祈りと自己説得法

 「はじめに」

 この本の中での表現は、神を信じておられる人達からは強いお叱りを受けると思います。ここでの表現はあくまでも自然科学的な見方であり、このような見方を全ての人に押しつけようとするものではありません。科学的な、客観的な見方をすれば、自己説得法が成立ることが理解できて、色々な辛い心の問題が解決できることを示すことができます。
 大昔から人間は、神を信じて、神に祈りを捧げてきました。神という全てを超越した存在を信じて、その神に自分たちの願いを叶えて貰おうとしたのです。その場合の願いとは、主として自分たちで達成が不可能な事柄でした。その願いを神に祈って、願いが達成されることを期待しました。神に願いをかける、つまり神に願いを伝える動作を祈りと言います。神に願いを祈って、それが実現すれば神に感謝をし、実現しなければ神の意志として諦めることができましたし、できないまでも実現しなかった苦しみを軽減することができました。傷付いた心を癒すことができました。
 神に祈るとき、人間の苦しみから逃れる願いについて、脳科学的に考えてみました。人間の苦しみから逃れる場合の祈りには二種類の要素があります。現在存在する苦しみを軽減する要素と、未来に希望する状態を祈る要素です。この二つの要素ははっきりと分けけられるわけではありませんが、考え方としてこの二つの要素に分けた方が、理解し易いと思います。


 「言葉の脳科学的な説明」

・願い
 願いとは未来の又は近未来(一瞬先も含みます)の期待する姿です。過去の経験した姿、又は過去のいろいろな経験から組み立てられた姿です。そこには意欲的にこうありたいという要素が選択されて組み立てられています。

・祈り
 願いを神に伝える動作を、方法を祈りと言います。祈り方は宗教によって異なります。祈りに共通していることは、願い以外の雑念を遮断して、願いに意識を集中していることです。その時の心の動きは、自分で又は神(又は神と密接な関係にある人。例えば神官や僧侶)という概念を利用して自分に暗示をかけている状態です。一種の催眠効果と言えるかも知れません。願いにより意識を集中させるために、視覚、聴覚を使う場合もあります。殆どの場合言葉が使われます。これらは強い記憶を作るために用いられます。

・説得
 祈りに相当します。ここでは神を用いないで、願いの内容の強い永久記憶を作ることを説得(洗脳という言葉も当てはまりますが、洗脳は非倫理的な記憶を作る場合を指しますので、ここでは用いるのを控えます)と表現しました。記憶には操作記憶と陳述記憶とがありますが、ここでは主として陳述記憶についての話になります。記憶の存在する場所は大脳新皮質です。習慣の心です。永久記憶はオペランド条件付けといって、ある経験の後に報償か罰がある場合と繰り返しの二つの方法で作られます。オペランド条件付けでは、報償や罰が大きいほど強い記憶が出来ます。繰り返しの場合、繰り返す回数が多いほど、また繰り返すときに他の刺激や概念が無いと強い記憶ができます。大きな喜びや悲しみを伴った事実が簡単に記憶されたり、繰り返し英語の単語を書くことで英語の丹後のスペルを覚えられるのがその例になります。祈りでは主として繰り返しが用いられますが、視覚や聴覚も用いられます。自己説得法では概念や言葉だけを用いて、雑念を遮断して意識を集中するという意味でだけ視覚や聴力を用います。

・記憶
過去の経験が脳神経回路に存在している状態を記憶と言います。情動(場合によっては感情と言って良いです。大脳辺縁系に存在して直接意識に上ることはありません。条件反射のことです。ここでは扱いません。)に関する記憶とそれ以外の記憶(習慣の記憶と呼んでおきます。大脳新皮質に存在しています。意識に上らせることができます)とがあります。習慣記憶には操作記憶と陳述記憶があります。ある刺激を受けると反射的に体(内蔵を含める)をしてしまう記憶が操作記憶です。刺激を受けるとある状況が意識に上るその状況を陳述記憶と言います。陳述記憶にも必ず情動記憶(フオリアと呼ばれている物です)が含まれています。その結果情動反応を起こしてしまいますから、厳密には操作記憶と区別ができないところがあります。
 祈りも自己説得法もともに強い強い習慣記憶を可能な限り効率よく作る方法です。その結果、ある刺激を受けたとき、それに対応して希望する操作や状況を思い出して、問題を解決しようとするものです。自己説得法ではある刺激を受けたとき、反射的にある希望する操作ができるようになることを目的としています。

