子どもの立場からの登校拒否、不登校、いじめ、引きこもりについてQ and A version 4
{ 一般的な質問 } (7)子どもへの対応について
「一生懸命して上げることを嫌う子どもがいるのはなぜ?」 目次へ戻る
子どもにもいろいろな性質や立場の子どもがいます。そのような多様性のある子ども達を、学校との関係から大きく三つに分けられます。
1.元気な子ども・・親や大人が子どもに何かを求めると、子どもはそれを利用して自分を発展させられる子どもです。このような子ども達には親や大人達が求めることで子どもの知識と心の発展が加速されます。この様な子ども達はここで問題にするような事が起きません。常識で考えられるような対応がそのまま応用できます(強者の論理)。
2.良い子を演じる子ども・・見た目は元気な子どもですが、既に学校に対して疼く心の傷を持っています。ただ、その心の傷は浅くて、無意識な回避行動の良い子を演じることで、その心の傷の疼きを押さえてしまうことができます。ただし、癒えていないために、心の傷の疼きから思わぬ行動に出てしまう場合があります。親や教師からは元気な子どもと区別ができません。
3.辛い子ども・・親や大人が子どもに何かを求めると、それから逃げ出そうとする子ども達がいます。逃げ出せないときには回避行動を取ったり、神経症状、精神症状を出す子ども達がいます。この様な子ども達には、何かを求めるような対応はかえって子ども達を苦しくさせて、問題を長引かせるか悪化させます。常識で考えられるような対応は用いられません。その子ども特有の対応の仕方が必要です(弱者の論理)。
「良いと思われる対応で子どもの状態が悪くなるのは?」 目次へ戻る
登校拒否、不登校、引きこもりの対応を考えるとき、大人の持つ常識で行ったときにはうまくいきません。その理由は現在の大人の多くが登校拒否、不登校、引きこもりについて殆ど知らないからです。登校拒否、不登校、引きこもりの問題の答えは、大人の常識の外にある(弱者の論理)からです。心理学書や精神医学書などを引っぱり出して考えても、答えはそこにはありません。多くの答えは、登校拒否、不登校、引きこもりの子ども達と寝起きを供にしながら観察してきた大人、又は登校拒否、不登校、引きこもりを克服した子ども達の経験談を聞いて、導き出したものでなければなりません。そうでなければ見当はずれの、間違った対応になってしまいます。
「子どもの性格を変えるには?」 目次へ戻る
子どもにとって母親は自分の命に匹敵するぐらいに大切な存在です。母親を手本に育ち、母親の元で心を癒して、社会へ出ていきます。母親に愛情を持って育てられた子どもは、無意識に母親の思いに沿って行動をします。
母親の思いが変化をすると、初めの内子どもは戸惑います。それが今までの子どもの思いと異なるときには、子どもは反発をします。変化した母親の思いが子どもの本心と一致したときには、子どもは変わった母親の思いを受け入れるようになります。母親の対応が子どもの思いに沿って変わると、必ず子どもはそれを受け入れて大きく変化をします。親が、特に母親が変われば子どもが変わると言われていますが、それは本当です。
「子どもをおとなしくさせるには?」 目次へ戻る
ストレス刺激がないと子どもはじっとしておれません。何かを求めて行動をします。これは成長の終わった大人には見られないことです。成長と関係しているようですから、幼いほどこの傾向が強いです。子どもはエネルギーの泉のような物です。子どもでも年長になるとこの傾向は弱くなります。
子どもはストレスが加わらないと、自然とエネルギーが生じて、何かを求めて行動をします。その行動は子どもの問題の解決にとても役立ちます。心の成長にも役立ちます。ストレス刺激を与えないと、子どもは何かを求めて行動して、その過程で必然的にストレス刺激を経験して、その問題を自分の力で解決していきます。解決できないときには家庭に戻って心を癒して、又挑戦していきます。自分の意志で社会に出て、ストレスを経験して、それを解決していく過程は、とても強い人間を作り上げます。それに対して、ストレスから隔離された状態で育った子どもは、ストレス刺激に対して抵抗性が有りません。隔離から解放されたとき、些細なストレス刺激で大きく心が傷つきます。ひ弱な人間を作ります。
「母親が子どもを苦しめていることが解ったときにはどうすればよいですか?」 目次へ戻る
母親は子どもが心身共に成長することを願っています。そのために、子どもに食事を与えると伴に、子どもにしつけや学業など、いろいろな要求をします。母親の求めに応じられる子どもを母親は求めています。母親の求めに応じられる元気な子どもについて、母親のこの様な対応は正しいのです。母親の求めに応じられない子どもには、母親の求めがとても辛いのです。それでは、母親が子どもに何かを求めるのは悪いことかというと、悪いことではありません。母親は一生懸命子どものことを考えて、母親のためでなく、子どものためを思って求めています。それは子どもを思う母親として、間違いではありません。悪いことでもありません。やむを得ないことです。ただその際に、子どもが母親の求めて苦しんでいる事実に気づかないことは間違いです。子どもが苦しんでいる事実に気づいて求めるのを止めれば、母親として正しいです。この様な母親の失敗を子どもは許してくれます。母親の失敗を許そうとする子どもの行動は、子どもの本能です。
