義務教育が不登校の子供の心を蝕む 2002年11月14日
 憲法に義務教育がうたわれています。それは子供が学校へ行く義務ではなくて、子供が学校へ行けるように環境を整えなければならないという大人への義務です。ところが学校関係者は子供を学校へ行かせる義務と理解しているようです。子供が学校または学校に準じるものに通わなければならないと理解しているようです。そこで学校または学校に準じるものに行けるような環境を整えたなら、何が何でも子供をそこへ行かせなければならないと考えているようです。ですから学校関係者は自分たちの思いで(子供の思いとはこうであろうと推量しています。実際は子供の思いとはかけ離れています。)、小手先で今の学校をいじり回し、または学校に準じるものを作って、そこへ子供が行くように不登校の子供に強要しています。
 教育関係者の思いが子供たちの思いを反映していればこの対応でも間違いがありません。現実に今の学校制度で自分をのばせていける子供は多いです。また、学校に準じる機関で元気になる子供もいます。けれどそれでも学校へ行けない不登校の子供が多いばかりでなく、その数が増えてきていることも事実です。それは大人たちの思いが不登校の子供たち思いと違っているからです。大人たちは子供たちの思いを掴んだつもりでいて、その実、不登校の子供の心を掴んでいないからです。
 教育関係者のあらゆる施策でも学校へ行けない不登校の子供が多いと言う事実を、文化省「不登校問題に関する調査研究協力者会議」では親や教育関係者が子供を学校へ行かそうとする対応が不十分だと考えているようですね。親や教育関係者が子供に学校へ行って欲しくてあらゆる対応をした結果でも不登校の子供が学校へ行こうとしないという事実を、どうして認めようとしないのでしょうか?多くの不登校の子供たちにとって、学校復帰の対応をされると状態が悪くなり、より難しい状態になることは、今までの経験からはっきりしています。小学校の低学年では、学校復帰の対応で、かなりの不登校の子供が学校へ一時的には復帰すると思います。けれど後になって、問題がよりいっそう難しい不登校問題になることも、今までの経験からはっきりしています。
 大切なことは学校復帰の対応で不登校の子供が一時的に学校へ復帰することではありません。不登校の子供に関しては、学校復帰の対応が子供の健やかな心での成長を阻害します。教育関係者はせっかく教育環境を整えたのだから学校へ来なさいと言う対応ではなくて、今まで行ったいろいろな施策でも不登校の子供の心を掴みきれないのだから、学校へ行かない生き方を認めるという対応をして欲しいものです。義務教育だから子供が学校へ行っていなければならないと言う施策で不登校の子供の心が蝕まれては、教育の意味が全くなくなるからです。不登校という形に捕らわれないで、子供の心の中を大人の立場でなく、子供の立場で、もっと正確に知って欲しいと思います。

子供は集団でなく個人である 2002.11.25
 子供と大人との大きな相違点は、子供は成長するということである。成長とはきわめて個人的な問題である。子供は家庭という小さな集団の中で成長をしながら、社会と関わってその子供なりに社会性を得ていく。個人として子供が成長を成し遂げたなら、大人になった時点で集団に順応し、もっと大きな集団である国家や人類を守り維持していこうとするようになる。無理矢理に社会を守れ、国家を守れと、強制する必要はない(異論は多いであろうが、子供を心底信頼して対応すると信頼するとこの事実が分かる)。
 家庭は集団であるが、その家庭が属する社会とは別物である。家庭では個人としての子供が尊重されるが、社会では構成要素としての子供として扱われ、個人としての子供して扱われることは少ない。そして多くの子供たちは社会の構成要素の子供として扱われて全く問題がない。大人たちは多くの子供たちが扱われて良いような扱い方をしようとしているし、現実に行ってきている。
 けれど全ての子供たちが社会の構成要素の子供として扱われて良いかというとそれは違う。子供たちの中には社会の構成要素として扱われると、大変に辛くなる子供がいることも事実である。集団の中で心が傷ついた子供たちがそれである。登校拒否、不登校、引きこもりの子供たちである。いじめをする子供、いろいろな暴力行為や社会へ不適応行動に走る子供たちである。また成長の過程で、子供たちは自分と社会との関係を見つめ直そうとする傾向がみられ、その子供の個性を主張し、その際に社会の構成要素の子供として扱われることを拒否する子供が出てくることも事実である。
 国としては、国の方針に従う大人に子供たちを育てようとしている。それは国としての一つの教育の在り方であろうが、教育基本法の改正議論に見られるような集団としての子供のありかたばかりを問題にしていると、前述の集団に属してはいけない子供たちを無理強いして集団に戻そうという議論になってしまう。現実に無理強いして集団に戻そうとした結果、心がよけい傷ついて、ますます集団からはみ出した子供たちが増えてきていることも事実である。それは不登校の子供の増加からもわかる。
国が多くの子供たちを効率よく子供たちを教育したいのは当然であろう。だけどそれだけが教育の全てではない。全てが全て、国が用意した教育機関で全ての子供を育てるのは不可能である。国が行う教育にそぐわない子供の教育もあって良いはずだ。国が行う教育にそぐわない教育までも国が抱え込まないで、その子供にあった人に任せたほうが効率的であり、その子供の幸福に繋がる。