・反射又は反応
 ある刺激を受けたとき、意識を介さないで反応する反応の仕方を反射と言います。大脳新皮質での反射のように、その気になれば意識に上らせられて、意識的に反応をすることもできるものと、大脳辺縁系や脳幹、脊椎による反射のように、意識に上らせられないものもあります。自己説得法では、大脳辺縁系における反射を調節するような記憶(神経回路)を作って問題の解決をしようとするものです。
 神経反射はその反射に関係ない強い刺激を受けると、その神経反射の出方が弱くなります。同様にその神経反射と関係ないことに意識が強く働いていますと、その神経反射の出方が弱くなります。自己説得法は、この神経生理を利用して、問題の解決を図ろうとします。

・心
 心は脳の機能だという人と、心は脳の機能とは別物だという人がいます。現在まで心が脳の機能だという確実な証拠は有りません。脳の機能を画像して見る機械で観察しますと、心が働いているとき脳が働いていることがわかります。脳が働いていないとき心は働いていません。この事実から脳科学を研究している人達は、心とは脳の機能であると考えています。脳の機能に基づいて心の構造を考えてみますと、心は意識の心、習慣の心、情動の心、生命の心と分けることが出来ます。生命の心とは、脳幹の機能のことですが、ここでは省略します。

・意識の心
 ここで言う意識とは感覚器に加わった刺激を認知し選択する能力や、その結果として記憶を思いだし、再構成する能力を言います。意識の心とは意識的に何かを行う心を言います。現在の脳科学でははっきりと脳内での部位やその機構を特定できていませんが、前頭葉が関与していることは間違い有りません。

・習慣の心
 前頭葉の機能を除いた大脳新皮質の機能を言います。刺激に対して意識に上らないで、反射的に反応します。けれど意識にも上らせることもできます。結果は言葉や行動、知識として表れますが、直接自律神経の反応症状としては現れません。学習はオペランド条件付けと、経験の繰り返して行われます。大人の行動の大半はこの心の反応で生じています。子どもでも年長の子どもではこの習慣の心による反応の割合が多くなります。

・情動の心
 大脳辺縁系の機能を言います。刺激に対して意識に上らないで反射的に反応します。意識に上らせられません。簡単な情動反応は大脳辺縁系の中の記憶で行われますが、その情動反応の背景は大脳新皮質内の記憶を用いて行われます。結果は行動や表情、体の中に自律神経を介して表現されます。自律神経を介して体中に現れた物を認知したときに、それを感情と言います。辛い症状や不適応行動は情動の心が傷付いたときの反応です。学習は条件反射で行われます。動物の心と共通しており、ほぼ三歳ぐらいで完成します。子どもが小さければ小さいほどこの心で反応します。

・行動
 行動には意識的な行動、習慣的な行動、情動的な行動、本能的な行動があります。人を辛くして問題になるのは習慣的な行動と情動的な行動です。習慣的な行動は習慣の心の反応です。情動的な行動には情動の心だけからの行動と、情動の心が習慣の心を操作した行動とが有ります。情動の心だけからの行動は限られた特殊な行動で、その行動を調節することは出来ません。情動的な心の大半は、情動の心が習慣の心を操作した行動です。この場合習慣の心を再調整することで、情動的な行動を変えることができます。心の傷が疼きますといろいろな自律神経の反応症状や不適応行動を出します。心の傷がたびたび疼きますとその結果として不適応行動を繰り返します。その繰り返す頻度が高くなると、心の傷が疼かなくても不適応行動を行うようになります。不適応行動自体が習慣化してしまいます。