「無駄使いする子どもをどうしたらよいでしょうか?」 目次へ戻る
子どもが欲しい物を次々とねだる場合があります。幼い子どもでしたらさほど高価な物をほしがりません。年長の子どもだと親が吃驚してしまうような物を欲しがります。その理由は、物を買うことで自分を落ち着かせようとするのです。これが大人で見られるといわゆる買い物依存症です。この場合、買い物を制限すると子どもの状態が悪くなり、かえっていろいろな物を買わされる羽目になります。より無駄遣いになってしまいます。子どもが落ち着いたらこの様な買い物をしなくなることを信じて、可能な限り、即座に、笑顔で買って上げると良いです。ただ、この場合もこの様な無駄な買い物がいつまで続くのだろうと、親は心配します。その心配は逆に子どもに不安を与え、子どもの買い物を助長します。子どもがいろいろな物をどんどん欲しがるのには、自分の心を癒すというきちんとした意味があります。親から見れば一度使ってそれ以上使わないから、無駄な物に思われますが、それは大人の気持ちであり、子どもの気持ちではありません。子どもには無駄遣いではなかったのです。
もう一つの原因として、子どもが辛い状態を克服して動き出すときにも、動き出すのに必要な物を欲しがります。それを無条件で認めて上げて、子どもの要求を満たして上げるなら、子どもはそれを利用してより一層動き出します。この場合には、大人も無駄遣いと感じないと思います。
「思いを話すとと楽になるのはなぜ?」 目次へ戻る
辛い状態にある人が自分の辛い状態を話すことで辛い心が楽になります。精神安定剤のような効果があります。けれど辛い状態をしゃべるには聞く人がその辛い状態の話を聞く余裕がなければなりません。辛い話を聞いて共感できる人でなければ、辛い状態にある人は話せません。辛い話を聞いて共感できない人には、いくら辛いことを話しなさいと言っても話せません。
おしゃべりが辛い状態にある人を楽にするからといって、その人に質問をして無理矢理に話さすのは危険です。その人が辛くなる原因そのものに触れたときには、その人の心の傷が疼きだし大変に辛くなります。その人が自然にしゃべる限り、その人は自分の心の傷が疼く物には触れません。その人が自然に話すようにし向けて上げる必要があります。
「親からは子どもが辛い事に触れないほうが良いのはなぜ?」 目次へ戻る
親が子どもの辛い話を聞いてそれに共感できれば、子どもは楽になり元気になります。けれど親からその辛い話に触れると、子どもは心の傷が疼いてかえって辛くなります。親は子どもの辛い話を聞くだけで、あえて聞こうとしては逆効果です。親が共感してくれることで子どもの心が軽くなり、子どもの辛い状態を話せるようになれば、子どもは自分の心の傷を疼かせないで話をできるようになります。それは子どもをとても元気にします。
「辛い状態の子どもに親らしいことをするとなぜいけないのですか?」 目次へ戻る
親がいろいろな本を読んでこうすればよいと言う対応の仕方を勉強して、または他の人から対応の仕方を教えられて、それに基づいて子どもに対応したときには、子どもは親を拒否してしまいます。勿論親が勉強した対応の仕方、教わった対応の仕方が子どもの心に沿っておれば、子どもに拒否をされることはありません。ところが多くの場合親が学んだ対応の仕方は子どもが求める物に合っていません。親だからこうしなければならないと考えて対応したのでは間違うことが大半です。親だから親らしいことをしなければならないと考えることは間違いです。子どもはいわゆる親らしさを求めていません。子どもは自分を支えてくれる親を求めています。親は待っていればよいです。子どもが親に求めてきたときに、それを100%叶えて上げさえすればよいです。
「親たちの子ども時代のことを、子どもに当てはめていけないのはなぜですか?」 目次へ戻る
私たちの親も「昔に比べて今の若い奴は」と言われたそうです。私たちも「昔に比べて今の若い奴は」と言われてきました。そして今私たちが親となって若い人と向き合っているとき、「昔と比べて今の若い奴は」と言っています。その言葉の裏には今の若い人を理解できない、不満だ、と言う意味があります。自分達が良くて若いものが悪い、と言う意味合いも込めています。判断基準が違うという意味でもあります。自分達が培ってきた判断基準と、若い人たちが持っている判断基準が違うと言う意味です。
江戸時代や其れ以前の社会では、一世代の間の環境の変化はほとんど有りませんでした。親が子どもだったときの環境と、親の子どもの環境と、ほとんど同じでしたから、親の判断基準を子どもに当てはめることに問題は有りませんでした。ところが現代の変化は日進月歩です。一年で大きく変わることも有ります。十年たてば、もう大変な環境の変化を生じています。その大きな環境の変化の中で育た子どもの培った判断基準が、大人の判断基準と同じである訳がありません。親と違っているのが当り前と考えられます。もし子どもの判断基準が親のそれと同じだとすれば、その子どもは社会から取り残されているか、親から強要されている可能性も有ります。この事実をふまえると、「昔に比べて今の若いものは」と言う大人は自分の判断基準に固執して、相手の判断基準を認めない立場の人と言えます。少なくとも若い人の判断基準を認めない人だと思います。それはそれで構わないことです。しかし、若い人たちの判断基準を認めない、時代錯誤の判断基準を若い人、特に年少者に押しつけると、それが年少者を迷わせて傷つけてしまうことに気をつけるべきです。
