清輝君の自殺から2年(朝日新聞12月2日)

 清輝君の自殺は、遺書が残されていたことから、いろいろな方面から注目されています。しかしそれ以後も虐めが原因と思われる自殺は続いています。今回”虐め、懸命の答え捜し”として、清輝君の周囲のその後が報告されていました。その記事を読んで感じたことを述べてみたいと思います。

 清輝君を取り巻く環境として、1・両親、2・友達、3・先生、4・PTA、とあると思います。この記事では友達とPTAのその後の事が報告されていましたが、肝心の先生のその後は何も書かれていませんでした。御両親に関しても、同級生に手紙を出したとだけしか書いてなく、親としての対応の問題点は何も記載されていませんでした。

 この種の報道を見るとき、いつも感じる事なのですが、親の子供に対する対応のまずさ?が触れられていないのはなぜなのでしょうか?多分、子供を失った悲しみの本人の気持ちをふんで、あえて避けているのでしょう。確かに清輝君の遺書にも、両親に対する不満は書いて無かったと思います(確か遺書の全文は報道されていなかったと思います)が、何故清輝君は両親に何も告げずに、一人隠れて死んで行ったのでしょうか?清輝君が死という最後の手段を取ることを何故両親に話せなかったのでしょうか?私の読んだ範囲の新聞報道による限り、両親は学校などへの対応は取ったようですが、清輝君の気持ちに対する対応の事は記載されていなかったようです。私としてはきっと無かったのではないかと想像しています。清輝君が自分の苦しみを全て吐き出せるような親の対応が有れば、清輝君はきっと死を選ばなかった思います。確かに虐めが無ければ、清輝君は自殺をしなかったでしょう。しかし、いつの世でも、虐めを根絶することは不可能に近いと思われます。友達からも、先生からも傷つけられて、両親からも追いつめられて、自分の居場所が地球上に見つからなかったため、「もっと生きたかったけど・・・」との言葉を残して、最後の安住の地を求めて死を選んだと思います。

 こんな事を言われたら、清輝君の御両親は大変辛いと思います。私の事をきっと人の心の解らない奴だと言われると思います。しかし、他の人が触れないので、私が心を鬼にしてあえて言いたいことは、”いくら友達や、先生が、自分の子供を虐めても、親がしっかりと子供を自分の家の中に保護して、守ってやれば、子供は決して自殺はしないだろう”ということです。清輝君の場合でも、学校などと対応して、子供を学校へ行けるようにはしたようですが、子供を学校へいかさないで家の中で守ってやろうとする対応は取られていなかったように思います。

 今回の記事でも、同級生のことを調べようと手紙を出したとの事ですが、それはあくまでも自殺の原因を子供達の中に見つけようとする態度では無いでしょうか?自分の対応の問題点については何も記載されて居ませんでした。私としては、御両親に、子供を自殺に追い込まないための運動を起こして欲しいと思います。自分達の取った対応の分析をして、虐めを受けている子供の親に伝えて欲しいと思っています。

 虐めを見つけてその原因を探っても、見つかった原因の多くは、その虐めを受けた子供の原因の一部の事が多いです。虐めを受けた子供はその時点で心に大きな傷を受けています。その心に傷を持った子供が、学校へ行くことは、新たに傷を受けに行く場合が多いと言う事実を絶えず心に止めておく必要が有ります。

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