって楽しいこと、嬉しいことだった場合です。多くの人はその人のためにと思ってそのトラウマを反応させる物=fecosを、そのトラウマを持った人に与えようとします。ところがそのトラウマを持った人は多くの場合、それが自分を辛くする物と反応しますから、トラウマを持っている人が辛くなると、そのトラウマを反応させる物から逃げようとしますし、大人ならfecorを生じないように、fecosから逃げることができます。

(3)fecosの汎化という問題があります。トラウマが何度も反応をすると、すなわちfecorの反応を何度も経験すると、その際に身の回りにある物に程度の差はありますが、新たなfecosを学習します。それをfecosの汎化と呼びます。fecosは日常生活の中にありますから、何がfecos担っているのか解らないので、日常生活をする限りそのfecosから逃げられなくて、絶えずfecorの反応を経験することになります。心が辛い人(参照A17)になります。

(4)まとめます。
*無条件刺激は多くの人について恐怖刺激です。それは多くの人に理解可能です。
*その無条件刺激の恐怖刺激で恐怖を生じると、程度の差はありますが、新たなfecosを学習します。その程度が軽いなら、時間とともにこのfecosは消失します。
*その程度が強いと、それ以後fecosを経験するとfecorが反応を生じて、とても辛くなります。けれどトラウマの場合、トラウマを反応をさせる物は普通の人には楽しいか何でもない物なので、fecosに反応する人の心がおかしい、病人ではないかと考える傾向(例えば狭所恐怖症)にあります。子供ではほぼ無理ですが、大人の場合、当人にとってのfecosを当人自身でわかる場合があります。そのときは自分からそのfecosを避けることができる場合が多いです。
*汎化したfecos(恐怖の条件刺激)の場合を考える必要があります。トラウマが反応をすると結果新たなfecosを学習します。程度の差はありますが、身の回りにある物全ての物がfecosになる可能性があります。fecosの汎化を生じます。汎化したfecosの程度が弱いと簡単にfecosの機能を失ってしまいます。ところが汎化したfecosの機能が強い場合で、日常生活でそのfecosを避けられないばかりか、周囲から押しつけられる場合には、その人はfecorが反応を生じてとても辛いことになります。死ぬ思いをすることになります。

{A5}{登校拒否、不登校、登校刺激}
子供の恐怖の条件反射(fecor)の例としての登校拒否、不登校があります。学校内で辛い経験をすると、その際にその辛い経験をさせた物にfecosを学習します。またはトラウマを学習します。大人や多くの子供には何でもない物か、楽しい物が、嫌悪刺激になっています(登校拒否)。子供自身はその嫌悪刺激を避けようとしますが、学校や他の子供達がそれを許さないので、その際にfecorの反応を繰り返すことにより、学校自体、学校を思い起こす学校関連の物を新たにfecosとして学習してしまいます。fecosの汎化を生じます。不登校の場合にはこの汎化したfecosを登校刺激と表現します。しかし日本中どこにいても学校や学校関連の物がありますから、不登校の子供はfecosを避けることができません。登校刺激に晒され続けて、絶えずfecorが反応をして、程度の差はあってもどのような学校にも行かれなくなります(不登校)。家の中に登校刺激がなければ、子供は家の中に引きこもりますし、家の中に登校刺激があれば自分の部屋の中に引きこもります(引きこもり)。それでも親が子供に登校刺激を与えると子供は荒れたり問題行動をしたり、心の病の症状を出すようになります。多くの親がその対応に苦慮する子供の姿です。
 子供の中には自分の家の中や自分の部屋の中に逃げられないで、良い子を演じてfecorの症状を表現しない子供がいます(参照A21)。そのような子供はfecosからの逃げ場がないので、心が辛くなったとき発作的に自殺を選択する場合がある(参照A9)様です。これらの大半は遺書を残していませんから、原因不明とされて原因不明の若者の自殺と見なされて、その経験が社会に還元されることはないようです。遺書があった場合は社会問題になりますが、社会問題になっても証拠がないので、その子供がどれほど苦しんでいたのか気づかれないままになるようです。

 不登校を以下のように分類すると対応策が見えてきます。
*不登校分類1:日本の子供はほとんど全て学校に行きます。しかし数は少ないようですが、子供の持って生まれた性格から学校のような集団生活が嫌だから学校に行かないという不登校があります。
*不登校分類2:学校で辛い経験(例えば教師に叱られる、いじめを受けるなど)をするとその辛い経験をさせた人や物に恐怖の条件刺激を学習して、学校に行こうとしなくなります。この場合教師がいなくなる、いじめがなくなるなど、子供にとって辛い物がなくなると、子供は不登校を止めます。
*不登校分類3:学校で辛い経験を繰り返し、fecosの汎化を生じてしまいます。汎化したfecosを学習した子供は、学校そのもの、学校の概念、勉強などでfecorが反応をして、心がとても辛い状態になり学校に行かれません。そればかりでなく、一般に家の中にはfecosがたくさんありますから(登校刺激)、子供は絶えずfecorが反応して、とても辛い心の状態になります。このような子供はfecosをなくすために、一端学校や勉強を忘れる必要があります。そのためにゲームに没頭したり、ネットに没頭して、学校を長い時間忘れている必要があります。このような子供を心が辛い子供(情動が一日の多くの時間情動の回避系が機能をする)と表現することにします(参照A17)。心が元気な子供とは、嫌悪刺激を受けたときには情動が回避系に機能をしますが、嫌悪刺激をその子供なりに解消して、一日の多くの時間、情動が接近系に機能をしている子供です。勿論完全に分けられるわけではありません。

{A6}{喜び刺激と恐怖刺激=嫌悪刺激}
 喜び刺激については既に色々なところで述べられていますから、ここでは割愛します。ただし子供にとって絶対的な情動の接近系=喜び刺激は母親(母親がいない場合には代理母(参照A12)でも可能です)だけです。どのような姿の母親でも基本的に子供は母親を、母親を自分の母親と認識する限り、強力な情動の接近系です。母親がいなければ代理母でも可能な場合があります。不登校などの心が辛い子供を元気にするには強力な情動の接近系、母親の母性の存在が効果的です。父親でも子供の心に沿った喜びを与えられたら、子供の心を元気(情動を接近系に維持できて、その子供なりの心の成長を可能)にします。
情動回避系反応を生じる刺激を恐怖刺激、嫌悪刺激と言います。ある子供では喜び刺激でも他の子供では恐怖刺激だと言うことは良くあることです。ですから、具体的にこれが恐怖刺激だと決めつけると間違いになります。子供にある刺激が加わったとき、子供が情動の接近系の行動をすると喜び刺激ですし、情動の回避系の行動をすと恐怖刺激と判断されます。
 恐怖刺激は人によって異なります。それ故に本能的な恐怖刺激以外はその反応の仕方から恐怖刺激かどうかを判断する必要があります。恐怖刺激が加わると子供は次の4つの内のどれかの行動をします。
*その恐怖刺激から逃げようとします。
*逃げられないときには、恐怖刺激を回避するための良い子を演じ(参照A21)ます
*良い子を演じられないときには、恐怖刺激に関係する物に対して、攻撃行動または問題行動します(参照A25)。
*攻撃行動や問題行動ができないとき、精神症状を出します(動物ではすくみの状態)。人間の場合精神疾患として治療をされますが、子供の立場から言うなら回避できない嫌悪刺激で強い回避行動を取るか、逆に心身ともに回避行動が取れなくなって、動けなくなっている姿です(参照C3)。それ故に脳に解剖学的な異常がない限り、子供に精神疾患はないと結論づけられます(参照A26)。
 恐怖刺激には、人間特有の恐怖刺激(痛み、否定、強すぎる五感、新奇)その人が属している文化圏特有の恐怖刺激、他の人には恐怖刺激でないけれどその人特有の学習した恐怖刺激があります。その人特有の学習した恐怖刺激には、その恐怖刺激の実体がわかる場合(トラウマ)とわからない場合(fecor)があります。
*不安刺激
恐怖刺激そのものと理解されないで、恐怖刺激を予想させる刺激を不安刺激と言います。恐怖刺激の実体が分からない場合と考えられます。

{A7}{刺激間の相互作用}
*回避系の刺激には相乗性があります。回避系の刺激の後に続く回避系の刺激は、元来の回避系の刺激より強く機能をします。
*接近系の刺激には慣れがあり、接近系の刺激の後の接近系の刺激は、元来の接近系刺激より弱く機能をします。
*接近系と回避系の刺激と同時に作用をした場合には、お互いに相殺して、相殺され残った方の刺激の作用が生じます。

