常識という鎧

 長男が小学校5年生から学校に行き渋り出しました。クラスの友達も毎日のように遊びに来てくれましたし、担任はとても教育熱心で、毎日のように電話をくれて、週一回は家庭訪問をしてくれました。私は仕事をパートに切り替え、時間を作って、いろいろなお母さんと友達になり、長男の友達がたくさん来るように努力しました。友達がたくさんくればきっと学校が楽しくなると思って、遊びに来たいと言ったお友達はすべて受け入れおやつを作ったり、楽しい遊びを考えたり、お友達に怪我をさせないように外でのサッカーやドッチボールも一緒に参加しました。うちはお友達のたまり場のようになっていました。10人ぐらいお友達が来ることもあり、4歳の娘にも手がかかったので、とても大変でしたが、これも当時は長男の為だと考えて頑張りました。けれど今から考えると、これらは母親の私が子どもに学校に行って欲しいという思い(常識という鎧を着たため)からの対応であり、長男の見かけとは異なり、長男の心の奥底を苦しめていたことが今なら分かります。

 このように母親としてがんばっても、朝になると長男は学校に行こうとしないので、付き添い登校は続きました。幾ら打ち消そうとしても「こんなに努力してるのにどうして?」という思いがだんだん強くなりました。それでも周囲のお母さん達はとても良い方ばかりでとても親切にしていただいたり、先生方にも良くして頂きました。登校班の子供達はとても可愛くてみんななついてくれて、登校しながらいろんな話をしてくれて、とても救われました。母親の私は長男が登校してくれさえすればほっとできたので、長男がどんなに辛い思いをして学校に行こうとしていたのか気づきませんでした。

 母親として幾ら努力をしても解決をしない不登校を、「付き添い登校のおかげでこんな貴重な体験が出来る」と前向きに考えるようにしました。母親として辛くても努力をするという意味では前向きな発想ですが、今となっては母親のこの思いで長男が死ぬほど苦しみ続けていたのですね。常識という鎧をまとっていた当時の私には分からなかったのです。

 常識という鎧をまとっている母親の中には、苦しさのあまり「学校の帰りに車に轢かれて死んでしまえば良いのに」とか、「あの子さえいなければこんな思いしなくてすむのに。」とか、「産まなければ良かった」「死んでくれないかしら」と思ってしまう母親もいるそうです。子どもから見たら悪魔のような母親ですが、母親が悪魔なのではなくて、常識という鎧が母親を悪魔のように振る舞わせているのが、常識という鎧を脱いだ今の私には分かりす。本当は自分の子どもが大好きなのに、子どもを慈しんで育ててきたのに、母親が常識という鎧を着ていると、「ひどい子育てをしたから、子どもが不登校になった」とか、「子どもを条件付きでしか愛せなくなった」とか、思うようになるそうです。そして常識という鎧を着ていることも全く気づかないのです。

大人の精神疾患

 大人の精神疾患について、その病態は遺伝子レベルまで調べられるようになっていますが、まだ根本的な原因の解明に至っていません。私が多くの精神疾患と診断されて治療をされている人たち(子どもから大人まで)の観察から、精神疾患の多くはトラウマ(辛さを生じる条件反射)が原因だと確信しました。

 子どもで精神疾患だと診断されている子どもたちを観察していると、子どもたちの潜在意識にトラウマがあるのが分かります。ほとんど全ての子どものトラウマが学校や自己否定に反応するトラウマです。精神症状を出している子どもから学校や自己否定を取り除くとたちまち精神症状がなくなることから、辛さを生じる条件反射、すなわちトラウマがあることが分かります。

 トラウマを持っている子どものトラウマが反応すると、その子どもはそのトラウマが反応する場所から逃げようとします。逃げられないときには、暴れるなどの問題行動をします。暴れるなどの問題行動ができない子ども、他の人の力で暴れるなどの問題行動が押さえつけられて問題行動ができない子どもは、精神疾患の症状を出します。この反応の仕方は、私が観察をする限り大人でも当てはまります。大人でも、子どもでも、精神疾患の症状を出しているのは、トラウマが何かに反応している姿なのです。

 トラウマとは潜在意識(大脳辺縁系)にある、辛さを生じる条件反射です。その内でも辛さを生じる条件刺激が普通の人では辛さを生じない物ですから、トラウマを持っている人が辛くなる理由が、普通の人では理解できない条件反射です。普通の人はトラウマが反応して苦しんでいる人を見て、「どうしてこの人は苦しんでいるのだろう。苦しむ理由がないからこの人の性格が問題だから性格を正さなければならない。この人は病気だから医療に掛けて、治療をしなければならない。」と理解する場合です。つまりトラウマがある人が苦しんでいるのは、それなりに理由があるのですが、普通の人には分からないし、苦しんでいる当人も分からないのです。

