なぜ学校に行き続ける?

 ある科学雑誌に、「悩める大学生、大学院生が急増?」という記事が載っていました。それによると、2003年度の大学生の休学率が男子で2.9%、女子で2.4%。平均で2.8%。退学率が男子で1.9%、女子が0.9%。平均で1.6%でした。留年率が男子で8.3%、女子で3.1%平均で6.6%でした。これらの割合は近年増加の傾向にあります。大学院生の休学率が男子で5.0%、女子で9.2%、退学率が男子で4.8%、女子で5.0%。留年率は男子で9.0%、女子で11.8%でした。
 
 これらのデータから、大学に行ったけれど、大学生活の挫折や、大学生活の意味が分からない大学生が、無視できない数になっていることが分かります。また、増加の傾向にあるとの指摘もあり、大学に行ったけれどその目的や意義が分からない学生達が増えてきていると言うことになります。苦しんで、苦しんで、やっとの思いで大学に入学して、そして又苦しんだあげくに中途で大学を去る若者が100人中に1.6人、それらの人の多くは、ニートと呼ばれる人になっていると推定されます。
 
 若者達の中には、やっとの思いで大学に入学して、苦しんで大学を卒業したけれど、就職できないでニートと呼ばれる人のなっている人がかなりの数いると言われています。勿論研究をしたいから大学院に行く人の方が多いでしょうが、中には、就職したくないから大学院に残った(大学院生の増加に関係している?)けれど、大学院に行き続けることができなくなった若者も居るでしょう。それらを含めて、大学院を去る若者が100人に5人近くいます。それらの人の多くもニートと呼ばれる人になっているようです。
 
 子供達にとって本能的に興味があり、楽しいはずの幼稚園や小学校、中学校。そこでも既に、子ども同士で競争することを要求され、またしつけと称して、子供達の行動や生活は縛り付けられ、子供達は息詰まるような生活をしています。これらの大人からの要求をうまく満たせる子供達にとっては、現在の学校はそれでよいと思いますが、かなりの数の子供達はこの時点で既に、程度の差はありますが、心に傷を帯び、学校に行きづらくなっていています。勉強に拒否反応を生じるようになっています。その様な子供達は、本当は学校に行きたくないのですが、親や周囲の人の圧力で、やむを得ず学校に行き続けています。その様な子供の一部は親や周囲の人の圧力があっても、学校に行き続けられなくて、学校を拒否して不登校になっています。
 
 小学校、中学校で不登校にならなくても、その様な心の状態で子供達は高校に進学し、より激しい学業や運動などの競争により、また子供達の心を無視した学校運営により、子供達の心がますます苦しくなって、学校から家の中に逃げ出した不登校の子どもや、家の中にも逃げこめなくて、町中に逃げ出して、万引きや薬物などの不良行為などの問題行動をする子供達も出てきます。この町の中に逃げ出して、不良行為を行う子どもについて、その子どもが悪い、親の子育てやしつけが悪いというのが常識でしょうが、子供達をこれらの行為に走らせた大本は学校であり、その事実を知らない親や大人達が、責任を子供達に求めて、それにより子供達を追い込んで、これらの不良行為に走らせています。
 
 これらの事実をふまえて考えると、学校制度にすがりついて生きることの意味をもう一度考え直す必要があると思います。勿論、多くの若者が学校制度を利用して、成長し、知識を深めて、社会に貢献しています。これらの人には、これ以下の議論は考える必要がないです。また、多くの親は自分の子どもが学校制度を利用して成長し社会に出て行ってくれるものと確信していて、学校制度から自分の子どもが脱落することなど、全く考えていないです。子どもの心がどうであれ、子どもが学校に行っているだけで、多くの親は安心しきっています。学校にすがりついていないと、子どもの将来が開かないだろうと信じています。学校側や先生方は、子供達に何かも問題を生じたときには、学校が問題ではなくて、子ども自身が問題だと、またはその子どもの親の子育てが問題だと考え、学校が持つ問題点を考えようともしません。
 