{A8}{自己否定から生じる恐怖の条件反射}
 否定される、自己否定は本能から情動の回避系です。多くの人は心が元気ですから、少しぐらい否定されても、自己否定をしても、怒りを表現するぐらいで収まってしまいます。ところが心が辛い大人も子供も、否定されたり自己否定をすると、体中をその辛さが襲い、人によっては荒れたり、問題行動を起こしたりしますし、その回避行動の程度が強いと事件になったり、心の病の症状を出します(参照A6)。この心の病の症状は、軽い場合には鬱状態から、ひどいと認知不全を起こして統合失調症の症状を出します(参照A26)。

{A9}{子供の自殺}
 自己否定から生じる条件反射の例として見落とされている物があります。それは子供の自殺です。学校が辛い子供が学校に行かされ続けている場合(登校拒否をしているけれど、現実に不登校になって居ない)、子供は登校することをとても辛く感じます。その結果登校したように演じて登校しない場合をしばしば経験します。学校が終わるまで学校以外の場所で時間を過ごして帰宅します。しかしそれは直ぐに親に見つかります。その後子供は登校をしないで時間を過ごす場所がなくなります。ここからは心の仕組みからの推測ですが、子供は地上に自分の居場所がない、生きているだけでも辛いと、情動で感じ取っていたはずです。意識には上っていません。意識に上ったときにはその範囲で遺書を残す子供もいます。登校途中で発作的に自殺をしてしまいます。自殺と書きましたが、子供は自分の居場所を探したのです。子供の心が楽になる場所に発作的に行きたかっただけであり、その結果が死になっただけで、死にたかったのではないのです。

{A10}{逆行動の法則}
 これは心が辛い子供の回避系の刺激について必ず成立する法則です。心が辛い子供とは絶えず情動が回避系にあるので、そこに新たに回避系の刺激を受けると、元々の回避系と受けた刺激の回避系との間で相乗効果を生じて、子供の情動がますます回避系になり、より強い回避系の症状を出すことを言います。その際に、新たに加わった嫌悪刺激に素直に反応する子供は、ただ単に嫌悪刺激への回避行動です。子供の多くは、新たに加わった嫌悪刺激にその場では良い子を演じるという回避行動を行った後、または別の場所で、相乗効果で辛くなった心から強い回避行動をします。親や周囲の大人は嫌悪刺激の相乗効果と言うことを知りませんから、この問題になる回避行動をした子供の行動を矯正しようとします。その矯正しようとする対応が心が辛い子供の心を否定することになりますから、そこで子供は良いを子を演じて、矯正しようとする対応がなくなった後、再度より強い問題になる回避行動を取るようになります。これが繰り返されると、人前では良い子を演じるが人が居ないところで問題行動をするという性格を身につけてしまいます。子供の心の成長という点でとても不幸なことです。
 勿論大人でも心が辛くて情動が回避系にあるとやはり相乗効果を生じて逆行動の法則が成立する場合があります。その結果として万引き盗みなどの事件を起こしたりする場あります。それでも大人では知識から回避行動にブレーキをかけられる人が多いですから、絶対的に成立する法則ではありません。しかし回避系の症状が出現しなくても、今までとは異なる何かを一時的に感じる物です。
 心が元気な子供では受けた情動回避系の刺激を元々持っていた情動の接近系で解消して、全体として情動が回避系に働くことがなくなります。多くの子供でこのように情動の回避系が隠されてしまいますから、気づく機会がありません。しかし観察力がある母親なら、一時的に何か違う子供の姿を感じる場合があります。
 心が元気な子供が自分で解決できる範囲で情動の回避系を経験することは、その成功経験が習慣の心と意識の心に記憶されて、子どもの心のころは習慣の心で、大人の心になった時には意識的に、その経験した回避系を解決する能力を身に着けます。それだけ適応力がある大人になれます。

{A11}{信頼関係}
 不登校問題の解決に母親と子供との間の愛情を主張されている人が居ます。間違いではないですが、時に間違いになることがあります。母親が思いつく愛情がかえって心が辛い子供の心を苦しめてしまう場合があるからです。それは大人の心と子供の心とが異なるからです。母親が子供の心を守ろうとする対応の指標は信頼関係です。
*不登校などの心が辛い子供の心の問題の解決に絶対に必要なのは、母親の母性からの感性と子供との信頼関係です。母親が思いつく愛情と異なる部分があります。子供は生まれ持って母親を大好きですし信頼しています。しかし母親は子供を愛していますが、子供から見て母親から信頼されていないと感じる場合があります。母親が子供を信頼すると言うことは、子供の姿が母親の思いと異なっていても、その異なって居るそのまま、ありのままの子供をそれで良いと認めることを言います。
*ありのままの子供の姿が母親を苦しめる場合があります。それは子供の経験不足からの失敗かfecorが反応をした場合です。そのとき、母親からの共感とスキンシップ、大好きだよ、お母さまの子供で有り難うという言葉で子供の本能が機能をしだし、子供が母親の思いに無理なく合わせようとし出します。子供の本能が機能をし出すまで、母親にとって子供の姿に地獄の思いをすることはどうしても必要なことです。特に心が辛い子供では、子どもの見かけと違って心は地獄の思いを経験し続けているのですから。
*心の距離を考えてみます。母と子供との間に完全な信頼関係があるとき、心の距離がないと表現します。母と子供との関係の信頼関係の程度を、心の距離と表現します。
*不登校などの心が辛い子供が母親からの信頼度をテストすることがしばしばあります。それは子供が常識的な母親なら喜びそうな言葉や行動を無意識に行う場合です。子供の方から良い子を演じてしまう場合です。それに母親が喜んで対応をすると、子供は母親への不信感を強めます。子供の辛い心がますます辛くなり、荒れたり問題行動を強めてしまいます。子供が良い子を演じたことを見抜いて、今までの子供の姿を認め続けると、子供は母親への信頼度を高めて、問題行動を止めますし、成長とともに自分の問題を自分で解決していきます。

{A12}{代理母}
 子供は一人で成長できません。大人に守り育てられている必要があります。ほとんど全ての子供は、その子供を産んだ母親がそれをしています。その子供を産んだ母親には、その子供を無条件で守り育てようとする本能、母性が機能を持っています。しかし一部の子供では、母親ではないけれど、母親の代わりに子供へ母親の役割をしてくれる大人がいます。その大人を代理母と言います。
 心が元気な子供では、代理母はその子供を守り育てようとする大人で大丈夫のようです。父親でも可能なようです。ところが心が辛い子供では、代理母に辛い子供の心を癒やす機能を持っている大人が必要です。しかし代理母ではその子供への母性の機能はありません。しかし子育てをした経験がある女性なら、経験と知識から母性に近い対応が可能です。子育ての経験がない女性でも、女性特有の柔らかくて暖かい肌でハグされる、スキンシップをされることで、心が辛い子供の心が癒やされますから、代理母が可能な場合があります。

{A13}{自然態}
 大人の心と子供の心と異なっています。大人と違って、子供は受けた刺激に対してそのときまでにできあがっている習慣の心と情動の心で反応をして成長をする姿のことを自然態と言います。その子どもの自然体を認める対応が子供の心に沿った対応になります。子供の心が元気なら、大人の思いから子供の行動や成長に介入しても、子供にそれ受け入れる心の余裕がありますから可能なのです。それが日常行われている常識的な子育てです。子供の心が辛いときにはそれができません。子供の心が辛いときには、子供の習慣の心とそのとき生じている情動を認める母親の対応が必要です。それが認められると子供の方で心の辛さが減って、子供が持って生まれている本能から、母親の思いに近づこうとする心の動きが出てきます。認められないと子供はその場では一見それを受け入れたように良い子を演じますが、子供の心はより辛くなり、逆行の法則が成立するようになります。
子供自身も親の思いを感じ取って自分らしくと言う言葉をよく使いますが、その自分らしくは子供自身が求めた物ではなくて大人達から求められた物です。つまり大人達からある意味で否定された言葉なのです。母親だけはありのままの子供を認めるために、その子供なり、自分なで良いという言葉を使われた方が、子供の心が元気になりやすいです。

{A14}{心が辛い子供への対応法}
 大人と違って子供はその本能から心身ともに成長をします。子育てはそれを利用して行われていますが、心が元気な子供では親が子供の成長を導くことができます。子供の方で親の子育てに合わせる心の余裕がある場合です。心が辛い子供では自分の辛い心を維持し回復させる必要がありますから、親は子供の心が求める要求に沿った対応が必要です。
子育ての基本は、子供を信じて成長を待つです。もう少し具体的には、