 トラウマは辛さを生じる条件反射ですから、記憶の一種です。記憶と同じような神経回路です。記憶の神経回路は使われないと消失します。使われ続けると記憶の神経回路は強化されます。トラウマの神経回路ができても以後反応をしなければ、トラウマの神経回路は消失します。トラウマが反応をし続けると、トラウマの神経回路はどんどん強化されていきます。そればかりでなく、トラウマが反応をするような刺激への反応がだんだん敏感になり、誰も気づかないような刺激でトラウマが反応をしてしまい、絶え間なく精神疾患の症状を出すようになってしまいます。それは運動選手の練習と似ています。練習を休むと運動能力はなくなってしまいます。練習と繰り返すと、自然と体が動くようになって、無意識に目的の運動ができるようになるのと同じ様な仕組みです。

 大人の精神疾患には二種類があります。一つは精神症状を出し始めた日が浅く、その症状を出す頻度が少ない場合です(運動でいうなら、運動を始めて日の浅い人です)。この場合にはトラウマの神経回路はまだ弱くて、消失しやすいです。トラウマを反応させる物を取り除くことで、トラウマ自身が消失して、精神症状がなくなります。職場を換える、職業を換える、生活の場を換えるなどで、解決が可能です。また認知療法も効果的です。ただし薬はこの精神症状が出現するのを防げても、トラウマが反応するのを防げません。薬を飲むことで精神症状を出さなくできても、トラウマは反応をし続けているので、トラウマの神経回路は知らないうちに強化され、症状も薬で隠されていますが強くなります。そのとき服用している薬では段々症状を抑えられなくなります。今まで押さえられていた症状が出てくるので、薬の量が増える、薬の種類が増える、より強く脳を抑制する薬が増えることになります。

 もう一つは精神症状を出し始めて長い年月がたっている場合です(運動で言うなら、熟達した運動選手の場合です)。長年向精神薬を飲み続けている場合も当てはまります。しっかりとトラウマの神経回路ができあがっているために、そのための脳自体の構造や伝達物質に正常とは違う変化を生じています。その変化を生じるための遺伝子変化も起こしています。こうなるとトラウマの神経回路をなくするのは大変に難しいです。この状態が今の精神医学で言う精神疾患の状態です。環境を変えることで、トラウマが反応しないようにできるなら、それが一番良いのでしょうが、現実にはトラウマを理解する人は皆無に近いです。実際には辛い症状を解消するために薬を使わざるを得なくなります。それでも可能な限り薬を少なくして、トラウマが反応しない環境を作らないと、本質的な解決はありません。

 最後に、精神疾患に使われる薬で、精神疾患を根本的に治癒させる薬は一つもありません。精神疾患の症状を軽減する薬です。薬の検定でも、症状を減らす効果しかメーカーは調べていません。ですから薬で精神疾患を治すことはできません。薬で精神疾患が治癒したなら、それは薬が精神疾患を治癒させたのではなくて、精神症状を出すトラウマが反応をしなくなった、トラウマを反応させる物が偶然になくなったという意味です。

テスト(心が辛い子どもが母親にする)

 不登校、引き籠もりなどの心が辛い子どもが、周囲の大人(特に母親)に対して行う暴力などの問題行動は、全て母親に信頼して欲しいというテストと理解できます。常識から言うなら、子どもに性格上の問題があって、その性格から母親に暴力などの問題行動をすると理解しますが、その常識は間違っています。例え言葉で母親へ暴言や非難の言葉を浴びせても、それは子どもの本心からでなくて、言葉で母親への問題行動をするというテストなのです。

 なぜテストだと断言できるかという理由は、生物の進化の過程から証明できます。つまりあらゆるほ乳類は、母親から生まれて、母親に守られ、育てられて、大人になって、母親の元を巣立っていきます。全てのほ乳類の子どもは母親から守られないと、母親から育てられないと、それは子どもの死を意味します(例外もあることも事実ですが、それは偶然でしかありません)。子どもはその本能から成長をしようとして、決して死を求めません。子どもはその本能から、必ず母親に守られ、育てられようとします。その子どもなりに大人になって社会へ出て行こうとします。その子どもなりを母親が認められないときも子どもは母親にテストをし続けます。