・症状
 いろいろな辛い症状は、情動の心が反応して、自律神経を介して体中に表現しています。この辛い自律神経の反応症状は薬で軽減できますが、薬の効果が無くなると現れてきます。
神経症状としては
頭痛、腹痛、下痢、嘔気、嘔吐、動悸、呼吸困難、微熱、目眩、振せん、過呼吸、喘息、アトビー
精神症状としては
チック、こだわり、強迫症、盲、聾、唖、過食、拒食、恐怖症、鬱病、幻聴、幻覚、不眠、夜尿、自傷、昼夜逆転、分裂病
不適応行動としては
登校拒否、不登校、引きこもり、家庭内暴力、校内暴力、いじめ(いじめをする)、万引き、酒、たばこ、薬物、非行、集団非行、性的非行
などがあげられます。


 「自己説得法について」

 現代はストレス社会です。ストレスからいろいろな辛い症状を出して苦しんでいる人達が多くいます。精神疾患として治療を受けている人も多くいます。現在の医学では、いろいろな辛い症状で苦しんでいる人達を精神疾患、神経疾患として治療を行っていますが、好ましい結果を得られていません。それ以外にも民間治療が行われています。薬も効果の良い新しい薬が開発されています。けれど現実には、それらの薬でも解決できないで、大量の薬を投与されている人達が多いです。この様な辛い症状で苦しんでいる人達への対応は、カウンセリングが中心になります。カウンセリングの補助手段として色々な心理療法が提案されています。その内の一つとして、条件さえそろえば自己説得法が非常に有効で、苦しんでいる人達の救いとなります。
 心を脳科学的に見ると意識の心、習慣の心、情動の心があります。咄嗟の時や、情動の心が強く働いているとき、意識の心から行動をすることは大変に難しいです。咄嗟の時、人は習慣の心か情動の心で行動をします。その際に情動の心の反応を抑えて、習慣の心からの希望しない行動を押さえて、情動の心による希望する行動だけをできるようにするのが自己説得の目的の一つです。また、人が辛い状態に有るとき(所謂感情的になっているときも含みます)は、その人の情動の心が強く働いていて、情動の心が辛い症状を出しています。この情動の心が強く働いているときには、習慣の心を働かすことで、情動の心を押さえつけて、辛い症状が出ないようにすることができます。けれどこれは自己説得を用いても大変に難しいです。心に余裕のある人でないと出来ません。このような場合には、辛い症状を受け入れることで楽になります。習慣の心に辛い症状を受け入れるような記憶を作る目的で自己説得を行います。その結果、情動の心が強く働いていても習慣の心がそれを受け入れることで、逆に辛い症状を無くすることができるようになります。この様な心の性質を利用して、習慣の心の
 改造を行う事により、自分の好ましくない行動や辛い症状を克服する方法として、自己説得法があります。自分で自分の習慣の心に、自分の有るべき姿を書き込んだり、情動の心を受け入れる方法を書きこむのです。


 「症例」

症例 1。
 45才、男性、公務員。最近、人に接すると顔面の紅潮を感じるようになった。周囲の人からや接している相手から特に顔の紅潮を指摘されたことはなかった。けれど人と接する度に、顔の紅潮を相手に感づかれはしないかと不安になった。その内に不安から仕事に行き辛くなった。周囲の人からは気のせいだ、そんなことはない、誰も気づいていない、などと言われているが、自分の顔が紅潮するのではないかという不安から、仕事に行けなくなった。病院を受診して、心身症として投薬やカウンセリングを受けているが、好ましい結果が出ていない。
 カウンセリングを開始すると、直ぐに男性は薬を飲まなくても、日常生活には支障がなくなった。そこで薬を飲むのを止めて、普段は一回分だけの薬を持って歩き、必要を感じたときだけ飲むように指導した。その結果男性は薬を持って歩くことにより、実際に薬を使うことは無くなった。人と会うときには「赤面してもいい」という言葉で、可能な限り自己説得を続け、それで不十分なときには、薬を使うように指導した。男性は自己説得しながら人と接し、その人と話し始めたとき、紅潮感が無いことに気づいた。相手と話しに夢中になることで、全く顔の紅潮感が無いまま仕事を終えることができた。以後、何回か自己説得を行いながら接客したが、顔の紅潮感が全くなくなったので、自己説得も止めてしまった。