1)心が元気な子供への対応 今までの日本文化的な対応が可能

2)心が辛い子供への対応=子供と母親との信頼関係を作る。信頼関係ができると子供は子供自身が持っている本能から、自分から自分の問題を解決しようとします。それが一番早くて、確実な解決法です。それを一言で言うなら、「母親だけはありのままの子供を認める」または同じ意味で、「母親は子供を信じて子供の心の成長を待つ」です。もう少し具体的に言うなら、
*子供の話を子供が納得するまで聞くこと。その際に聞いているという相づちを入れるけれど親としての意見は言わないこと。子供からの質問には、母親としてこう思うけれど、子供の判断が大切だと言うこと。それを傾聴と言います。
*母親は子供の言葉に共感して、ハグなどのスキンシップをするだけ
*母親だけは子供の要求を100%だけ、即座に、笑顔で叶えること
*母親だけは子供を見ない、子供に言わない、母親の笑顔(演技でも可能なようです)
もう少し具体的に表現するなら、常識に反しますが、子供を登校刺激から守るために家の中に引きこもらせて上記の対応をして、時間がかかりますが、子供の心の成長を待つことになります。子供の心の成長から、子供発の意思(心のエネルギー)で子供社会(学校を含む)、自立して大人社会に出て行くのを待ちます。子どもの心が辛い限り、それ以外の方法がないといってよいです。

{A15}{引きこもり}
 不登校などで家の中だけで生活をする子供、自分の部屋の中だけで生活をする子供を引きこもりと表現します。大人年齢の引きこもりと子供年齢の引きこもりと対応が異なります。子供の引きこもりについて、家の外に登校刺激があるから、fecorの反応を避けるために家の中で成長しようとします。家の中に登校刺激があるとfecorの反応を避けるために自分の部屋に引きこもって成長をしようとします。fecosは情動記憶ですから、多くの場合fecosが消失するのにとても長い時間を要します。fecosが消失するまで登校刺激から守られ続ける必要があります。登校刺激から守られて引きこもっている間に、子供がその子供にとって楽しいこと、現在ではゲームやネット、漫画などの楽しいことなどの情動の接近系に没頭して学校や学校に関する物を忘れていると、fecosが情動の接近系に相殺され、fecosがないのと同じになり、子供は学校に行かないけれど子供としての成長が可能になります。子供の本能が機能をし出すと、不登校だった子供でも学校を求めるようになる子供も出てきます。子供が家の中に引きこもって成長をする姿を、蚕が繭を作ってその中でさなぎから成虫になることに例えた場合に、繭籠もりと表現することがあります。

{A16}{後追いと先周り}
 母親と子供との間に信頼関係があると、子供は子供特有の本能から母親の思いを感じながら与えられた環境に順応して成長をしていきます。その過程で子供では解決できないことがあると、母親に助けを求めます。母親はそのときだけ子供の心に沿った対応で子供を助ける以外に、何もすることはありません。このような母親の対応を後追いと言います。後追いは子供を心身ともに成長をさせて、自立した大人にすることができます。
 多くの子育てで見られる先周りという対応があります。大人の心と子供の心と異なります。子供のためと考えて大人の心で考えついた対応は子供の心に沿っていない場合があります。心が元気な子供では大人の思いに自分を合わせ、それにより子供の能力を伸ばすことができますが、心が辛い子供ではそれができません。大人からの先周りをした対応が、心が辛い子供の心を否定してしまう場合が多いです。その結果逆行動の法則(参照A10)が成立してしまう場合を多く見かけます。

{A17}心が元気な子供、心が辛い子供
*心が元気な子供とは、一日の内の大半の時間で情動の接近系が機能をしている子供です。子供の方で大人の要求を良い子を演じることで叶えてくれます。その際の辛さを子供同士の遊びや母親との触れ合いで解消できます。
*心が辛い子供とは、一日の内の多くの時間で情動の回避系が機能をしている(ゲームなどで楽しめている間は機能をしていないが、止めると直ぐに機能をし出す)子供です。嫌悪刺激が家の中などの子供の周囲にあるか、子供の記憶の中にあります。
*めったにされませんが、この考え方は大人でも可能です。

{A18}大人の心と子供の心の違い

違い1:幼児期以降の子供の情動は、大人の情動とほぼ同じように完成しています。習慣の心は子供の経験量によって、また体の成長によって増えていきます。知識の心は知的な学習により増えていきます。
子供は心身ともに成長をします。身体が未発達の時点では大人と同じことが物理的にできません。情動の心は大人とほぼ同じだから、その機能は大人と同じか大人以上の場合もあります。習慣の心は経験不足と体力不足から大人と同じことができませんが、成長過程にあります。知識の心は教育により知識を増やし、それを言葉として表現できるけれど、知識から行動にできません。

違い2:大人は主として習慣の心から行動をします。習慣の心で行動ができないとき知識を利用した意識の心で行動をします。情動の心は知識の心で調整されています。子供は知的な言語活動は可能ですが、知識を用いた意識の心からの行動ができないと考えて良いです。主として未完成の習慣の心と完成した情動の心で行動しています。

違い3:子供は母親または母親に相当する大人に依存をしなければならなりません。それ故に小どもは母親に優しい、母親が嫌がることを基本的にしません。母親が嫌がることをしたときには、子供の失敗だと考える必要があります。

違い4:体の成長は栄養を与えることで他人でもできます。しかしその子供なりの素直な子供の心の成長は母親、または子供自身が母親と認識する女性でしか難しいです。

違い5:子供は本能を含めた情動とそのときまでに身につけた習慣から行動をします。

{A19}子供の本能
 子供の本能(情動の一種)として注目しなくてはならないもの
*本能1:新しいことを知ろうとする
*本能2:同年代の子供を好む
*本能3:母親を大好き
*本能4:与えられた環境に順応しようとする

{A20}{心が辛い子供の元気さの評価法}
 心が辛くても、辛くなくても、子供は体を動かします。その体を動かす元は物理的なエネルギーです。熱量に換算できます。ところが子供の心が元気になって、ある目的を持って動き出すとき、物理的なエネルギーがある方が良いのですが、物理的なエネルギーがなくても心のエネルギーがあれば解決可能です。心のエネルギーとは情動の接近系の大きさです。接近系に向かっている心の動きをプラスの心のエネルギー(意欲場合によってはポテンシャル)と表現しています。情動の接近系には向かう方向があります。その向かう方向ごとに、心のエネルギーの存在を考える必要がありますが、子供自身の経験や成長によりその方向性が変化していくようです。ゲームとかネットとか、趣味とか、心のエネルギーには方向性があります。経験的にそれらに向かっていた心のエネルギーが学校に向かうのは最後の最後のようです。
 情動の回避系は接近系を打ち消します。それ故に回避系を心のエネルギーがマイナスと表現しています。マイナスの心のエネルギーには方向性がないようです。マイナスの心のエネルギーには相乗効果がありますから、マイナスの心のエネルギーが加わっている子供(心が辛い子供)にマイナスの心のエネルギーを加えると、心のエネルギーはもっとマイナスに機能をします。
 心が辛い子供の心が元気になって行くには、心のエネルギーがプラスになり、その程度がだんだん強くなっていく必要があります。その心のエネルギーが貯まっていく姿は「子供自身発の意思(子供の場合、他人からの誘導でなく、自分の心の奥底から涌いて来る)欲求」が出てくることと表現できます。

{A21}{良い子を演じる}
 子供はその本能から、母親に対して子供の自然態としての良い子です。子供の方から母親が嫌がることをしません。ところが子供が自然態の良い子以上に良い子の場合があります。それは自然態の良い子では子供が自分の辛さから逃げられない場合です。子供が自分を辛くする人からの辛さから逃れる手段として、無意識にいつも以上に良い子の姿を演じてしまう場合があります。それを良い子を演じる(参照A21)と言います。子供の自然態の良い子の姿と良い子を演じた場合の良い子の姿と見分けるのは大変に難しいです。母親でもいつも以上に良い子だからと喜んでしまい、良い子を演じていると気づかない場合が多いようです。ただ、良い子を演じた子供は大人がいないところで問題行動をしますから、子供の問題行動の噂を聞く場合は、子供が良い子を演じていないかどうかを母親は考える必要があります。

{A22}{子供の問題行動}
 子供が母親から見て問題行動をする場合があります。その要因として、子供が経験不足から母親から見て問題行動をしている場合と、母親が子供の心を辛くしてその辛さから子供が回避行動をして、母親から見て問題行動をしている場合があります。
*子供が経験不足から母親から見て問題行動をした場合、母親だけは子供の問題行動を否定することなく受け入れて子供を抱きしめて、その子供の行動で母親が辛い思いをしているという意味で泣くと良いです。常識的には子供の問題行動を正すように躾けるべきでしょうが、経験不足からの問題行動の場合、子供のその問題行動を大人の力で大人の希望する姿に正そうとすると、子供はなぜそのような対応を受けるのか理解できません。それは子供を辛くしてしまいますが、母親だけは子供の失敗を失敗だと認めて決して子供を責めないことが大切です。子供の判断基準は母親が喜ぶか悲しむかという事実から作られます。この母親との関わりを重ねて、子供は躾けをされていきます。子供の性格になります。
*母親が子供の心を辛くしてその結果から子供が母親から見て問題行動をしている場合は、なぜ母親が子供の心を辛くしているのかの原因を見つけて、母親が変わる必要があります。母親が変わらないと、子供の問題行動は繰り返されますし、酷くなっていきます。そして最終的には些細なことで子供が問題行動をするようになるという性格になってしまいます。

