登校拒否の心理学

 私たち平均的な大人は、子供(思春期以前の)は大人を小さくしたもの、経験不足から不十分ではあるが、大人と同じように考えたり感じたりしていると、思ってはいないでしょうか?確かに大人と向かい合っている子供は、その子供なりに一生懸命思考を働かせて応えてくれます。それ故に、「子供も大人と同じように思考を働かせて生きている、行動している」と、大人が考えるのもやむを得ないことなのかも知れません。それ故に、心の専門家を含めて多くの大人が「子供はこういう時にはこのように考えて行動している」と、子供の心を分析し、子供の思考判断の結果として、子供の行動を捕らえようとするのもやむを得ないことなのかも知れません。

 ところが実際は、子供一人だけの行動では、子供だけの集団の中での行動では、どうも子供の思考判断ほとんど働いていないようです。子供は思考判断の結果から行動していないようです。大人の目からは、思考判断による行動のように見えても、子供は周囲からの刺激に、ただ単に反応して行動しているだけ、反射的な行動の連続として行動しているだけと考えて、子供の行動を分析した方が、より実際の子供の行動を正しく把握でき、分析でき、予想でき、対応もより好ましくできるようです。

 そのような子供達の普通に見せる反応の仕方を情動と言います。勿論大人にも情動による行動もありますが、大人では思考で情動を調節して、行動をしている場合が大半です。ところが子供では思考自体が未熟なためと、思考で情動を調節することが未発達なために、思考も情動の強い影響を受けてしまっています。つまり、子供の行動のほとんどすべては情動の赴くままになされてしまいると考えられます。大人でも思考の未熟な人は、情動からの刺激に対して反射的な行動をする場合が見られます。いわゆる感情的な人です。

 子供が登校拒否を起こしたとき、多くの大人は子供が、「学校の先生が怖いから」、「いじめる友達がいるから」、「学校の授業がおもしろくないから」、「怠けたいから」、などと理由を考えて、其の結果「学校へ行くのをやめてやろう」と考えて、登校拒否という行動に出たと考えがちです。しかし本当はそうではありません。ただ、学校を見たり、友達を見たり、教科書やノートを見ただけで、胸が苦しくなり、足が動かなくなり、気分が落ち込んでくるのです。そこには多くの心の専門家や大人達の考えるような理屈はありません。理屈抜きに、自然にそうなってしまうのです。どうも現在の心理分析では扱えない領域の問題のようです。それなのに大人から、怠けだ、意欲がない、弱虫だ、頑張れなどと言われても、子供にはどうにもできない領域の生理反応なのです。

 登校拒否は決して子供の意思による拒否行動ではありません。それどころか子供の意思としては、学校へ行こう、学校へは行かなくてはならないと思考では考えています。しかしそう思っただけでも体の内から沸き上がるつらさや怒り、恐怖、体の硬直した動きから、子供の意思には反して、学校を避ける行動をとってしまいます。それは子供が成長の過程で、学校生活の中で獲得したいわゆる性格であり、生理反応であり、その事実は子供の思考や意志ではどうにもできないものなのです。そのような自分の意志に反した生理反応のために、そのとき子供は大変に辛い葛藤状態にあります。

 このような、子供を登校拒否という辛い状態にしたのは何でしょうか?それを考えるときには、情動とはどのようにして形成されるのかを考える必要があります。情動は大脳辺縁系という脳で、五感からの刺激が評価され、判断されて生じます。その刺激に対する判断の仕方は、ほ乳類ではほぼ共通しており、情動学習により形成されます。その詳しいことはここでは省略しますが、その基本は条件反射です。登校拒否とは学校に関したことで、子供が大変に辛い経験をしたために子供自身が学習した、学校に対して、学校に関するものに対して、それを回避しようとする条件反射によって生じる行動です。この事実をしっかり把握すれば、登校拒否をしている子供への対応方がはっきりと見えてきます。条件反射に関する研究はパバロフ以来多くの研究がなされていて、その研究結果は、登校拒否の子供を持つ親がその経験の中で気づいたことを、とてもよく説明し支持してくれます。