 母親から見捨てられるような問題行動を、子どもは進化の過程で獲得したその本能からしません。つまり子どもが母親を苦しめるのは、子どもが自分の命の危険性を無視しなければならない危険に遭遇しているという意味です。子どもはその本能から生きたいのであって、無意識に自分を守ってくれという意味になります。現実に母親が子どもが直面している危険から子どもを守れたら、子どもは母親を苦しめるような問題行動をしなくなります。母親に守られ続け、母親と仲良く成長を続けようとします。子どものテストに合格したことになります。母親は子どもを守っているつもりでも、子どもは守られていないと母親をテストし続ける場合があります。

 世の中の多くの大人は原因がないのに子どもが問題行動をすることを指摘します。生まれつきそのような性格を持っていると判断する大人が多いです。その方が大人には納得がいくからです。ところが子どもが問題行動をするのには必ず原因があります。その子どもを苦しめる原因に気づかない大人がこのような表現をします。また子どもを苦しめる原因に気づかない大人が、子どもの問題行動を解決しようとして子どもと関わりますから、子どものテストに合格するはずがありません。子どもはますます問題行動を強めて、すなわちテストを難しくて、母親をますます苦しめるようになります。

 研究者や医者、子どもに対応をしている人を含めて、世の中の多くの大人は、子どもの言葉から子どもの心の問題点を判断して、問題解決をしようとする人が多いです。大人の問題行動に関してはそのような考え方で解決できる場合が多いです。子どもでは言葉は大人の言葉と違って、動物の鳴き声のような信号としての要素が大きいです。子どもが幼ければ幼いほど、この要素は大きくなります。言葉は子どもの危険の存在を表現しているだけで、または子どもの理解を表現しているだけで、大人のように言葉に意味を持たせて理解しようとすると間違いになります。

 ほ乳類の進化の過程から、子どもが母親を苦しめるような行動をする場合は、全て母親をテストしていると理解できます。子どもの問題行動を子どもの性格が異常(心の病を含めて)だからという考え方で理解する限り、子どもの問題行動を解決できません。もしできたと考えられる場合では、その子どもがよい子を演じている姿だと判断して間違いないです。後になってもっと大きな問題を生じることになります。ただしそれでも大人になれますし、その子どもなりの成長の仕方であることも間違いありません。

 子どもの中には、自分の死を意味する危険を母親が嫌がる行動で表現できない子どもがいます。そのような子どもはいわゆる心の病(脳に異常がない発達障害も含める)の症状で訴えます。心の病の症状を出したとき常識的には心の病と判断されますし、医者も心の病と診断しますが、それもほ乳類の進化の過程から、子どもからの母親へのテストだと断定できます。

ありのままの

 現在、雪の女王のアニメが世界的にヒット作品になっていて、「ありのままの姿見せるの」と、この主題歌を歌う人が多いと言われています。私たち不登校に対応をしている者の間では、この言葉は当たり前になっているのに、今頃なぜ世界的にこの歌が歌われ、共感を得ているのかを、私の立場から考えてみます。

 この歌に共感を感じていらっしゃる人達は、現在「ありのままの自分でいきられない」から、「ありのままの自分で生きたい」とあこがれる、または過去に「ありのままの自分でいきられなかった」から、これからはこの歌のように「ありのままの自分で生きたい」という意味だと思います。これは男性よりも、制約が多いこの社会で生きていらっしゃる女性が感じていらっしゃる場合が多いと思います。「ありのままの自分で生きたい」と願っていても、今の自分には難しいと感じていらっしゃるから、共感できるのではないかと思います。

 子どもにとって「ありのままの自分で生きる」ことは、子どもの本能としての欲求です。子どもが「ありのままの自分で生きよう」とすると、それは親や社会にとって都合が悪いことが多いです。そこで理由をつけて子どもの「ありのままの自分で生きたい」という欲求を抑えつけて、親や社会が要求することに従わせます。子どもは弱い立場にありますから、それに従わなくてはなりません。大人は子どもが納得して従ったと理解していますが、子どもは仕方が無くしたがっています。