{A23}{言葉と行動 }
 言葉も人間の行動の一つです。大人は刺激を受けて、その反応として言葉を発して行動をします。言葉だけは直接特定の意味を持って理解されて、相手に多くの情報を与えるところが、言語行動とその他の行動と異なるところです。子供は幼い内から言葉の学習を絶え間なく受け続けています。それに反して行動の学習を受ける機会は言葉の学習ほど多くはありません。あったとしてもそれはいわゆる躾けという形で、恐怖を用いた強制による行動のことが多いようです。子供の反復する学習行動という形を取ることは、言葉の学習ほど多くはありません。また言葉は、一つの言葉でおおむね人によらないで一つの意味を伝えますが、行動はその観察者により異なった理解を生じます。場合によっては観察者により、その意味が全く逆な理解のされ方をされる場合もあります。その結果子供の言葉と行動とは、刺激に対して全く違った反応の仕方をすると解釈する観察者も出て来てしまいます。
 大人は外部からの刺激に対して、意識の心で情報が処理されて、その結果が言葉と行動になって現れます。情動は意識の心で情動反応が調節さてしまうことが大半です。そのため大人の発する言葉と行動は一致します。子供は大人と同じ言葉を発しますが、子供の行動は子供の持つ情動から成されますから、大人が意味するの言葉の意味と異なる行動になります。
 子供ではその行動にほとんど意識の心の関与はないと考えて良いです。意識の心で処理された情報は言葉となって現れます。情動の心で処理された刺激は行動になって現れます。子供の行動や反応は外からの刺激で反射的に、または学習した手続きに基づいて生じます。子供では自発的な行動が多く見られます。それは情動の接近系である情動行動=意欲から、周囲に積極的に働きかけるという形で生じますが、その姿が大人で見られる思考からの行動と区別ができません。

{A24}{子育てと教育}
 子育てとは、親の子供が自然淘汰に耐えるための、肉体的な成長の保証、環境に順応するための社会性を持たせるものです。ただし人間では人為的な学習、教育が子育てに加わります。教育は人間にだけ見られて、他の動物では見られないようです。教育は人間を他の動物との違いを際だたせています。けれど子供にとって、教育も単なる環境としての意味しかありません。教育という環境が子供を有能にする場合もありますが、逆に子供を人間として無能力者にもしてしまう危険性もはらんでいます。教育が子供の社会へ順応しようとする欲求と一致したときには、教育はその子供に大きな効果がありますが、子供の欲求と一致しないときには、子供には嫌悪刺激として働くからです。その時でも親や大人は子供のためと考えて、子供のために良いことをしていると考えて行動しています。これが大人と子供の間に意識のずれを生じる原因の一つになっています。
 今の学校制度を考えるなら、元気に過ごせている子供ではその家庭なりのあり方で良いのですが、子供が学校で良い子を演じたり、辛い思いをした場合には、家庭が子供の心の癒やしの場になって居る必要があります。家庭が学校化したら、子供の学校での辛い心を癒やす場所がなくなってしまいます。

{A25}{刺激と子供の行動}
 特殊な場合を除いて、大人は思考から言葉を発し、行動をします。思考を用いない場合でも既にできあがった習慣の心より言葉を発し行動をします。芸術活動などの特殊な場合を除いて情動からの行動はほとんどありません。それは意識の心が情動を調節しているからです。またそれが大人としての理性的なあり方だと考えられています。
 大人と違って、子供は刺激に対して素直に反応をします。大人は刺激を分析してその結果を予測して行動することができます。しかし子供は加わった刺激に対して、行動の仕方を学習している(習慣化した行動)場合をのぞいて、加わった刺激にそのまま反応します。それは情動行動であり、思考行動はほとんどないと考えられます。言葉の大半は習慣の心からの言葉が大半であり、情動からの言葉(恐怖に直面したときなどの短く発する声)は僅かです。思考による言葉は年齢が小さければほとんどないと考えられます。

{A26}{嫌悪刺激と行動}
 嫌悪刺激を受けたときの子供の行動は恐怖を回避する回避行動です。子供が具体的にどのような行動をとるかについては、その時までの子供の経験が大きく関与しています。現実的には、子供の性格という言葉で濁されていることが多いようです。
 度重なる嫌悪刺激を受けて、その嫌悪刺激から逃れられないときには、子供は無気力(動物では竦みの状態)になります。その際に、子供は辛い自律神経症状や精神症状を出す場合、荒れたり問題行動をする場合があります。それでもまだ回避できない嫌悪刺激が続くと、子供の肉体的、精神的な成長が止まってしまいます。場合によっては成長が逆行することすらあります。この姿はまさに、精神疾患であると医者から言われた人の姿と全く同じです。

$B{言葉の説明}

ここで用いる言葉は大人が日常使っている言葉を用いていますが、それとは違う意味で使っている言葉の説明をしておきます。

{B1}心
 心とは脳の機能を指しています。子供の心を考えるときには、情動の心(主として大脳辺縁系の機能)、習慣の心(主として運動前野の機能)、意識の心(前頭前野と登頂葉、側頭葉の機能)とに分けて考えます。

{B2}情動と感情
 情動とは大脳辺縁系の機能を指しています。体中に表現された情動を感じ取って、意識の心から言語化した物(認識)が感情です。ですから感情と認識できる以外の情動反応もあります。情動には何かを求めようとする接近系と、何かから逃げようとする回避系とがあります。言語化された感情表現は色々とありますが、接近系を認識したとき、喜びを感じたと認識します。回避系を認識したときに、辛さを感じたと認識します。一般的に接近系は建設的な行動を誘発しますし、回避系は逃避や問題行動を誘発する傾向があります。

{B3}認知と認識
 末梢の感覚受容器から送られてきた感覚情報を情報処理した結果できあがった感覚記憶の単位と思考の結果できあがった陳述記憶の単位を認知と言います。この感覚の単位=認知から反応が可能になります。習慣の心残りますが、言葉による記憶には残りません。認知した情報を意識することを認識と言います。認識したときには言葉による表現が可能になります。言語による記憶に残ります。

{B4}意識
 脳科学的にはっきりと解っていません。私見ですが、記憶とそれに基づく判断からの行動を意識行動と言います。少なくとも言語化(必ずしも言葉として発する必要はない)とそれに伴う情動(クオリア)が必要が必要なようです。

{B5}記憶
 陳述記憶と非陳述記憶があります。陳述記憶とは言葉または文字として出力される記憶です。非陳述記憶には手続き(習慣、意識に上らない体の動き)記憶と情動記憶があります。意識に上りません。
 一時記憶とは刺激を受けたり、反応をしたりしたとき一時的にできた記憶。その後完全に消失してしまいます。永久記憶とは消失することのない記憶を言います。

{B6}追憶、忘却
 追憶とは記憶を思い出そうとする過程。忘却とは記憶を思い出せないこと。一時記憶は時間とももに忘却し、追憶できなくなります。永久記憶は時間とともに追憶が難しくなる傾向があり、一時的に忘却しても、何かの機会に追憶可能になる場合があります。

{B7}恐怖刺激=嫌悪刺激
 回避系反応を生じる刺激を恐怖刺激=嫌悪刺激と言います。恐怖刺激が加わると子供は次の4つの内のどれかの行動をします。この行動を誘発させる刺激を恐怖刺激と言います。
*その恐怖刺激から逃げようとします
*逃げられないときには、恐怖刺激を回避するための良い子を演じます
*良い子を演じられないときには、恐怖刺激に関係する物に対して、攻撃行動または問題行動します
*攻撃行動や問題行動ができないとき、精神症状を出します(動物ではすくみの状態)
それ故に脳に解剖学的な異常がない限り、子供に精神疾患はないと結論づけられます。
 恐怖刺激には、人間特有の恐怖刺激(痛み、否定、強すぎる五感、新奇)その人が属している文化圏特有の恐怖刺激、他の人には恐怖刺激でないけれどその人特有の学習した恐怖刺激があります。その人特有の学習した恐怖刺激には、その恐怖刺激の実体がわかる場合(トラウマ)とわからない場合(fecor)があります。

{B8}情動の接近系と回避系
情動(大脳辺縁系の機能)の情報の処理は大きく分けて接近系と回避系に分けられます。
1)子供における接近系として
摂食、飲水、温度、子供特有の本能(母親を含む)
学習した条件刺激
2)子供における回避系としては
痛み、強すぎる五感、欲求不満、無視、自己否定
学習した条件刺激(条件刺激が理解可能な物=トラウマ、理解できない物=fecor)
3)刺激間の相互作用
*回避系の刺激には相乗効果があります。回避系の刺激の後に続く回避系の刺激は、元来の回避系の刺激より強く機能をします。
*接近系の刺激には慣れがあり、接近系の刺激の後の接近系の刺激は、元来の接近系刺激より弱く機能をします。そして最終的には慣れを生じて接近系の刺激の機能を失ってしまいます。
*接近系と回避系の刺激と同時に作用をした場合には、お互いに相殺して、相殺され残った方の刺激の作用が生じます。