 ここで登校拒否の子供の心理を、子供の医者嫌いで説明してみます。もともと医者は大人にも子供にも恐い存在ではありません。ほとんどの子供は注射などの痛い思いをするまでは、医者に対して普通の大人に対するのと同じ行動をとります。ところが注射などで何回か痛い思いをさせられた子供は、その時周囲にあった物、例えば注射器、医者およびその白衣、病院を恐怖を生じる条件反射として学習します。何を学習するかはその子供によりますが、一般的に幼い子供では白衣や病院といった大ざっぱなものが条件反射として学習されているようです。年長児になってくると注射器そのものというように、条件刺激がもっと具体的な物になってきます。それ以後子供は注射器、医者や白衣、病院で恐怖を生じるようになり、これらを反射的に避ける行動をとります。つまり恐怖を生じる無条件刺激は痛みです。その痛みを受けたとき、子供の周囲にあった無関刺激の注射器や医者、白衣、病院を恐怖の条件刺激として子供が学習します。学習が成立しますと以後、子供がこれらの条件刺激に遭遇したときに、子供はその条件刺激を避けようと回避行動をとります。子供がその条件刺激を回避できないときには、子供は恐怖に関する行動、すなわち逃避、攻撃、すくみ(欝状態)の行動をとります。

 この事実を登校拒否に当てはめてみます。恐怖を生じる無条件刺激は例えば学校の先生よる体罰や友達のいじめによる暴行の痛みです(登校拒否の場合は痛みだけが恐怖の原因ではありませんが、ここでは痛みだけに限定してみます)。その結果無関刺激の先生や友達、教室、学校、教科書など学校に関連した物を恐怖を生じる条件刺激として学習します。其れ以後、その条件刺激に子供が出くわしたとき、子供のとる行動は学校への回避行動です。学校への行こうとしない行動です。しかし大人はそれを許しません。そこで大人からの理由で学校を回避できないときには、子供は学校に対する恐怖を表現します。それが学校への行き渋りや、ひきこもり、暴れる、いろいろな病的症状を出すなどの、登校拒否の際に親が子供にみる子供の行動や症状です。これらの行動は子供の意志とは全く関係ない、子供では動にもできない生理的な反応なのです。

 ただ医者嫌いと登校拒否との間には大きな相違点があります。それは大人にとって医者嫌いは理解できるが、登校拒否は理解できないことです。つまり医者嫌いは以前から普通に良くみられ、大人も経験したこともあります。医者に行くことも限定された状況です。それ故に大人も子供のとる行動を理解でき、それなりの優しい対応もとれます。

 ところが現在の多くの大人は登校拒否を経験していません。学校が恐怖を生じるところとは考えることができません。学校へはほぼ毎日行ってもらわなくてはなりません。その結果学校へ行こうとしない、学校を恐がる子供をおかしいと、異常であると考えてしまいます。子供の正常な生理的な反応とは考えることができません。そこで子供を無理やりに病院や心の相談所に連れて行きます。その結果正常に反応できる子供を異常な子供として、正常でない反応を取るように強制することになります。それは子供をより一層強く回避行動を取らすことになり、恐怖を起こす条件刺激の汎化になります。つまり恐怖を起こす条件刺激とは異なるもの、例えば親などの子供を追いつめるものや恐怖を生じる条件刺激の概念だけで、恐怖を生じるようになります。こうなると大人も子供の登校拒否の本質を全く見きわめられなくなります。登校拒否にはいろいろな形があると言う専門家が出てくる理由ではないかと考えられます。

 登校拒否を含めて、子供の取る行動を大人が理解できない場合がしばしば有ります。それは子供が異常である場合も無いわけではありませんが、多くの場合大人の無知で理解できないだけで、子供では正常な生理的な反応により行動のことが多いと考えられます。大人の勝手な解釈を子供に押しつけて、子供を痛め続けている場合が多いと考えられます。登校拒否はその代表的な状況であると考えられます。

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