 一方でこの学校制度から逃げ出しても、自らの生き方が見つからなくて、苦しんでいる若者がいますし、その数が増えてきています。そして現在、引きこもりと呼ばれる人たち、ニートと呼ばれる人たち、フリーターと呼ばれる人たちの問題が、社会問題となっています。これらの人の親たちは悩み、慌てふためいて、若者達を学校に戻す対応を、社会に押し出す対応を、あれやこれやと試みています。それが若者達の心に傷を作り、または元々ある学校や人で疼く心の傷を深め、広げていきます。これらの若者達を苦しめていますが、その苦しみの原因を若者達に求めていて、若者達が学校で苦しんだこと、親や大人達の対応が若者達を追い込んでいることを認めようとはしません。
 
 これらの若者達がなぜ学校制度から逃げだしたのか、その原因を考えてみる必要があります。その原因について、いろいろな人がいろいろな立場から述べていますが、若者達の立場からその原因を考えた物はあまり無いと思います。若者達が学校生活を続けている内に感じだす無力感、その無力感の中には、学業の意味が分からない、自分の生きる目的や将来が見えないことへの不満、学校で疼く心の傷の疼きを解消できない、なども含まれます。その若者達の無力感はどこから来るかという問題を考える必要があります。
 
 無力感とは潜在意識の反応です。嫌なことから逃れられないときに生じます。学業が楽しくない若者達にとって、学業を続けることは苦痛です。苦痛でもその苦痛に見合う何か楽しみや喜びがあるのなら、若者達は楽しくない学業を続けられます。けれど現在の学生達は、学校制度に沿ってやっとの思いで進学し、学校生活をしても、苦痛だけで、喜びが見つからなくて、学校生活から逃げ出しています。それも無理をして、無理をして、ぎりぎりまで無理をして、全てのエネルギーを失ったところで、学校制度から離れていますから、その後すぐに社会生活の中に入っていけません。親の元でエネルギーを蓄積しなければなりません。まだ、エネルギーを蓄積しないうちに、親や周囲から後押しされて社会に入っていっても、エネルギー不足により社会から逃げ出さなければならなくなっている人たちがいます。その際に、人で疼く心の傷を受けたり、自分を駄目な人間だと否定してしまう若者達が出てきます。
 
 私が観察する限り、学業が楽しくない若者達の中には、学校で疼く心の傷を既に持っている若者達を多く見かけます。学校から逃げ出したいのですが、親や周囲からの力で学校に行かされていて、学校から逃げ出せないでいる若者達です。これらの若者達にとって、学校は既に行きたくないところになっています。勉強もしたくないものになっています。けれど学校に行かざるを得ない、勉強をせざるを得ないので、形だけ繕って勉強をしている振りをしている、学校に行っている振りをしている若者達です。親や周囲の人たちは、若者達が形だけ装っている、若者達の表面的な姿を見て、若者達が喜んで学校に行っていると、目的を持って学校に行っていると考えています。それで若者達の将来が保証されていると考えています。
 
 私が経験する限り、親から信頼されて、不登校を認められて、学校に関わらないで元気になった子どもは、その子どもなりにいろいろなことに挑戦できた子どもは、時期が来たら、学歴がないなりに社会に出て、その人なりの仕事をして、しっかりとした大人になっています。中には必要を感じて学校に行き、それなりの資格を得て、その人なりに社会で活躍する子どもも出てきています。不登校を経験していないが、無理をし続けて学校に行き続けた子どもより遙かに人間らしい生き方を、社会の中でしてくれています。
 
 一方で、親から一応不登校を認められても、つまり不登校を続けられても、親から信頼されていなで、その子どもなりに納得のいかない生き方を続けていた子供達は、いろいろな病的症状を出しますし、大人になっても元気が出ないで、人に対して不安を感じ続けて、社会生活ができないばかりでなく、経済的にも心に関しても自立できなくて、親に依存した生活を続けるようになっています。これらの子どもですら、大学で学校に行けなくなって引きこもった人、卒業しても社会に出て行けなくて引きこもった人、就職したけれど仕事を続けられなくて引きこもった人よりも、心の傷が浅いようです。これらの大学や就職してから引きこもった人たちより、より早く元気になって社会に出て行きやすいようです。


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