4)不安刺激
恐怖刺激を予想させる刺激を不安刺激と言います。恐怖刺激を認知できても、回避行動を起こさない場合と考えられます。きっと具体的に実体が解らないfecosだと思われます。

{B9}心のエネルギー
 心のエネルギーとは情動の接近系の強さです。〜したいという、意欲と置き換えて良いです。物理的なエネルギーとは、現実に体を動かすためのエネルギーです。腕力などの体力を言います。体の大きさなどと関係しますが、直接心と関係していません。

{B10}条件反射
 条件反射には、情動の接近系を無条件刺激として生じる条件反射(パブロフの犬)と、情動の回避系を無条件刺激として生じる条件反射(fecor)があります。トラウマもfecorの一つの形です。(参照A4)

{B11}意欲
大人では知識と情動の接近系からの行動の予兆ですが、子供では情動の接近系からの行動の予兆です(参照B9)。これが大人の心と子供の心の違いの一つです。子供の意欲の大きさは、心のエネルギーの大きさと表現できます。

{B12}性格
子供の場合の性格とは習慣の心と情動の心の反応の仕方です。
子供の知識は言葉として表現できても、行動として表現することはできないか、難しい。
子供は知識からの反応行動ができないので、習慣の心と情動の心から刺激に素直に(反射的に)反応行動をします。

{B13}クオリア
情動が体内に表現した物を内臓感覚で感じ取り認識した物を言います。認識対象物の質感と言って良いと思います。このクオリアから人は感情を生じて、生命を維持しようとしています。自我とは、自分を認識した際の自分を認識したときに生じるクオリアとその反応の仕方です。

{B14}母性
これは母親の子供を守り育てようとする本能です。心が辛い子供を守り育てるには母性の機能が必要です。母親がいない子供では母親に代わる女性=代理母が必要ですが、それも子育ての経験のある女性が好ましいです。母親が実在していると認識している子供には、代理母の機能を期待できません。男性に子供は代理母の機能を求めない場合が多いです。
子供はその本能から、
*母性に守られようとする
*柔らかい肌、温かい肌、少し動く肌に子供は守られていると感じ、心の辛さを解消できると言う本能を持っています。

{B15}{昼夜逆転}
昼間寝て、夜起きて活動をすることです。子供についての昼夜逆転は正さないといけないと考えられていますが、不登校などの心が辛い子供は必ず昼夜逆転を経て、その間に心を元気にして、自分の心の問題を自分で解決して、昼夜逆転を止めます。健康には影響をしません。
そのほかにも、顔を洗わない、風呂に入らない、歯を磨かない、頭髪を切らないなど、親の思いと異なる生活の姿をしていても、子供の心が元気になると、これらは全て子供自身で解決してくれます。

{B16}ゲーム漬け、ネット漬け
不登校などの心が辛い子供がそのfecosを忘れている時間を作るのに好ましい時間の過ごし方です。fecosがない時間が多いほど、早くfecosの機能がなくなるからです。大人から見たら子供の将来が心配ですが、この方が早く確実に心が元気な大人になってくれます。そして大切なことは、子供の心が元気になったら、これらのゲームやネットを卒業(参照17)できるという意味です。別の見方をすれば大人になってもゲームやネットに依存している人は何か心に辛い物があると考えて良いほどです。

{B17}{ゲームを卒業}
 不登校などの心が辛い子供がゲームばかりしていたり、ネットばかりをしている姿を親が見ると親は子供の将来にとても心配になります。ゲームやネットを楽しむ時間を制限しようとします。
 子供にとってゲームやネットなどはとても楽しい物です。情動の接近系です。情動の接近系には慣れがありますから、子供がゲームばかり、ネットばかりをしていると、飽きが来るはずです。実際に心が元気な子供はネットやゲームを楽しみますが、それで一日中過ごすことはありません。心が辛い子供では、ゲームやネットの楽しさは、絶えず存在する登校刺激の辛さを打ち消しますから、絶えずある心の辛さを軽減して子供を楽にしてくれます。けれどゲームやネットを止めるといつもある心の辛さが生じます。その心の辛さを解消するためにゲームやネットをし続けなければなりません。またゲームやネットを楽しんでいる間は、自分を辛くする物(fecos)を忘れていますから、このfecosを忘れている時間が長いほど、fecosの作用が弱くなり、だんだん心が辛くなくなります。子供の心を元気にしていきます。
 ゲームやネットを楽しんでいる間に、子供はゲームやネット内で色々な勉強をしています。それは学校で教える勉強とは異なりますが、成長をして社会生活をするのに十分な物です。今のネットはネット上で家庭外の人との交流が可能です。学校に通っている子供以上に上手な人との交流ができるようになります。その結果子供がゲームやネット以外の、子供自身で本当にやりたいことを見つけて、それを契機にぴたっとゲームやネットをするのを止めて、その後は自分で見つけたやりたいことに没頭するようになります。この子供の姿を子供がゲームを、ネットを卒業したと私は表現しています。経験的にゲームやネットに熱中すればするほど、ゲームやネットを卒業する期間は短くなります。そのゲームやネットを卒業するまでの時間は、どれだけ子供がゲームやネットの没頭できるかにかかっています。

$C{子育てについて(脳科学から見た)}

{C1}{母親と子供}
 母親と子供には生まれ落ちてからそのときまでの親子の信頼関係があります。つまり子供は無条件で母親を信頼しようとしますし、母親も母性から子供の姿を認めようとします。親子の信頼関係が強ければ子供は母親を大好きで、その子供なりの成長ができます。母親の前で良い子を演じる必要がありません。信頼関係がないと子供は親の前で良い子を演じなければならなくなります。特に母親がいないところで、荒れたり問題行動をするようになります。それでも子供は母親を信頼しようとしますが、子供は母親を信頼できないと表現しているのです。

{C2}{父親の役割}
 心が元気な子供では、父親は子供と常識的な関わりを持つことができます。子供の成長に父親なりの関わりを持つことができます。
 心が辛い子供では、子供は父親に自分を責める存在と感じる傾向があります。それ故に心が辛い子供には父親を意識させない方が良いです。父親は存在してしっかりと母親を支えてもらって、それでいて子供の意識に現れない、子供から見たら黒子の役割が良いです。心が辛い子供への対応は全て母親に任せた方が、母親の問題点がはっきりしますし、その母親の問題点を解決できたら、子供の心は元気になっていきます。

{C3}{神経症状(心身症、自律神経失調症)}
 人間社会では嫌悪刺激があってもその嫌悪刺激を認識できないことが多いです。それは嫌悪刺激が誰でも理解できるものだけではないからです。嫌悪刺激が加わると、その時新たにfecosを学習してしまうからです。その新たに発生したfecosは、そのfecos学習した当人しか恐怖を生じません。当人以外の人には何でもないか、楽しい物だからです。当人がなぜ恐怖を生じるのか理解できません。当人も恐怖を生じるはずがない原因で、当人が恐怖を生じるこを当人も理解できなくて、心身症の症状を出すだけでなく、当人が自己否定を生じていることが多いようです。恐怖を認識できなくて、嫌悪刺激が長時間続くと、自己否定からも自律神経症状や精神症状を出すようになります。