青少年問題は子どもの性格やしつけの問題と主張する人、問題を起こす子どもが悪いと主張する人がいます。私の観察する限りでは、この青少年問題を起こした子どもの多くが、大人の時代錯誤の判断基準を押しつけられて傷ついた子ども達であるように観察されます。問題行動を起こした子どもの大半は、子どもに対して無理解な大人の犠牲者です。
「親が子どもを受け入れているのに、子どもが辛い状態から抜け出せないのは?」 目次へ戻る
親が子どもに期待するのを止めたのに、子どもが親の期待を記憶していて、その記憶から苦しんでいる場合があります。この場合は過去の親の期待が子どもにしっかりと植え込まれていて、その子どもが記憶している親の期待を忘れていないで、何かの折りに思い出して、それに反応している場合です。対応は、子どもの持っている親の期待をはっきりと繰り返し否定してあげることになります。
親が登校拒否、不登校を認めようとしているが、心の奥底から認められていない場合があります。親の言葉では子どもを期待しているという表現がなくても、親の表情や行動に子どもが親の期待を感じている場合があります。親の本心を見透かされている場合に相当します。それは親が期待している言葉を子どもに言うのと同じ効果があります。その結果、子どもは親の期待があるかのように辛さを感じ続けます。対応は、親が子どもを見ないようにして、親自身の人生を楽しむことです。
「子どもが同じ失敗をしないようにするには?」 目次へ戻る
強い子どもを作るには、親によって癒される範囲で適当なストレスを経験した方が良いです。それと同じ意味で、子どもは失敗をする必要があります。失敗をすることで成功する方法、問題を克服する方法を学習します。ですから子どもの失敗は許される必要があります。親も社会も、子どもの失敗を責めてはいけません。既に子どもの心が傷ついていない限り、子どもは責められなくても自分の失敗をしっかりと情動から感じ取っています。十分に学習して、失敗を回避する方法を感じ取っています。ただ、既に心に傷が付いていて、失敗から自分を守ることで精一杯の子どもにはこの話は直ぐには当てはまりません。けれど親から子どもの心を癒そうとする対応が取られたなら、子どもは自分の経験から素直に学習できて、同じ失敗を回避するようになります。
「多様性のある子どもへの対応法」 目次へ戻る
多様性のある子どもを否定することは、多様性のある大人を否定することになります。多様性のある子ども達を否定するのではなく、多様性のある子ども達をそのまま認めて、そこから子どもの問題を考える必要があります。具体的にはケースバイケースです。
多様性のある子どもの内でもいわゆるADHDやLD、自閉症と診断されている子ども達がいます。これらの子どもたちは、現在の医学では障害(医者は病気として治療をしている)と分類されていますが、いわゆる正常の子どもとこれらの子どもとの間に境界線はありません。文化が発達した現代では、これらの子どもが問題になっていますが、文化的に未発達な時代では全く問題になりませんでした。単に性格が普通でない子ども達であったのです。そして昔も今も、これらの子ども達は、大人になると普通の社会生活ができています。
これらの子ども達は現在の学校のあり方に適応できません。学校側も対応に苦慮しています。特殊学級で育てようとするのは、学校側の都合でしか有りません。原則的に学校はどんな子どもに対しても、その子どもにあった対応する必要があります。それはあくまでも原則であり、子どもが、親が希望するなら、特殊学級で育てても問題はありません。
「何か子どもの問題を早く解決する方法がありませんか?」 目次へ戻る
親が子どもの問題を早く解決しようと焦ると、かえって問題を難しくして解決を長引かせます。けれど親の方でも早く問題を解決したいと思うのはやむを得ません。
子どもの意欲を早く出させるテクニックがあります。それは子どもが得意とすることを親が子どもから教わることです。いい加減な気持ちで親が子どもから学ぼうとしたのでしたら、それは全く意味が有りません。本気で子どもが持っている知識を学び取ろうとすると、子どもは自分の知識をより発展させようとして、意欲を出してきます。
辛い状態の子どもが何かをやりたいと言うことがあります。その場合の何かをやりたいは、親の思いを感じて言っています。元来はできないのですが子どもはその何かをやろうとします。その際に、子どもがやろうとすることに対して逃げ道を作って上げておくと、子どもは傷つかないでそのやりたいことに挑戦できます。運良くうまく行くと子どもには大きなエネルギーを与えます。失敗しても傷つくことはありません。
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