症例 2。
 45歳男性、新たに仕事を覚えるためにコンピューターを習い始めた。その際にキーを打つ手が震えて、キーが打ちにくくなった。特にマウスを操作する際に、ポインターを目的のアイコンの所に持っていけなくなってしまった。
 自宅でコンピューターを操作しながら、「手が震えても良い」とあらかじめ自己説得を行った後、コンピューター教室へ出かけて貰った。教室内でも初めは少し手が震えたが、必死で自己説得をすると、手のふるえが全く問題なくパソコンの操作が出来た。授業を終えて帰る頃には、手が震えていたことを全く忘れてしまっていた。それ以後少しは手が震えるもあったが、コンピューターの操作には全く問題が無く、最近では自己説得をすることも忘れている。

症例3。
 50歳の男性。ゴルフが唯一の趣味で、競技ゴルフをおこなっていた。5年前のある猛暑の日、練習ラウンド中に首筋がジリジリ焦げるのがあり、急激なめまいで立てなくなった。その後、急に恐怖心が襲い目の奥から後頭部に駆けて激震がはしり動悸、息切れ、血の気が失せる感が波のように体を襲った。救急車で病院に運んでもらい、点滴治療で快復した。病院で、血液検査等軽い検査をした結果、「異常無し」と言われた。9月末までは、運転が怖い、高速道路が怖い、閉所が怖い、一人での外出が怖い、激しい疲労感など、今まで無かった症状が次々と現れた。自分では体の異常だと思い、内科系、脳外科すべての診療科目を受診し、最終的には国立大学附属病院に行った。そこの脳神経外科でパニック障害と診断されて投薬治療を受けていた。その後も5年間症状が続いたので、当研究室でメールによるカウンセリングを開始することになった。
 対応としては、ゴルフを再開させた。それは競技ゴルフでなく、他人とスコアを比較しない、楽しむだけのゴルフである。それ以外にも個人的に楽しめる物を見つけて楽しむように指導した。その際に、発作が生じはしないかという不安を訴えるので、それは薬を飲まないで、不安をそのまま受け入れるように自己説得法を指導した。「不安が来て良い、不安と一緒に一生を過ごす」と自分に説得するように指導した。必ず安定剤を持って、お守りとして持たせて置いた。少しでも不安が生じたなら、「この不安は来ても良い不安で、一生自分はつき合う」という言葉を念仏を唱えるように一心に唱えるように指導した。
 男性はいつもの仲間ではなく、楽しめる仲間とゴルフに行くようになった。はじめは、やはり妙にフワフワするめまい感があり非常に不安が襲ったが、自己説得をしながらラウンドを重ねる内に楽になり、会話も楽しく出来るようになた。以後もゴルフや車を運転する際に何度か不安に襲われたが、自己説得を行うことで解決し、現在は全く普通に生活が出来ている。

症例4。
 26歳のOL。性格は、おっとりしていて、人と関わるのが苦手で、無口て、友達もなく、孤立していた。職場は事務で、職場の女性たちがこの女性の悪い所ばかり言うので絶えず不安状態にあった。仕事で上司と話すとき声が震えた。仕事では帳簿の付け間違いや、伝票の書き間違え等、普通の人では何でもない事をよく間違えていたので、上司に叱られてばかりいた。他の事務員と比べられとても辛かった。性格を変えるためにいろいろなところに相談に行ったけれど、性格を変えることができなかった。絶えず性格のことで悩んでたので自殺の夢まで見るようになって、当研究室にメールで相談するようになった。
 対応の第一はもっとテレビを見たり、CDを聞いたり、雑誌を読んだりするようにして、生活を楽しくするように指導した。けれど、それらをする意欲が湧かないので、その意欲が湧かない状態を受け入れる自己説得法を開始した。するとだんだん生活を楽しめるようになり、会社で職場の人としゃべられるようになり、表情も明るくなり、仕事の失敗も少なくなった。上司との会話では緊張感が取れなかったが、その緊張感を受け入れるように自己説得しながら上司の所へ行くことで、それも乗り切ることができた。