 「ありのままの自分で生きたい」という思いを多くの大人は子ども時代に感じて育ってきています。そして親になって、自分の子どもも「ありのままの自分で生きたい」と願っているのに、自分が育てられたように、子どもの「ありのままを認めない」子育てを、親から自分が受けた子育てを続けています。その理由の一つとして、「ありのままに子どもを育て」たら、どの様な子どもに育つのかを、大人が全く知らないという事実があります。また、親や社会の要求で縛り付けられて育った子どもの成功例しか教えられていないという事実もあります。常識や社会からの要求に沿わない子育てをしたから、子どもが問題行動をしたと教えられているからのようです。

 不登校の子どもを守り育てるのは、まさに「ありのままの子どもをありのままに育てる」子育ての実験です。そして私たちが対応をしている限り、全てその子どもなりに元気な大人になって、社会に出て行っています。不登校の子どもにとって「ありのままの自分を認められる」ことは、子どもに成長をして釈迦に順応をしようとする強い動機を与えます。子どもの問題解決にとても役立ちます。別の表現の仕方をするなら、「ありのままの自分を認める」ことで、子どもは自分で自分の問題を自分で解決して、成長をしようとしますし、解決することができます。

若年無業者224万人

 8月3日、NHK朝のニュースで若年無業者が224万人(同世代人口の1/7)と報道されていました。これには心の病として治療を受けている人は入っていないでしょうから、500万人、またはそれ以上の若者が日本の生産活動に関わっていないことになります。ニュースの中でも日本の大きな損失と言っていましたが、若者達自身にとっても大きな損失です。

 その原因として、専門家が子ども達が守られすぎていると言っていましたが、本当でしょうか?確かに子ども達は身体的に守られています。しかし心はどうでしょうか?子ども達の心は苦しみ続けていることに、大人達は気づかないでいます。気づいていても、自分たちは乗り越えてきたのだから、乗り越えて当たり前だと考えています。ただ大きな間違いは、大人たちが乗りこれてきた苦しみ以上に、今の子ども達は苦しんでいることに気づいていないことです。

 子ども達の身体の安全のために、子ども達の心を無視した安全策が今の子ども達に押しつけられています。それは子ども達の自発的な活動を押さえつけてしまい、子ども達は以前以上に苦しんでいます。それは時代とともに段々強まっています。また、子どものためという教育が子どもの間の競争を生じています。この競争に勝ち続けられる子どもは良いのですが、この競争について行けない子ども達は葛藤状態になり苦しんでいることに、大人は全く気づいていません。 

 これらで子ども達が苦しんでいても、子ども達は一生懸命学校に行っています。やっとの思いで学校に行き続けていることに大人は気づこうとしません。子ども達が学校に行っていることだけで、大人達は安心をしています。子ども達が辛くなって学校に行かなくなると、大人達は何とかして学校に行かそうとします。大人達のために、言葉では学校が楽しいと言いながら、楽しそうに演じて、子ども達は無理を重ねて学校に行き続けています。学校を終えたときには、子ども達は精根尽きています。大人達から働けと言われても、働くための意欲を失っています。

眠られない

 小学生の子どもが夜眠られないと言って来院しました。常識的には不眠症ですから、眠られるように薬を投与すべきでしょう。薬を飲んでいる内に眠られるようになると考えるのが普通でしょう。

 子どもは必ず眠ります。眠られないのには何か理由があります。その理由が何か大人に分からないから、子どもは理由がなく眠られないと大人は理解します。薬を飲ましてでも眠らせれば良い、眠れば解決すると考えています。

 子どもが夜眠られない原因は、眠られないときにありません。眠って朝起きたときにあります。子どもが目が覚めたときに感じる不安を、夜寝る前にも感じだしたのです。子どもが朝起きたときに不安を感じるとしたら、学校に行かなくてはならないという事実です。学校で辛い経験をしているという事実です。子どももその辛い経験を言葉にて表現しません。子ども自身も原因が分からないのだと思います。

 子どもが眠られないと言って母親の元に来たときには、母親は子どもを眠らせようとしない方が良いです。母親とふれあいながら母親と一緒にゲームをしたり遊ぶのが良いです。遊ぶことで辛さを解消して、子どもは眠ってしまいます。その際に布団で寝なくても、眠ってしまってから布団に運ぶのでも良いです。

 夜更かしをして子どもが朝起きられなくても、朝になって子どもを起こす必要がありません。学校に遅刻しても、学校を休んでも、子どものあり方を尊重してあげてください。そうすれば、子どもは学校での問題点を自分で解消して、学校に元気で行き続けられます。多くの人は原因を解消して子どもを学校に行かそうとしますが、それは強い心の子どもを育てません。中学生になって、高校生になって、大学生になって、大人になって、大きな損をします。

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