大学が役立っていない
2002.12.2 最近の統計によると、大学卒業生の20%ぐらいが就職しないと言う。また大学卒業生で就職した人の30%ぐらいが3年以内に仕事を止めてしまっている。つまり大学卒業生の半分近く( (100−20)x0.3+20=44 で50%弱 )が就職しないか就職してもすぐに止めているという事実は現在の学校制度が就職に役立つ人が二人に一人しかいないことを意味している。これらの就職しないか就職してもすぐに止めている人たちは、決して社会や職業を否定しているのではない。自分探しをしているか、自分にあった仕事を探しているだけである。仕事に自分をあわせようとはしないのである。そして、しっかり自分に合った物を見つけて社会へ出ていっている。
 子供達は何のために学校へ行っているのであろうか?子供達の内で約二人に一人には、学校は全く役立っていない。多くの学生は学校へ行かされるから学校へ行っている。学校で授業を受けさせられるから、やむを得ず授業を受けている。そこには学生達の意欲的な行動は殆ど見あたらない。それなら、学生の内からしっかりと自分探しをさせて、自分にあった職業を学生の内から探させておく方が子供のためでもあり、親のためでもあり、ひいては社会のためでも有ろう。
 前述のように、現在は学校教育の意味がある人は二人に一人ぐらいしかいない。子供達の半分近くは勉強よりも自分探しや自分にあった職業をしたがっている。この事実は子供達に学校で知識を押し込むより、学生の内から自分らしさを探させた方がよい。現在の登校拒否、不登校、引きこもりのように学校を選択しない子供を無理矢理学校に戻しても、学校が将来意味を持たないことは、今まで述べてきたことで明らかである。登校拒否、不登校、引きこもりの子供達には学校に戻そうという努力よりも、その子供らしさ、その子供にあった職業を見つけさせてあげた方が良いと考えられる。

家庭では心を癒す 2002.12.10
 不登校新聞12月1日号の論説で、「教育の基本は家庭教育だ」と書かれていました。21世紀の現在、家庭で教えられない教育の範囲は大変に広いです。親も時間的な余裕から、子供の教育などとてもしていれません。その結果、子どもの教育は学校や塾に任せざるを得なくなります。
 学校や塾では、論説の中にあるように、競争が要求されます。競争すれば勝者と敗者が出ます。その敗者の受け入れ先が家庭だという意味だと思います。けれど多くの家庭は、子どもが敗者であることを受け入れられません。敗者の子どもに勝者になることを要求し続けます。ところが全力を出しきって競争した結果敗者になった子どもには、もう競争に参加するエネルギーを持っていません。
 そのような子どもは、一部は競争の場を拒否して家庭に逃げ帰えって、競争の場へ出かけようとはしません。それが登校拒否、不登校です。また、一部の子どもは競争の場には参加しますが、競争そのものには参加しようとはしないで、否定された自分たちの存在を、いろいろな非行行為をする事で満たそうとします。
 家庭が教育の場にならなくても良いと思います。子供達の競争の場である学校や塾で心の傷ついた子供達の癒しの場であるべきだと思います。心が傷ついた子供達の安全な場所であるべきだと思います。家庭が心の傷ついた子供達の安全な場所であるなら、子供達は傷ついた自分の心を家庭で癒して、競争に再挑戦する子どもも出てくるでしょうし、競争しない生き方を選択して、社会へ出ていく子どもも出てくるでしょう。

学校復帰2002,12,19
 12月15日号の不登校新聞の記事、不登校問題「協力者会議」の中で、相模湖フリースクールの報告で、「学校復帰」と言う言葉がありました。この場合の学校復帰という言葉は、何を意味しているのか触れられていませんでした。不登校とは、子どもが学校へ行かないと言う意味ですから、学校復帰とは、不登校だった子どもが学校へ行きだしたという意味だと思います。不登校だった子どもが学校へ行きだした場合、その学校へ行きだした子どもには、次のような状態が考えられます。
 不登校だった子どもが、不登校になる前の元気な状態で学校へ行きだしたのでしたら、全く問題が無いのですが、今までの私達の経験から、不登校の子どもを不登校になる前の元気な状態に戻すことは、大変に難しくて、多くの場合、不登校の子どもの親でない人達には不可能なことを知っています。
 不登校になる直前の、無理して学校へ行っていた状態で学校へ行きだした場合では、私達の経験の範囲では、そのような子どもは、またすぐに学校で辛い経験をして、不登校になる場合が多いです。また、学校へは行ける状態ではないが、行かないとより辛いことになるから、無理して学校へ行きだした場合では、その子どもが再登校する要因が無くなったとき、いろいろな辛い症状が出て、学校へ行けなくなります。どちらもその際に、それ以前よりももっと強い身体的な、精神的な症状を出す場合が多いです。
 不登校の解決は決して子どもの形の上での学校復帰ではありません。不登校の子どもの、学校で傷ついた心の傷が癒えた状態が、不登校の解決です。子どもの心の傷が癒えたとき、その子どもが学校へ復帰する場合もありますし、学校とは関係しない生き方を選択する場合もあります。ですから、不登校の子どもの形の上からの学校復帰は、見かけ上不登校の解決のように思われますが、子どもの心の中の不登校の解決ではある場合は少なくて、殆どの場合、学校復帰後にもっと難しい不登校問題や引きこもりの問題を生じることになります。

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