「いじめ」と「いじめられ」

「いじめ」と「いじめられ」の二つの言葉を並べたとき、「いじめ」とはいじめる側から見た言葉であり、「いじめられ」とは被害者の立場からのことばであることがわかります。

いま、社会問題になっているものはいじめられた子供達の問題です。いじめられた子供達の心の傷をいかにして快復させるかの問題です。その際に「いじめ」の問題と言葉を使うことはどういうものでしょうか?「いじめられ」の問題と言った方が、よりいじめられた子供達の気持ちを現わしていると思います。

たかが言葉の問題と言われるかも知れません。しかしいじめられた子供達は、大人が自分達の立場に立って欲しいと言っています。「いじめ」と言う言葉にも抵抗感を持っています。「いじめ」という言葉を使った時には、いじめられた子供達に問題があるような印象すら受けるのは私だけでしょうか?

「いじめ」を受けたと「いじめられ」は同じだと思います。「いじめ」を受けた子供達の問題を考えるときには、「いじめられ」と言う言葉を使った方が、より「いじめ」を受けたた子供の立場を表現して、良いのではないでしょうか?心ある人は「いじめられ」の言葉を使われることをおすすめします。

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