症例5。
 34歳の看護婦。高校2年の時の試験の時パニックに襲われた。もともと緊張しやすい性格で、緊張しながら試験を受けていると、胸が動悸してきて息苦しくなり、手が振るえて死ぬのではないかと思う程だった。2回目の発作は夜勤明けで帰る途中の電車の中だった。その後もう一度電車の中で発作を生じ、それ以来電車に乗れなくなった。現在軽い発作らしきものもあるが、主として不安が強い。現在はバスで通勤中。職場の人間関係もうまく行かないが、どうにか仕事を続けている。
 趣味の音楽鑑賞を続け、好きなコンサートや温泉旅行にも積極的に行くように指導した。電車に乗るときにはあらかじめ、「不安が来てもいい。不安が有るのが普通の自分だ」と言う言葉での自己説得をしておいた。電車に乗るとき、乗っているときに、少しでも不安が生じたなら、自己説得を開始するように指導した。女性にはどうしても行きたいコンサートが有った。電車に乗らなくてはならなくなったとき、乗ると直ぐに不安が生じてきたので、女性が一心に自己説得を行うと、どうにか目的の駅まで行くことが出来た。以後、通勤に電車に乗ってみたが、不安が生じると直ぐに自己説得を始めることで不安が消失して、普通に電車で通勤できるようになった。

「自己説得法の手法」

 自己説得法にはあらかじめ自己説得をしておく方法と、ある状態になった場合に行う自己説得法が有ります。あらかじめ自己説得する方法は、スポーツのイメージトレーニングや自己催眠法に通じるものです。辛くなった状態を予測して、その時のためにあらかじめ自己説得する言葉をしっかりと覚え込む過程です。しっかりと覚え込めば、辛くなったときにその自己説得しようとする言葉が反射的に思い出されるからです。自己説得しようとする言葉が反射的に思い出されただけで、その辛い状態が消失する場合も有ります。辛い状態になったとき思い出した自己説得する言葉を繰り返すことで、辛い状態が消失するようになります。
 唱える文章の内容が、辛い状態を消失させるのにとても大切です。唱える文章を間違えますと、自己説得法の効果が無くなります。場合によってはかえって辛くなることも有ります。辛いことが手続きの心に関した内容のことだけでしたら、問題を克服するような内容の文章をつくって、唱えることができます。この場合はどなたにもわかりやすいと思います。けれど、辛いことが習慣の心からのものだと思っても、実際は情動の心からの場合がしばしばあります。その時には、問題を克服する内容の文章は、辛い状態を解決しません。場合によってはかえって辛くしてしまいます。情動の心に関した内容のものでは、問題を受け入れるような内容の文章を、その人なりに唱えやすい文章で繰り返すことです。
 唱える文章は出来るだけ声に出した方が良いですが、声に出さないでも可能です。ただし効果は声を出した方が、意識を自己説得に集中できてより効果的です。その自己説得する文章を繰り返す時の姿は、集中できさえすれば、どの様な姿でも構いません。特に辛い状態になったときに行う自己説得法は、人々が神様に祈りを捧げる様な姿勢をして自己説得をすると間違いがないでしょう。自己説得する文章を繰り返す回数は、多ければ多い程良いです。千回、一万回、と多ければ多い程良いです。