{C4}{トラウマ}
 トラウマと心的外傷、心の傷は同じ意味です。その本質は恐怖の条件反射=fecorです。トラウマを持つ人には、fecosを学習した恐怖体験があります。それを心が傷つくといいます。fecosにより神経症状や精神症状を出したり、回避行動をとる時、心の傷が疼くと表現します。不登校などのfecorを生じるfecosと、トラウマを学習した際のfecosとは異なることに注意をしなければなりません。fecosは日常身の周りにある極ありふれたもののことが多く、当人だけにfecorを生じ、当人以外には恐怖を生じないことから、当人もfecosだと気づかないのです。現実にfecosとして理解されないことが多いです。
 繰り返しトラウマが反応すると、すなわち同一のfecosで繰り返しfecorを生じるときには、新たに身の周りにある物をfecosとして学習してしまいます。トラウマが反応をするとそのfecos以外の物が新たなfecosとなり、恐怖の条件刺激の汎化を生じます。
 元来、子供はその本能から自分から進んで社会性を持とうとしています。ところが実際は年齢が進むにつれて、家庭に、子供の社会である幼稚園や学校に不適応を起こす子供が出てきます。それは子供が成長の過程で恐怖(子供として嫌なこと、辛いこと)に出くわすからです。すなわち、子供が恐怖に出くわすと、その周囲にある物をfecosとしてfecorを学習してしまいます。次にその子供がそのfecosに出くわしたとき、子供のfecorが反応をして回避行動をとってしまいます。周囲の大人にはこの子供の心の反応を理解できませんから、子供の回避行動を見て、その子供の性格が歪んだと感じるようになります。ただ、子供が嫌悪刺激に出くわさないような成長は現実には不可能です。子供が恐怖を感じたとき、その辛さを癒してfecorを学習しないようにするのは、母親や教師を含めた大人の役目です。その子供の恐怖を癒そうとする大人の役目が現在機能していない場合が多いと考えられます。その結果が社会に不適応を起こす色々な性格の子供を生じる原因の一つとなっていると考えられます。
トラウマ、fecorは日本語での心の傷です。心の傷に触れる物がないと心の傷は疼来ません。心の傷に触れる物があると心の傷は疼きます。心の傷が出す症状は色々な自律神経の症状や子供の問題行動、子供の精神症状です。
 私たち大人は、「心を傷つけた」とか「心を傷つけられた」とか、表現することがあります。その際に、私たちがそれらの言葉で意味したものは、「嫌な思い、辛い思いをさせた、させられた」と言う意味です。大地震や事件、災害で死ぬような思いをしたときには、トラウマを受けたと表現します。そのトラウマを受けた結果、いろいろな神経症状を出したり、社会生活の上で不都合な行動をするようになったとき、トラウマがある、トラウマを持っていると表現して、トラウマという言葉を使う傾向があります。
 日本でトラウマが注目されだしたのは、1994年の阪神大震災の時です。その際にPTSD(Post Traumatic Stress Disorder)と言う概念が、注目され出しました。現在ではPTSDをトラウマと同義語として用いる人もいますが、PTSDはトラウマの一つの表現であり、トラウマがPTSDではありません。
 トラウマを神経生理学的に言うなら、それはfecorです。条件反射だから、条件反射を学習する段階と、条件反射が確立した後の段階に分かれます。fecorを学習する段階を、トラウマを受ける、人の心を傷つけると表現しています。fecorが確立した状態をトラウマがある、心の傷があると表現し、そのfecor自体をトラウマ、心の傷と表現する人が多いです。
 fecor分かりやすい例として、子供のお医者さん嫌いと、暴力教師と生徒との関係の二つの例をあげてみます。
*子供のお医者さん嫌いについてです。子供は元来医者を嫌いではありません。それが子供が病院で押さえつけられたり、注射をされたりの痛い経験、嫌な経験をしてからお医者しゃん嫌いになります。その際に側にいた医者を、白い着物を着た人をfecosとして学習したのです。その際の無条件刺激は注射の痛さであり、押さえつけられたその時の嫌な気持ちです。その際に傍にいた医者にfecosを学習してしまいました。そしてそれ以後子供は医者を見ただけで恐怖を感じるようになます。それは医者が注射をするしないに関係なく生じます。この段階は、子供がトラウマを受けてしまったと表現できる段階です。注射の痛みさえなければ、医者は子供の辛さを解決してくれる関係です。子供自身が辛いときは医者を求めます。ところが一端注射の痛み(無条件刺激)で医者をfecosとして子供が医者をfecosとして学習してしまうと、それ以後子供は白衣の医者を見るだけで、思いつくだけで、その子供は注射を受けたときの痛みを受けたときの心の状態になり、その辛さから医者を拒否するようになります。
 それ以後も医者の側で子供が注射などの嫌な思いを続けると、子供は医者ばかりでなく、白い衣服を着た人、看護師さん、コックさんなどを怖がるようになります。条件刺激の汎化です。この事実は多くの大人自身が子供時代に経験したことですから、大人にも理解できます。その意味ではfecorとは言えないけれど、子供の情動の心の中で起こっている脳神経の生理は、fecorと全く同一です。特に医者とは全く異なった看護師や白衣のコックさんを反射的に怖がる場合には、その反応をfecorと表現すべきでしょう。
*生活指導の教師に指導という名目で殴られた生徒は、それ以後その教育指導の教師を見て逃げだします。生活指導の先生は子供達のために一生懸命です。父兄はその生活指導の先生を教育熱心と褒めます。しかしその生活指導の先生(元来は無関刺激)に殴ぐられた生徒の痛み(無条件刺激)で生徒は恐怖を生じ、その生活指導の先生に恐怖を感じる(fecos)ようになります。この段階では、生徒は教育指導の先生からトラウマを受けたと表現できます。他の生徒達から、親たちから良い先生と評価と受けている生活指導の先生を、その先生に殴られた生徒だけがfecor生じます。この生活指導の教師にfecosを持った生徒が問題だ、その生徒は問題児だと学校は判断し、その生徒の性格を矯正するようにと親には求められる可能性が高いです。それ以後その生徒はその生活指導の先生(fecos)を見たり意識をするとfecorが反応をして、その子供はとても辛くなります。それ以後、この教師にfecosを学習した生徒がこの教師を見るとfecorを生じ、反射的に辛くなり、この教師を避けるようになります。
 この段階でその生徒がトラウマを生活指導の教師から受けたと表現する人が多いと思います。実際はその生徒だけにとって、この教師をfecosとするfecorの反応なのですが、この時点でのその生徒のfecosは、その生徒以外の生徒や親たちにとってとても良い先生なのです。殴った教師がこの生徒の心を苦しめているとは考えませんし、殴られた子供自身もその教師が自分の心の辛さとは考えない場合も多いです。fecorを生じる生徒の方に問題があると考える人が多いはずです。
 これらを基に、トラウマを受ける=心を傷つけられる=恐怖の条件刺激を学習する、について考えてみます。この際の心を傷つけるものは強い、繰り返す嫌悪刺激(恐怖の無条件刺激、痛み、大きな音、強い光、嫌な臭い等やfecos)です。例えば強盗に刃物を突きつけられて恐怖を生じ、その際に周囲にある物をfecosとして学習します。登校拒否不登校ですと学校内で死ぬほど辛い思いをした時、教師や学校をfecosとして学習します。
 PTSDだと、例えば阪神大震災の時の激しい搖れが恐怖の無条件刺激で、その際にごーとする音や、人の悲鳴などをfecosとして学習します。化学物質過敏症もトラウマの一つの形です。化学物質過敏症で苦しむ人達はどの様な恐怖の無条件刺激を受けたのか、人によって異なっています。その際に化学物質の臭いをfecosとして学習しています。ここで注意しなくてはならないことは、トラウマと言う場合には、学習した恐怖の条件刺激が、普通の人では恐怖を起こさないために、普通の人ではなぜその人が恐怖を起こしているのか分からない、恐怖を起こしている本人も、なぜ自分が恐怖を起こしているのか分からないことが、大きな意味を持っています。
 トラウマ=心の傷=fecorとは、既に学習したfecosに出会ったとき、fecorが反応をして、恐怖を生じるようになっていることを言います。多くの人はトラウマがあるから不適応行動を示すと表現しますが、神経生理学的ににはfecosが加わらない限りfecorは反応を生じません。トラウマを持っている人でも、トラウマを反応させる物から守られていたら、普通の人と同じ生活ができます。ところが実生活では、トラウマを反応させる物=fecosは普通の人には恐怖を起こさないものですから、実生活から取り除くことができません。トラウマをもっている人だには恐怖を起こすため、社会生活が難しくなります。トラウマを持っていない人は、なぜその人が恐怖を起こすのか理解できません。トラウマを持っている人でも、何で自分のトラウマが反応をしているのか理解できないのです。その点がトラウマの理解としての問題であり、大切なところです。

{C5}{欲求不満}
現在の物質的に豊かで少子化の時代に、子供は生まれて直ぐに両親や祖父母の十二分な愛情と物質の中で生まれて育っています。子供が社会生活を始めると、それまで無条件に与えられていた物が突然与えられなくなることがあります。その際に子供の情動は子供は否定されたと反応をして、情動の回避系の反応を生じるようになります。それは大人の目から見ればわがままだったり、だだをこねたりしている姿に見える場合もありますが、子供の情動では殴られたのと同じ効果があります。その結果子供の周囲の物にfecosを学習することになり、大人の目から見たら、子供の性格のゆがみを生じたと感じるようになります。

