登校拒否児への善意の虐待

 登校拒否をしている子供は、自分の感情をコントロールするのが下手だと言われています。嫌なことに耐える力が無いと言われています。ストレスに弱いと言われています。人との関わり方が下手で、集団に入って行けないと言われています。最近は不登校が認められる風潮があるので、登校拒否に対して罪悪感が無いとも言われています。本当にそうでしょうか?とろこが私達の経験では、登校拒否をしている子供の多くは、登校拒否を起こすまではとても良い子だったのです。感情も落ちついていて、嫌なことにもよく耐えて、我慢も良くでき、ストレスにも耐えてよくがんばり、たくさんの友達を持ち、クラスの人気者だった子供も多いです。それが登校拒否を起こしてからは、子供が一生懸命学校へ行こうとするのに、体がついていかななくなっています。学校を休んではいけないと思い続けて、登校拒否を起こした当初の子供たちは大変に焦っています。そんなよい子だったのに、なぜ登校拒否を起こした子供達はこのように否定的に見られているのでしょうか?

 確かに、登校拒否を起こして苦しんでいる子供は、気性が不安定で、我慢ができなくて、ストレスにも弱いです。人の輪の中に入って行けなません。しかし、親が不登校を認めた子供の場合、気性も落ち着き、欲求不満にも、ストレスにもよく耐えて、人との関わり方も上手になります。これらの事実から、登校拒否を起こした子供自体の性格として気性が不安定で、我慢ができず、ストレスにも弱くて、人との関わり方が下手なわけではありません。登校拒否をしている子供達のこれらの問題点は、不登校が認められないための結果であり、不登校を起こす原因ではないと言う事実を指摘します。原因と結果との認識を間違っていると言います。結果を見て、其れを原因だと考えてはいけないと主張します。

 登校拒否を起こした子供は、学校で何度も何度も辛い思いをして、心が深く傷ついています。それを親も先生も気づいていないのです。しかし、その子供はその辛さに耐え、頑張って、頑張って、学校へ通い続けています。そして、傷つき続けて、万策尽きて、登校拒否を起こします。親や先生は子供の、頑張って学校へ通い続け、万策尽きたことには気づきません。子供の登校拒否を見て、初めて子供が学校へ行きたがらないと気づきます。子供の心はひどく傷ついていても、外から心の傷は見えません。見た目は健康そうですから、学校へいきたがらないことはおかしいと考えます。学校へ行けないなら、行けるようにいろいろな手段を講じようとします。ところが子供はどうしても学校へ行けない状態になっています。学校を休ませてくれと言っています。それなのに親も先生も子供の訴えを無視して、子供を学校へ押しだします。子供を学校へ無理やり連れて行きます。それは心が傷ついて苦しんでいる子供をますます傷つけます。

 親や先生による登校拒否を起こしている子供への虐待だと言えます。但し親も先生も虐待をしているとは考えていません。子供が学校へ行けないのはかわいそうだから、どうにかして学校へ行かせてやろうと言う善意と親切心からです。学校を卒業しないと将来その子供が就職できなくなりかわいそうだから、どうにかして学校へ行かせてやりたいという親切心からです。親切心からですから、親も先生もその時子供にかわいそうなことをしているとは、悪いことをしているとは、子供を虐待しているとは考えません。けれどそれは子供の心を無視した一方的な親切の押し付けであり、登校拒否をしている子供にとっては虐待になっています。この事実に、親も先生も気づいて欲しいと思います。

 

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