*あらかじめする自己説得法

 あらかじめ行う自己説得法の成功のこつは注意の集中とリラックスです。体全体はリラックスをして、意識が散漫にならないようにした方が効果的です。意識が散漫にならないような状態で、自己説得しようとする言葉に全ての意識を集中します。意識して結果を求めようとするとうまくいかないことが多いです。結果を気にしないで、無心でで自己説得を行うと効果が良いです。
 着ている物はゆったりとしている衣類が良いです。自己説得をしている間、じゃまが入らないような場所や時間を選ぶように心がけてください。注意の集中のためには、楽な姿勢が良いです。柔らかい椅子に楽に腰をかけて行っても良いです。柔らかい布団の上に横になって行っても良いです。無理のない目線の位地で何かを凝視する事で始めます。凝視する物は注意を引きやすい物なら何でも良いです。それは単に意識を凝視する物に集中しやすければよいのです。意識が集中できれば、その後目を閉じて行っても良いです。
 最初にゆっくりと数回深呼吸を繰り返しながら、自分で決めた物を凝視します。凝視をしながら、または軽く目を閉じて、目的の状況を脳裏に浮かべながら、自己説得する文章を声に出して繰り返します。声に出して自己説得する文章を繰り返せないときには、頭の中で繰り返します。繰り返す速度はその人なりでよいです。ただ、声に出せないとき、意識が集中できないときには、自己説得する言葉に全ての注意を注ぎ込んで、その人なりの早口で文章を繰り返すと良いです。
 スポーツや行動など、体を動かす物では、その状況の中での自分の動きを想像するだけでよいです。辛い心の症状に対して自己説得を行う場合には目的の状況を想像することが出来ない場合が多いです。その場合には次の辛い状態になったときに行う自己説得法を行います。

*辛い状態になったときに行う自己説得法

 自己説得法の効果を感じられるのは、辛い状態になって行う自己説得法でしょう。ただ、辛い状態なったとき、急に自己説得法を行おうとしても、なかなか行うことはできません。カウンセリングを受けて自己説得を行おうという意欲を生じさせておく必要があります。あらかじめ自己説得法を行っておいて、辛くなったときに自己説得法を用いられる余裕が有るようにしておく必要が有ります。
 自分で好ましくない状態になったときに行う自己説得法の成功のこつは、唱える文章に集中することです。注意が唱える言葉以外のことに行ってしまうとうまくいきません。目を閉じて自己説得するために繰り返す言葉に集中できると良いのです。目を閉じられなくても、何か一点を見つめながら、可能な限り繰り返す文章に集中して、自己説得する文章を繰り返します。どちらかというとその人なりの早口で、文章を繰り返したほうが効果的です。全てを忘れて、繰り返す文章に集中できれば、効果は割と早く出てきます。説得する言葉は千回も一万回も繰り返すと良いです。自己説得するときの自分の姿が想像できない人には、人々が神様に祈りを捧げているような姿を想像すれば、ほぼ間違いない自己説得ができます。


 「自己説得する言葉の選択」
 自己説得を行う際に、どの様な言葉を使うかも効果に大きな影響を与えます。何度も繰り返して唱える関係上、しゃべりやすい文章であると、自己説得を行いやすいです。克服したいものが行動や単純に辛い症状でしたら、それを克服するイメージや言葉が効果的です。ところがある嫌悪刺激の結果その辛い症状を出しているときには、その辛い症状を克服するイメージや言葉は返って辛くします。はっきりと嫌悪刺激が特定できるのでしたら、その嫌悪刺激を無視するような言葉が効果的です。嫌悪刺激が解らないような場合には、反応して出している辛い症状を受け入れるような言葉が効果的です。