{C6}{個性について}
 私達が「あの人は個性的」と表現するときには、その人が良い意味でも、悪い意味でも、私達が普段「これが普通だ」と考えている、「平均的だ」と無意識に考えていると考えていることからずれている人を言います。一般の人の能力、性格や行動と異なっている性格を持っていることを指しています。そして多くの場合肯定的に考えられているようです。当然その人の平均的な能力、性格や行動に関しては肯定することを含んでいますから、個性的で有ることを肯定する立場は、ありのままのその人の性格や行動、能力を認めることを意味することになります。
 個性の持つ意味あいは大人と子供と違うようです。大人は主体性を持って社会集団の中で生きて行かなくてはならなりません。そのような意味で個性が社会生活の障害になることがあります。勿論可能な限り大人社旗の中でも個性が許されるべきでしょうが、許されない場合も存在します。けれど大人は自分の意志で自分の個性を修正して行動することができます。
 ところが子供は本質的(脳科学から考えても)に既にできあがっている個性を自分の周囲に合わせることができません。大人の都合で個性を押さえつけようとすると、それは子供の心を否定することになり、トラウマを学習することになります。それ故に子供の個性を曲げるようなことはしてはならなりません。子供のあるがままの個性で成長をさせてあげると、子供は自分の成長とともに自分の個性に見合った形で社会性を獲得し続けて、大人になっていきます。それがその子供にとって一番素直な成長の形だと思われます。それは社会に新しい息吹を与える。子供の個性が輝きながら大人への成長をしている姿だと思われます。
 子供の個性とは主として情動の心と習慣の心の表現です。習慣の心は修正可能ですが、情動の心は既にできあがっており、修正は大変に難しいです。修正しようとするとそれは子供の情動が回避系働き、トラウマを学習することになります。それ故に子供では情動の心の働きに素直になる必要が有ります。子供の個性に素直に従って子育てをすれば、思考の心、習慣の心から、与えられた環境に順応するように発達して、社会性を持った思考や習慣が身に付くことになります。どうしても子供の個性を変化させたいなら、子供の情動の心が回避系にならないように、十分な接近系を与える必要があります。大人では思考の心が情動の心を調節しながら行動ができます。それ故に大人では自分の個性に反した行動が可能です。子供には、この子供と大人の個性の違いを考えてあげる必要があります。

{C7}{社会不適応児}
 いわゆるLD(Learning Disuturbance)やADHD(Attension Deficit Hyperactive Disorder)、自閉症と呼ばれている子供たちがいます。これらの子供たちの病理は全く分かっていません。乳幼児期に受けたトラウマかもしれないし、もって生まれた性格なのかも知れません。脳内に原因が見つかっていないので、乳幼児期の親からの子育ての中で子供が辛い経験を重ねて、色々な物に反応をするfecorを学習した結果かも知れません。そしてその子供を矯正しようとした結果、逆行動の法則が関与しているように感じてなりません。

{C8}{子供の能力について}
 大人でもその能力の限界には個人差があります。能力は刺激すると能力は増加します。刺激しないと減少します。しかし能力の限界からかけ離れた刺激をすると、それは能力を伸ばそうとする意欲をなくしてしまいます。子供は身体と知識が未成熟なために、大人より遥かに能力の限界は小さい。それを大人は未発達だとか、怠けていると誤解しやすい傾向があります。
 子供は一生懸命成長をしようとしています。絶えず能力の限界を出して環境と関わっています。本来の子供は意欲的に環境から学習しようとしています。もし子供が能力の限界を出していないと判断できるときは、それは大人の判断が間違っているか、子供が能力の限界を出せない何らかの原因が子供に有ると考えるべきです。大人の判断が間違っている場合として、大人自身の能力と比較して子供が出している能力が低いために、子供が能力の限界を出していても、出していないと間違って判断してしまう場合があります。子供が能力が出せない何らかの原因として、大人が気づかない、子供に加わっている嫌悪刺激の存在があげられます。

{C9}{しつけ}
脳科学的な考え方を参考のために記載しておきます。
*接近系からの行動(報償が物だと依存を生じる)
 能動的接近行動・・・ある行動を行うと報償を与える。  
 受動的接近行動・・・ある行動以外の行動を行うと報償を与える
*回避系からの行動(罰により恐怖の条件刺激を学習する)
 能動的回避行動・・・ある行動を行うと罰する
 受動的回避行動・・・ある行動以外の行動を行うと罰する。

 子供が持っている本能から、子供の方で社会性を持とうとしています。与えられた環境に順応して、その中で成長しようとします。しかし現実にはそれだけでは親は困るので、積極的にある行動をとって貰いたいし、ある行動はとって貰いたくないという場合があります。そこで子供のある行動を促し、ある行動を阻止して、習慣化する必要があります。それをしつけと表現します。
 そこで子供に積極的にある行動をとって貰う場合を考えます。その行動をとると報償を与える場合と、それ以外の行動をとると罰する場合があります。その行動をとると報償を与える場合、子供の反応は生き生きとしています。報償が物品の場合、行動と報償の間に依存を生じるようになります。求められた行動の後、反射的に報酬を要求するようになります。この行動と報酬の関係を維持できる限り問題はありませんが、この行動と報酬の関係が崩れたとき、子供は欲求不満を起こします。そのとき情動が回避系に反応をします。fecosを学習してしまいます。ところがこの行動の報償が、子供との信頼関係のある大人の愛情(例えば母親の愛情)であると、その愛情は無くなることがないので、欲求不満を起こすことはありません。
 積極的に子供にある行動をとらせない場合を考えます。その行動をとると罰する場合(現在行われているしつけの多くの形です)と、罰せられたときに子供はとても辛くなります。fecosを学習するので、性格の変化を生じ、好ましくありません。

子供の立場から見ると
1.代償で放棄(飴と鞭とも言えます)
 物品がご褒美ですと依存を生じ易いです。代償をつきることがない母親からの愛情にすることが好ましい。
2.要求放棄
 ほとんどが恐怖により放棄する。恐怖により子供はfecosを学習しやすい。放棄に より母親のつきることがない愛情をご褒美にすると、子供はfecosを学習しません。
3.子供の実力行使(暴れる。だだをこねる)
 社会的に結果が好ましいと褒められる。
 社会的に結果が好ましくないと罰せられる。その際にfecosを学習しやすい。
4.葛藤状態
 どっちつかずで迷っている状態。

叱ることによるしつけの問題点。
1.叱ることで子供は欲求不満を生じ、情動が回避系になる。fecosを学習します。。
2.しつけを主張する人や、しつけをしようとする親の子供時代の時代背景と、現代の子供の時代背景が大きく異なっている。
3.親がしつけをしない。親により価値観がひどく異なるので、しつけと言うより、親の感情的な対応が成される。親がしつけをされた経験がないので、親がしつけの仕方を知らない。
4.母親と子供の間に信頼関係があれば、しつけをする必要がない。

{C10}{安全な場所}
子供にとって嫌悪刺激あってはなりません。嫌悪刺激があったら子供の心が辛くなり、それと同時にfecosを学習して、性格の変化を起こしてしまいます。それを防ぐために、子供には安全な場所=居場所が必要です。そこでは子供は嫌悪刺激を受けないで成長することが保証され、子供が社会と関わったときに受けた嫌悪刺激を解消する場所である必要があります。その安全な場所の全ての条件を満足させるのが家庭、母親の傍です。安全な場所であるべき家庭は、子供が学校教育や、社会生活で受けた嫌悪刺激を解消する場所でなくてはなりません。子供にとって喜びの場所である必要があるります。

{C11}{万引きなどの不良行動}
 子供はその本能から与えられた環境に順応しようとする能力があります。親や環境に対して好ましくないことはしようとしません。子供が親や与えられた環境に対して好ましくないことをしたとき、それは子供の経験不足からの失敗か、子供に嫌悪刺激が加わっていてその嫌悪刺激からの回避行動の場合があります。ところが子供の心が辛い状態にあって、そのストレス状態から逃げ出せないとき、より強い刺激(冒険という言葉が当てはまります)を求めて行動する場合がある。より強い刺激でその嫌悪刺激から回避しようとします。それが子供の万引きなどの不良行為(大人の不良行為とは心が異なります)です。
 万引きなどの不良行為は、その始まりは情動からの回避行動です。その不良行為が繰り返されると、その行動は習慣の心に記憶されて、強化されていくので、状況によっては非常に弱い嫌悪刺激でも、万引きなどの不良行為をするようになっていきます。

{C12}{物質的に豊かな社会と多様性のある子供}
 子供数の減少にも関わらず、不登校の子供の数は増え続けています。子供たちのいじめや非行も依然として続いています。子供による凶悪な犯罪も起こっています。いろいろな人から「最近の子供たちは我慢ができない、とてもひ弱だ」と言われます。学校の教師達からも、「宇宙人のような感じの子供がいる」との言葉が聞こえてきます。これらの事は、今の学校の仕組みに合わない子供たちが増えてきていることを示しています。以前とは違って、いろいろな性格の子供が増えてきていることを示しています。いわゆる専門家は、それらの原因として、親の躾が行き届いていないことや、親が我が儘に子供を育てていること等があげています。そのために心の教育や、就学前の躾が問題にされだしています。ところが型にはまった心の教育や、就学前の躾がかえって子供の心の問題を悪くして居ます。その理由は、多様性のある子供が生まれるのは、豊かな物質社会のためであるからです。この多様性のある子供達の性格を学校に都合が良いように変えようとしています。それは子供達に欲求不満を生じさせ、それは罰を受けたと同じ事が情動の心に生じます。お小遣いに例を取ってみると、毎月1000円の小遣いをもらい続けていた子供が、ある時突然お小遣いを貰えなくなったとき、子供は殴られたと同じ様な効果が情動の心に生じると言う心の仕組みです。
 子育てを考えてみます。物質的に豊かな社会では子供が生まれ落ちたときから、両親や其の周囲の人は、食べ物、衣類、おもちゃ、そして先回りした思いやりなどで、子供を育てています。子供の数が少ないだけ、余計に大切に子供は育てられています。子供は当然の事として、これらの事に依存を生じています。ところが子供が成長するに従って、社会生活をするためのいろいろな制限を受け始めます。その主なものが躾です。それから幼稚園や学校に置ける制約が子供達に加えられます。それらが子供たちの物や人に依存し続けていた心に、欲求不満の状態を作ってしまいます。欲求不満は情動の回避系ですから、子供達の中にはこの欲求不満からの回避行動をする子供が出てきます。欲求不満が繰り返されると、子供は程度の差はありますが、子供の周囲にある物をfecosとして学習してしまいます。性格の変化を生じてしまいます。そして親も周囲の大人も、なぜ子供の性格が変化してしまったのか、理解できないのです。

