登校拒否と医療

 登校拒否と不登校という言葉があります。これを同じ意味に使っている人達がいます。しかし、文字自体の意味からその内容は異なると思われます。登校拒否とは登校を拒否する状態であり、不登校は登校をしない状態と言うべきです。登校を拒否するとは、子供が自分の意志で学校へ行かないと言うことであり、その結果子供の意思が親から認められれば、子供は学校へは行かない、つまり不登校状態になることを意味します。ところが現実には、親や先生など子供の周囲にいる大人からの脅しや腕力による実力行使、なだめにより、子供の意思が無視されて、子供は学校へ行かされています。不登校になっていません。その場合、子供がハッキリと「学校へ行きたくない」と言って学校へ行こうとしないのを、親が強引に学校へ連れて行く場合も有ります。子供は本心で学校を拒否していても、言葉の上では「学校へ行きたい」と言いう場合もあります。それを聞いて、親や大人は、「子供が自分の意思で学校へ行こうとしている、行っている」と考えて、安心をしています。子供が学校へ行くように、可能な限りの対応を取ります。しかし実際は、子供は「学校へは行くべきもの」という知識を口にしているだけ、又は、親が学校へ行って欲しいという気持ちを感じ取って「学校へ行きたい」と言っているだけで、親たちは子供の本心が学校を拒否していることに気づいていません。

 子供の意思が無視されて、拒否をしている学校へ子供が行かされているとき、子供は頭痛や腹痛、チック、こだわりなどのいろいろな形の神経症状、精神症状を出してきます(脳科学的に説明可能です)。「学校へ行きたい」と、子供の意思と思われる言葉を言いながら、これらの症状で学校へ行けなくなります。親たちは「子供は学校へ行きたがっているのに、病気で学校へ行けなくなる。子供が学校へ行きたがっているのに、病気になって可哀想」と考えて、子供を病院へ連れて行きます。登校拒否の子供と医療との関係が始まります。ただ、登校拒否を始めたばかりの頃は、子供は学校を休めるとたちまち元気を取り戻して遊び出します。その結果、親や先生などの大人達は子供が怠けていると考える場合も多いです。しかし、それは学校を拒否している子供の意思が一時的に認められてほっとしている姿であり、「学校へ行きたい」という子供の言葉が子供の意思に基づいたものではないことを意味しています。このように、子供の意思では学校へ行くことを拒否していても、親などの周囲の大人の圧力で子供が学校へ行っている、行ったり休んだりしている状態を「行き渋り」の状態と言います。つまり、行き渋りとは登校拒否の初期の形、不登校の前段階です。

 子供の学校を拒否する力が強かったり、いろいろな神経症状、精神症状が強く出て、親や先生など周囲の大人の圧力でも子供が学校へ行かなくなったとき、それも学校へ行かない期間が長期になったとき、この状態を不登校と言います。不登校になっても、親が子供の不登校を認められれば、子供は元気に生活できて、家の中に引きこもらない場合もあります。そのような子供は神経症状や精神症状を出しません。ところが、不登校を親から認められていない子供はいろいろな神経症状、精神症状を出します。それらの症状は、親がこれらの症状を解決しようとしたり、子供を学校に戻そうとしたり、不登校の対応機関にかけようとしたときに強くなります。この場合、子供が親に暴力を振るったり、逆に自分の部屋に閉じこもったりしてしまいます。薬を飲んでいる子供では薬の量を増やすことで、この状態を乗り切ろうとする事になります。

 登校拒否、不登校、引きこもりを理解している医者はほんのわずかだと思います。子供の出す症状が不自然だったり、症状を来す所見がないことより、「おかしい、気のせいだ」と言う医者もいます。また、子供の出す症状が病気にそっくりの症状を出すために、多くの小児科では、風邪、急性腸炎、自家中毒等の診断で、検査や投薬や注射、点滴が行なわれています。立ちくらみや目眩、動悸など、自律神経の症状が強い場合には、自律神経失調症、神経症、起立性調節障害などの診断で、いろいろな向精神薬が投与されます。特に精神科や心療内科を受診すると、この傾向が強いように思われます。

 登校拒否や不登校の子供が出す症状は、子供が本心では拒否をしている学校へ行かされることへの反応で生じています。それ故に、登校拒否や不登校の子供が出す神経症状や精神症状は、子供を学校から解放することで無くせます。この事実は多くの登校拒否、不登校を克服した子供を持つ親が経験してきたことです。また、脳科学的にも証明をすることが出来ます。子供を学校から解放することで無くせるのなら、基本的に医療はいらないはずです。ところが現実には、医者は登校拒否、不登校の子供が出す神経症状や精神症状を、子供が拒否している学校へ行かされる事への反応として生じていることを信じようとはしません。医者は、登校拒否、不登校の子供達が出す症状は病気だと考えています。症状がそろえば、それ相応の病名をつけて、薬を投与し始めます。親も子供の出す症状が病気であるという説明に納得をして、子供に無理矢理に薬を飲ませようとします。薬を飲ませるのが子供のためだと考えるようになります。一方、医者の治療に疑問を感じても、親は医者に反論をする知識を持ち合わせていません。医者の言いなりにならざるを得ないのです。