 「理論」

 催眠法が個人の意欲的な意志を出さないようにして、術者の言葉に受け身的に反応するのに対して、自己説得法では、個人の意欲的な意志を可能な限り発揮して、能動的に目的の文章を繰り替し言うことで、繰り返し暗唱することで、大脳の手続きの心に目的の文章を記憶させるために行います。目的の行動を記憶させるために行います。その結果、その与えられた状況では反射的にその文章が思い出されるように、反射的に目的の行動が行えるように、反復記憶する手法です。
 自己説得が情動に関する物である場合、自己説得法には二つの意味合いが有ります。一つは自己説得する言葉を、与えられた状況下で反射的に思い出す目的です。もう一つは自己説得する言葉に心を集中することで、自分を苦しめる刺激による反応を押さえてしまうことです。
 自分が望む状態と、現実の自分の状態との間に大きなズレが有ると、欲求不満を生じて、恐怖の症状が出ます。その恐怖の症状は、現実の自分の状態をより強くする形で現れます。与えられた状況下で好ましくないと考えられる反応を受け入れるように説得をします。その学習が成立すると、与えられた状況下で好ましくない反応を生じても、それを受け入れられるから、その好ましくない反応は強くならなりません。それと同時に、一心に自己説得する言葉を繰り返すことで、自分を苦しめる刺激を押さえてしまい、好ましくない症状が消失することになります。
 情動に関して、現実の自分の状態から隔たった内容の言葉を説得に用いたなら、その結果は好ましくありません。現実の自分と自分が望む言葉の内容にズレが有ると、その分欲求不満を生じて、現実の自分の症状を強くしてしまいます。自己説得の意味が無くなります。情動に関する自己説得は、現実の有るがままの自分の状態を受け入れる内容の言葉でなければなりません。その意味で説得する言葉の内容に注意する必要があります。
 情動に関する自己説得法を用いる場合、どの人にも用いて良いとは言えません。自己説得するからには、自己説得をしようとする本人の意欲が必要です。自己説得をしようとする意欲がある人には、自己説得法は有効な方法です。けれど、いろいろな問題となる情動反応を生じる人は、多くの場合、その辛さから、とても自己説得をしようとする意欲を持ち合わせていません。そのような人にはあらかじめ十分なカウンセリングを行い、カウンセラーとの間に十分な信頼関係を築いた後、当人が自己説得をしようと言う意欲を湧かせることが大切です。
 情動以外の事に関す自己説得法を用いる場合、自分の有りたい状態を自己説得する。自己説得が成立すると、その状況下に置かれると自己説得した言葉や行動が思い出されて、自然とその言葉や行動になるように、体が反応をしてきます。


 「薬と自己説得法」

 薬で心の問題を解決することはできません。心の問題でいろいろな辛い症状が有るとき、薬はその辛い症状を軽減してくれます。症状が軽減すれば、その辛い症状を克服するために自己説得をしようとする必要性がなくなります。また、辛い症状を克服しようとする自発的な意欲を、薬自体の作用が弱めてしまいます。それは自己説得をしようとする意欲を生じさせないか、生じさせても弱くなっており、自己説得の効果が期待できなくなっています。動物実験によると、薬は辛い症状を軽減しますが、それと同時に、辛い状態から個体を快復させる能力も軽減してしまうようです。
 薬は減らせるだけ減らした状態で自己説得を行う方が効果的です。けれど薬を減らせないときには、薬を飲みながら自己説得を行うことも可能です。その場合には、自己説得の効果が少なくなるか、効果が期待できなくなることもあります。自己説得法が無効だとして、自己説得法に疑問を持つようになる場合もあります。薬を服用している人が自己説得法を行う場合には、カウンセリングを中心に行って、可能な限り薬を減しておきます。その後で自己説得法を行いますが、最初に行う自己説得の言葉は、薬を減らしても問題が無いという方向で行う必要があります。


 「カウンセリングと自己説得法」

 自己説得法を行う前に十分にカウンセリングを行うと、自己説得法の効果がより確実になります。カウンセリングの基本は、クライエントの訴えをそのまま聞いてあげることです。クライエントが納得するまで、聞き続けてあげることです。その結果、クライエントの情動が安定してきます。それだけでいろいろな辛い自律神経の反応症状が軽減します。飲んでいる薬の量を減らせます。クライエントが理性的に判断できるようになります。心の問題の解決の方向性も見えてきます。カウンセラーによる説得も可能になります。クライエントはカウンセラーによる説得を受け入れられるようになります。自己説得をしようという意欲も湧いてきます。勿論カウンセリングによって辛い症状を克服できるのなら、自己説得の必要はありません。カウンセラーの説得も理解は出来ても納得できない場合が多いです。その理解できたものを納得するために自分で自分に働きかけるのが自己説得法です。カウンセリングの補助手段として、自己説得法は極めて効果的です。