{C13}{いじめについて}
 いじめを一回受けたからと言って、子供はそのいじめから大きな影響を受けることはありません。親と子供との間に信頼関係がある子供はいじめを受けても、その子供なりに解決が可能です。しかし現実には、親にしっかりと心を支えられた子供は少ないです。現実の多くの子供の場合、子供がいじめを受けたと言葉で言ったとき、または親が子供のいじめに気づいたとき、その時点で既に子供は何度もいじめを受け続けています。既にいじめによるトラウマを子供は受けています。いじめを受けている子供は、嫌悪刺激の相乗効果から嫌悪刺激に過敏になっています。その結果、親や教師が「こんな些細なこと」と思われるようなことでも、トラウマが強く反応をして、回避行動を取るようになって居ます(いじめを受けている子供と、親や教師との感じ方に大きな格差を生じています)。この嫌悪刺激に対する相乗効果でいじめを受けている子供自身の心の辛さと、親や周囲の大人の判断との間に格差があることを前提として、いじめを考える必要があります。
 いじめを受けている子供に、強くなれと言っても無理な話です。子供は嫌悪刺激を自分で解決できません。子供は嫌悪刺激から逃げる必要があります。子供が嫌悪刺激を自分で解決するには、子供の心が大人の心にならないとできません。いじめられている子供は、受けているいじめから逃れられない状態にあります。多くのいじめられ続けている子供はいじめから逃げようとして、逆に激しいいじめを受けて、いじめから逃げられないことを、既に経験(学習)しているからです。それ故にいじめられている子供に親や周囲の大人が気づいたら、いじめられている子供を一番安全な母親の周囲にかくまってあげる必要があります。
 いじめられている子供をいじめから守るにはどうしても大人の対応が必要です。いじめの場所(多くは学校や学校の行き帰の道中)に子供を押し出しているのは親です。学校へ来るようにと指導しているのは教師です。親や教師が子供のいじめを知ったなら、そのいじめをなくそうとするのでなく、いじめの場所からいじめられている子供を隔離することが一番確実な方法です。親にできることは、子供を学校へ行かさないことです。教師にできることは、いじめられている子供を教師の目の届くところに絶えず置くことです。しかしいじめられている子供を目立って特別扱いすると、かえって教師の目の届かないところ、例えば通学の道筋で激しいいじめを受けやすくなる場合もあります。
 いじめている子供達も、自分たちが受けている辛さを解消しようとする遊びとして、他の子供で遊ぶことがいじめという形になっています。ですからいじめがあると解ったら、学校側ではいじめる子供への対応も必要です。いじめる子供への対応は学校側の問題です。いじめる子供はいじめられている子供がいなくなると、次のいじめられる子供を見つけようとするからです。いじめる子供を指導して、説得や力でいじめを止めさせるのではなく(参照A10)、いじめている子供を楽にしてあげる方法を考える必要があります。その意味で大人から見て子供が楽しめるだろうではなく、子供の立場から楽しめるようなものが学校内にある必要があります。
 いじめの現場を取り巻いて見ている子供の問題があると言う人がいます。人前でのいじめは巧みに遊びの形を取ります。それを見ている子供達にはいじめと思えない場合が多いです。それを見ていた子供たちがいじめだと感じても、それをいじめと断定することは大変に難しいです。いじめを解決しようとして子供が下手に手を出すと、今度は手を出した子供がいじめの対象になる可能性を、子供は肌で感じ取っています。これらの事実から、大人がいじめを取り巻いて見ている子供たちを非難することは責任の転嫁です。教師ですら目の前で行われているいじめを、また報告されたいじめを、いじめと理解しないことは良くあることです。目の前でいじめが行われていても、それを見ている子供たちはどうにもできません。大人の心で子供達を見ていると、いじめを傍観しいる子供達の心を間違えて理解してしまいます。

{C14}{子供の心に沿う}
大人の本心は意識の心です。その意識が働いていないときには習慣の心から行動をしています。ですから、大人では話し合いが可能です。
子供の本心は情動です。子供にも意識はありますが、意識からの行動はできないか大変に難しく、子供は情動の心から行動をします。習慣の心は未だ経験不足から日常生活に十分に役立ちません。
子供の心に沿うとは、この習慣の心と主として機能をしている情動の心の動きを認めて、それに沿って対応をすることです。子供の心に沿った対応をすることが、子供の心の問題解決に必要です。その表現を変えると「子供発の意思(情動の接近系)を叶えてあげる」となります。

{C15}{子供が落ち着く年齢的な目安}
 子供は受けた刺激に反応して行動します。情動的からの行動が中心になっています。理性的な行動、思考に基づく行動はできないか、大変に苦手です。子供を説得しても、その効果がない理由です。理性的な行動を求めてもできない理由です。ところが大人になると、受けた刺激を自分なりに理性的に処理して、自分の情動を抑えて行動をすることができるようになります。いわゆる理知的な行動ができるようになります。知識や思考に基づく理性的な行動ができるようになるのは思春期以後です。大まかな目安は男の子で20才過ぎ、女の子で20才ぐらいのようです。それもその時期になると直ぐに思考行動ができるわけではありません。それなりの訓練を生活の中でしなくてはならなりません。多くの人について、生活の中で自然と訓練をしています。ところがストレスに晒されていると、日常生活の中での行動が、嫌悪刺激に対する回避行動が中心になってしまい、自分の情動を調節する訓練ができるようになりません。そのような人の場合、思春期以後もストレスから守られていなければ、理性的な行動の準備や訓練ができません。嫌悪刺激にさらされている子供は、家庭内で親に守られて、その子供の心に沿った対応を受けなければなりません。
 脳科学的には、思春期頃に思考の脳である前頭葉の神経繊維の髄鞘化が完成します。その時期と、前頭葉(思考)が大脳辺縁系(情動)を調節可能になる時期(子供の反応が落ち着いてくる)と一致していると考えられます。

{C16}{子供は嫌悪刺激から守られる必要がある}
大人は嫌悪刺激を受けても、意識的に自分の情動を調節して社会活動が可能です。子供はそれができません。嫌悪刺激を受けると直ぐに回避行動をします。それだけでなく、嫌悪刺激を受けると程度の差はありますが、身の回りの物にfecosを学習してしまいます。性格が変化してしまいます{参考C10}。

{C17}{登校拒否をする子供は性格の良い子}
 学校で生じる辛さを、恐怖を回避するための子供の行動として登校拒否の他に、校内暴力、いじめ、非行行為、不良行為などがあげられます。登校拒否の子供は、これらの人に迷惑をかけるような不適応行動を取ることができないから、不登校という形で学校を回避します。学校に行かないけれど、他の人に迷惑をかけないと言う意味で、親にとって良い子供です。

{C18}{学級崩壊}
 学級崩壊とは、一般的に正常だと考えられる授業が、児童生徒の不適応行動の結果、何日間かに渡り成り立たないことです。学級崩壊を起こさせる子供の立場として、学校が辛くて、授業が辛くて、(参考B7)回避行動として問題行動=授業の邪魔をしてしまう場合です。それを大人の力で押さえつけると、逆行動の法則(参照A10)からますます授業を妨害するようになります。逆に学校内でその子供のあり方を認められると、学級内に楽しみが見つかると、授業の邪魔をしなくなります。

{C19}{母親と子供}
母親と子供には生まれ落ちてからそのときまでの親子の信頼関係があります。つまり子供は無条件で母親を信頼しようとしますし、母親も母性から子供の姿を認めようとします。親子の信頼関係が強ければ子供は母親を大好きで、その子供なりの成長ができます。母親の前で良い子を演じる必要がありません。信頼関係がないと子供は親の前で良い子を演じなければならなくなります。子供が辛い思いをするときがありますが、それでも子供は母親を信頼しようとします。


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