 ここでで強調しておきたいことは、医者が登校拒否や不登校の子供の症状から、神経疾患だ、精神疾患だと診断を下しても、それはその診断を下した医者がそのように判断をしたというだけで、決して根拠があるわけではありません。あくまでのその診断を下した医者の主観であり、客観的な証拠はどこにも有りません。客観的に調べる方法も現在の所ありません。それ故に医者により診断が著しく異なることもしばしばあります。また、医者による説得力を高めるために、専門家という言葉を使って、その医者と異なる意見や判断を押さえつけようとしています(水戸黄門の印籠のような物です)。今ひとつ踏み込んで指摘しておきたいことは、鬱病や分裂病など、精神疾患と言われている疾患が、科学的には存在しているかどうか未だに解らないと言う事実です。多くの人々や医者は鬱病や分裂病などの精神疾患が存在していると信じています。特に医者はこれらの精神疾患が存在すると信じて、症状から病気を作り上げて、それに対して投薬や治療を行っています。ところがこれだけ進歩した科学技術から、病態の仕組みは解ってきていますが、これらの精神疾患の原因は見つかっていません。つまり医者が病気だと言ってもそれは本当に病気なのかどうかの根拠は全くない事実が有ります。ただ単に信じているだけ、信じ込まされているだけだとも言えます。

 その事実は薬にも言えます。薬は症状を軽減できますが、病気の原因を治療しているのではありません。これらの精神疾患の原因を治すという薬は現在の所ありません。だからといって登校拒否、不登校、引きこもりの子供達の出す症状に薬を使っては行けないと言う理由にはなりません。どうしても薬にしか頼るしか方法が無いときには、薬の使用はやむを得ないと思います。現実には以外と安易に医者にかかり、投薬を受けていることが多いようです。子供の方では、薬を飲んで効果が無いと思った子供、逆に副作用で苦しんだ子供は、自分から薬を拒否する場合もあります。薬を飲んでいるふりをして捨てている子供もいます。飲みたくなくても無理矢理に飲まされて、その副作用で苦しむ子供もいます。薬を飲んで症状が軽くなった子供は、薬を飲むことで自分の問題点が解決すると信じ込んでいます。その場合には、薬への依存を生じ、登校拒否、不登校、引きこもりの問題点が、症状の治療という問題のすり替えとなって、問題の本質を見失い、可哀想な経過を経ることになります。特に登校拒否の子供に投薬などの医療行為をすると、確かに一時的には症状が改善します。その症状が改善している間に、学校に於ける問題点が解決しますと、子供は元気に学校へ行けるようになります。しかしほとんどの例では、本質的な学校内での問題が解決していないので、症状が再発し、悪化して行きます。そのために大量の薬が投与され、子供は不必要な薬を飲まされ続けるようになっています。そればかりでなく、登校拒否の原因が症状や性格など、子供に問題点があると言う形にすり換えられて、登校拒否、不登校の本質を見失うことになります。子供をますます辛い状態にしてしまいます。

 登校拒否の子供を理解して診察をすれば、医師には登校拒否の子供を見分けることは、さほど難しいものではありません。しかし多くの医者は登校拒否、不登校、引きこもりの病態を知りません。これらの医師の考え方は、子供の出す症状や、夜昼逆転などの子供の示す不適応行動から、子供が学校へ行けなくなっている、子供の性格が異常だから学校に適応できない、親の子育てが間違っていたから子供が努力しないで逃げている、と考えています。学会での発表でも、登校拒否を起こした子供にどのような対応して、学校へ戻したかを述べているものを、多く見かけます。登校拒否を起こしている子供にとって、学校内に何か好ましくないことがあって、そのために登校拒否を起こしている、その登校拒否が認められなくていろいろな自律神経の症状を出していると、考えている医者はほとんどいないようです。その結果子供に投薬、カウンセリング、入院治療が行われている場合もあります。数十年前までは、子供には精神疾患は無いと言われてきました。思春期以後の病気だとされてきました。それが現在は登校拒否、不登校、引きこもりの子供達に精神疾患として薬が投与されるようになりました。その原因の主たる物は、数十年前までは登校拒否や不登校、引きこもりの子供達が殆どいなかったからだと思われます。

  登校拒否の子供と長くつきあっている親たちは、登校拒否が病気ではなくて、単なる子供の生き方の一つの形だと気がついてきています。ありのままの子供を認めて、家庭内で親に支えられて安全に過ごせれば、子供自身が自分自身の登校拒否、不登校、引きこもりを解決して、自分から元気に社会へ出て行くことを知っています。しかしまだ、その事実は医療現場には届いていません。登校拒否は今の日本の学校のあり方に子供達が「嫌だ」と言っているのです。医師として大切なことは、学校の中で受けた、子供の心の傷に医師が気がつくことだと思います。子供の心の傷を親に教えることだと思います。子供を支える親の苦しみを認めて、親を支える事だと思います。医療が主に必要なのは登校拒否、不登校、引きこもりの子供にではなくて、その子供の親に、「お子さんは病気でなく、辛いことに反応しているだけです」と言ってあげることなのです。

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