 「年齢的限界」

 自己説得法には年齢的な限界があります。思春期以前の子供では情動に関する自己説得法は殆ど効果がないばかりか、場合によってはかえって状態を悪くします。その理由は、大脳新皮質の成熟が不完全で、習慣の心が情動の心を調節する能力がないか、または不十分だからです。また、老人も既に硬直化してした心を変えることは大変に難しいです。新たに自己説得を行う文章を覚えようとする意欲も少ないし、記憶力の低下も見られるからです。


 「欲求不満」

 ある欲求が満たされ続けていた状態で、突然その欲求が満たされなくなったとき、それは罰を受けたと同じ様な事が脳内で生じます。例えをお小遣いに例を取ってみますと、毎月1000円の小遣いをもらい続けていた子供が、突然納得できない理由でお小遣いを貰えなくなったとき、その子供にはは殴られたと同じ様な効果が心(大脳辺縁系=感じる心)に生じます。それを欲求不満、または欲求不満性無報酬と言います。
 ある信頼していた人に裏切られた時を考えてみましょう。人は誰でも裏切られたとき激しい怒りを感じます。脳科学的には、その裏切った相手に、裏切られた人は激しい恐怖を感じることになります。恐怖だから、逃げだしたり、怒り、攻撃したりすることになります。怒りなどの恐怖の程度は、その依存の程度によりいろいろです。依存度が高ければ高いほど、恐怖も大きくなります。そのことは動物実験から得た事実です。ただ、人間の大人では、前頭葉の思考(思考の脳)が、大脳辺縁系(感じる脳)の怒りを調節できますから、必ずしも依存度と怒りとの関係は比例しません。ところが子供や辛い状態にある大人では、思考の脳で感じる脳を調節できません。そこで欲求不満に対して恐怖を生じ、怒りを表わにしてしまいます。
 欲求不満性無報酬と欲求不満と無報酬とは脳科学的には同じ意味になります。この状態では、脳内で回避系の神経回路が働くと同時に回避系が働くような条件刺激を学習します。その学習した条件刺激は、その人にはもともと接近系の刺激か無関刺激であった物です。それが欲求不満を経験した後には恐怖を生じる条件刺激となります。その条件刺激にその人が出くわすと、逃避、恐怖または不安、攻撃を生じるようになります。恐怖を生じる条件刺激が、嫌悪刺激として弱い場合には、他の嫌悪刺激に対してのただ単に嫌悪に関してその閾値を下げる効果だけしか見られない場合もあります。
 依存状態が途切れることは、それは欲求不満の状態です。今まで得られていた物が手に入らないという状態は無報酬の状態です。得られると確信していた物(希望)が納得できない理由で手に入らない状態も無報酬の状態です。このように考えますと、脳内では希望が報償と同じ効果を示すことがわかります。希望が大きいほど、つまり自分が自分に与える報償が大きれば大きいほど、それが満たされないときには恐怖が大きくなります。
 欲求性無報酬が恐怖を生じることを考えると、人と人との間にできた依存関係が途切れた場合には、依存していた人は強い恐怖を感じることになります。心が傷つくことになります。一度築かれた依存関係は途切れることが許されないことになります。ただし、納得のいく理由が有ると途切れることに問題はありません。
 納得は、その人納得により加わった嫌悪刺激の効果を薄める機能を持っています。希望は、簡単なそれでいて効果的な報償です。恐怖の条件反射を押さえる(心の傷を癒す)には、便利で効果的で、意味のある物です。
 生物の生存は強い自己肯定の姿です。他人から否定される、自分で自分を否定することは、欲求不満の状態です。その結果強い恐怖を感じることになります。