ある特集番組を見て

 日曜日に仕事を持つ私には、NHK教育テレビのこの特別番組を全て見る訳にはいきませんでした。そこで見た範囲での感想を述べてみます。有馬文部大臣と子供達とのやりとりを見ることができました。しかし私は開いた口が塞がらなくて、途中で止めてしまいました。子供の訴えに、有馬文部大臣の返答は見事と言えるほど流暢で、その議論が見事なほどすり替えられていました。余りの流暢な答弁(子供達への真摯な答えでなく、国会の答弁を思いだしますので)にどれだけの子供が狐に摘まれた気持ち、狸に化かされた気持ちになったでしょうか?

 まず第一に言えることは、あの番組の中で子供達は現在を訴えていました。現在を大切にしたいと言っていました。だから現在をどうしかしてくれと言っていました。しかし大臣は、「だからこれからはこうしましょう。こうするつもりだから、今はまだ問題の多い学校だけれど、学校へ来なさい」と、答えています。それでは今訴えている子供達にとっては間に合わないことに気づいていません。確かに長期のビジョンも大切です。けれど現在を生きている子供達には、今が一番なのです。今をどうにかして欲しいのです。しかし、今何かをして、今の子供達が満足して学校へ行ける方策については全く答えてくれませんでした。

 其の例の一つとして、義務教育と言う言葉があります。それに関して有馬文部大臣は、言葉はなんであれ、親や大人の義務であり、子供からは権利であるとの答えがありました。しかし、子供は義務教育と言われると、子供は子供の義務だと理解すると言う、子供としての発想は全く無視されてしまいました。義務教育という言葉は子供ばかりでなく、大人も誤解させ続けてきた、いや、まだ誤解させ続けている言葉です。子供の立場から子供の発想から考えるなら、権利教育と名前を変えて、大人が、大人の立場から言うと義務教育だと翻訳して、解釈すべきではないでしょうか?

 就学前の子供の教育を主張する教師がいました。今の子供の問題点を理解しないで、教師の都合からの発言としか考えられません。学級崩壊が言われているのは多様性に富む子供に対応できない教師の問題です。それを多様性に富む子供に原因を求めるとは、単に教師の責任逃れです。多様性に富む子供が生じることは自然の成りゆきです。原因はいろいろと言われていますが、現実で、かつ人間の良さです。今の教育の目的でもあるはずです。もし教師がプロの意識を持っているなら、就学前で、保母さんでも対応できる多様性に富む子供への対応を、なぜ放棄するのでしょうか?確かに学校では、就学前の子供にしなくてはならない事よりも、たくさんの事をしなくてはなりません。生徒と教師との割合も小さくなります。教師の仕事が多くなり、授業が難しくなることも分かります。それだから、就学前に子供を教師の扱い易い型にはめ込んでしまえと言う、議論は教育ではないと思います。そしてもっと大切なことは、学校におけるいろいろな子供達の問題の多くは、子供達をある枠に押しこまないでという、子供達の訴えであることに気づいていないことです。

 私はFAXを番組に送った一人です。その内容は「この番組は学校へいくとを前提としている。現在学校へ行かないことも選択できることも考えるべきだ」との内容です。もちろん無視されたました。理想の学校ができたとしても、理由がなんであれ、学校にいきたがらない子供が出てきて不思議では有りません。子供だけでなく、人間には性格の上で広いばらつきがあり、そのいろいろな性格の子供の集団をいろいろな性格の人間が教育する限りにおいては、学校が万能ではありえない事です。別の言い方をすれば、絶対に今の学校が変わらなくてはなりませんが、変わったから解決するかと言うと、そうではない、問題が少なくなるだけか変わるだけで、なくなるわけではないと言う意味です。今回の放送も、変わらなくてはならないと言う意味では大変に意味が有りましたが、それだけでは全ては解決しないところが有ることに、気づいていません。この様な事を言いますと、解決しないことを前提に問題解決の議論はできないと言われる人が多いと思います。しかし、子供は物ではありません。人間である以上、子供の権利を認める以上、枠からはみでた子供の事も考えておく必要があります、現実に多数の子供が学校教育の枠からはみ出して生活しています。確かにスクールカウンセラー、適応指導教室など、対応が取られていることは事実ですが、いずれも子供を学校へ戻すことを目的としており、学校へ戻りたくないと言っている子供達には、好ましい対応とは言えないと思います。最も好ましい対応は、一度学校から縁を切って、子供の自主性に任せることではないかと思います。今一度、今の学校の問題の根本原因とはと、いくら英知を絞っても、学校が全ての子供に好ましいものにはり得ないこと、必ずはみ出して来る子供が出て来ることです。この事実を認めない限り、学校を改革してもその都度、その改革に合わない子供が出て来ます。学校を嫌う子供が、そのまま学校に行かないで成長して良いと私は思うのです。学校に行かないで成長した方が幸せな子供も現実にたくさんいます。

 

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